参院選の趨勢は明白である。さしたる変化もないだろう。
もう私には政治的な情勢とか、現実の諸問題に関してあれやこれや考える気力が萎えている。それ以前に、もはや思考の極限において行動するひとを見かけないし、「現在」を参照する、的確かつ公正な分析者さえいないのだ。
正統なるマスコミは崩壊し、もはや現実そのものがなしくずしなのだから、将来の世界を想定してものを言うことは憚れるのだろう、頭のいい人は。
新しい時代はもはや、これからの社会を担う人たちに委ねたい。
過去も、そうであったろうが、間違った意味での他力本願思想は、良くも悪くもこの国に定着したといえる。(デモクラシーの理解でさえ、本来の在りかたを変容させ、その本質を見失っているではないか。)
年嵩のいったものは、現(うつつ)を呪い、過去りし日々を回顧し、愛で、埋没している。ならば、今をときめく人々に、批判めいた迷言愚痴を吐くのは慎まれよ。
この国はかつて、現在最も信頼・依拠する米国と闘い、その果てに骨の髄まで破壊されたことがある。このこと、米国は決して本意ではなく、特殊兵器によってしか終結しなかった、という政治的理由を国民とともに共有している。(この実情は混沌としている。その背景も複雑で、生半可な情報・知識で済ますことはできない)
私たちの国の地、人民に、米国は随意に爆弾の雨を降らせた。その時点で、勝敗は決着していたのである、その峻厳なる事実をほりさげた人はいない(江藤淳、福田恒存、吉本隆明、埴谷雄高・・??)。
当りまえの世界認識、軍事知識が欠如していた結果がこれなのだ。情けないことに「一億本土総決戦」、「神風」なるスローガンが国民を洗脳し、その気にさせる。この国のほとんどが焼土と化しても、認識不足は革むことはなかった。降伏条約に調印しても、敗戦を終戦と呼ぶ、欺瞞・隠ぺい体質はいまも健在である。
この国を差配するものたちは、それらの責任を全うすることなく自己保身に邁進し、「既得権益」を構築し、さらに支援・同調者を醸成し、政権の担い手として密かに栄華を享受している。
この国の隅々で凶逆なことがまかり通っているが、それは多くの人がこの国の豊かさに預かっていないことに帰結する。
そうなのだ。この国はあまりにも豊かさが偏在しすぎるのだ。だから、インバンドも、それに乗じて増加している。本国では3~5000円のランチ代がこの国では半分から三分の一で賄える、安上がりでリッチな旅行が満喫できる。食事にとどまらない、衣食住のすべてに割安感があり、この国の貧しい人々は明るく耐え、かつ「おもてなし」の精神にあふれ、歓待してくれる!
こんな国はあまりない。お隣の大国や、韓の国が蔑みながら、本音では嫉妬するのは詮無いことだ。
さりながら、ことほどさようにこの国の人々は現実を受容し、未来をささえる若者は自覚しているのか、甘んじているのか・・。落ちこぼれていく友達を見ぬふり、それも封印する。
米国に依存していくことで、この世界を維持していく、いまの暮らしが続いていく。それなら「よろこんで」、現行の体制をうけいれよう。何か不足が生じれば、その時はその時だ。「事なかれ主義」は、永遠に不滅です。
いいではないか、私にとっては無明なこの世であるが、いまを生きる人たちがこの世を是とするなら、なんの口をはさむ筋合いはない。
ニヒリストではなくリアリストである、私は。もはや、本願をもてる器でもない。目の前の出来事、移りゆく日々の善し無しごとを愉しむことしかない、今日この頃である。
プラセボ効果さえ無知なる小生、この種の妄言を今後いっさい書かない、とここに記す。