しばらくぶりに薄田泣菫を読んだ。齢五十の頃には枕頭に置いていたが、いつのまにか俳句関係の本に押しやられていた。それはそれで良いが、やはり泣菫は手放せない。
泣菫といえば、蒲原有明と並び明治から大正にかけて象徴派詩人として詩壇を率いた。文語体で綴られる七五調の流麗な詩文は、いまとなれば古めかしいのか。いや、その日本語としての格調高さ、リズミカルな言葉の調子は、時代をこえても永遠の何かがある。これを感得できる最後の世代だと自負しているのだが、思い善がりかもしらん。(※)
泣菫は40歳ころからパーキンソン病にかかり、年月を経てしだいに身体が思うように動かなくなった。家族を養うために詩を捨て、原稿料を稼ぐ暮らしを選択したのか・・(新聞社に所属)。晩年は、愛妻を介しての口述筆記だったという。
代表作の『茶話』は、博識(主に漢文)、教養(英米の幅広い原書を読む)に基づく卓越した観察力で、世相や自然の営みを切りとった。が、あくまでも静謐な筆致で、たおやかな心境が直截に伝わってくるように、まとめあげられている。その深い味わいをもつ随筆は色あせないし、現代にあっても必読に値する名エッセイに変わりない。文庫本でも増刷を続けているのはその証左だ。
今回は岩波文庫の『艸木虫魚』を取り出して、つらつら再読したのだが、そのなかの「仙人と石」という1500字くらいの小品について書くことにする。
昔の中国に8人の名仙人がいて、そのひとりの張果老についての話である。その出だしを、ちょっと長いが紹介したい。
支那の唐代に、張果老という仙人がありました。恒州の中条山というところに棲んでいて、いつも旅するときには、驢馬にまたがって一日に数万里の道程を往ったといいます。旅つかれで家に帰って休もうとでもする場合には、驢馬の首や脚をぱきぱきと折り曲げて畳み、便利な小型に形をかえて持ち運んだそうです。そんなおりに、思いがけなく川に出水があって、徒渉り(かちわたり)がしにくいと、この仙人は手にさげた折畳み式の馬に水を吹きかけます。すると、驢馬は急に元気づき、曲げられた四つの脚を踏みのばして、もとの姿にかえったといいます。
「驢馬の首や脚をぱきぱきと折り曲げて畳み、便利な小型に形をかえて持ち運んだそうです」のところ、このSFチックで超現実的な導入は泣菫らしい。
このエッセイの主題は、幸福は求めて得られるものか、あるいは動かず辛抱して待つものかなのだ。それを仙人と、原っぱにある無機物の「石」との対話という荒唐無稽なストーリーで展開される。そのつかみに、仙人が自分の法力によってつくった不思議な驢馬を、まず紹介したのだ。これは話がどうなるか期待して読まざるをえないというものだろう。
ともあれ、張果老仙人は幸福なるものを求めて、あちこちと捜しに行くので一日五万里を往かねばならない。一方、石は原っぱにずっと立ち続け、驢馬に乗った仙人がなんども嵐のように過ぎ去っていくのを眺めていた。ある時、仙人がふとその石を認め、両者がいろいろと問答する経緯のやりとりも面白い。
「わしはむかしからずっとここに立っているが、別段それを不幸せだとも、退屈だとも思ったことはない。・・」と石がいえば。
「わしもこの頃になって、やっとそう思い出したよ。幸福というものは外にあるものじゃない。ここぞと思うところに落ちついて棲んでいれば・・」と、仙人は同調する。
で、あれこれ問答して、石は無遠慮に、驢馬を始末して旅商人にでも売ってしまえばと忠告した。それを耳の長い驢馬は聞きつけ、癪に思ったのかそこら辺を後脚で蹴とばした。
仙人はなにを思ったのか「・・人間というものは、みんなこれまで自分のして来た仕事に、引きずられて往くものなのだ。ああ、おまえにつかまって長話をしすぎた・・」と、「やっぱり幸福をもとめて・・」驢馬の方へ歩んでゆく。
張果老仙人は驢馬にまたがり一鞭をあたえると、驢馬は嵐のように飛んで、またたくまに広野のはてに点のようになっていった。
石は「とうとう往ってしまった。・・わしはやはり一人ぼっちだ。」と言って、そのまま沈黙してしまった。
そしてエピローグはこんな文章でしめられる。
秋の日はそろそろ西へ落ちかかりました。途を間違えたらしいこがね虫が、土をもち上げて、ひょっくりと頭を出しましたが、急にそれと気づいたらしく、すぐにまた姿を隠してしまいました。
石のモノローグで終わらせないところが泣菫の凄いところで、秋の夕暮れのなかでこがね虫の剽軽な動きで結ばれている。
「急にそれときづいた」の「それ」とはなんだろう。仙人と驢馬はあっというまに去ってしまったのだし、それとも石のつぶやきがこがね虫にとどいたのだろうか。それら一連の気配なのだろうか。
悠久の時をかんじさせ、はてしなく広い中国の大地のなかで交わされた仙人と石の対話。幸福とは如何にしてもとめ、得られるものなのか。
そもそも人間は、幸福を得ることができるのか。石、その自然そのものは幸福という概念を語るにふさわしいものなのか。不思議な小品ながら、沈潜して考えさせるものがある。
師走の忙しいなか、こんなことを書いている老人は、まあ幸福とは真逆の素頓狂に違いない。ま、薄田泣菫を久しぶりに読み、極上の一服を嗜む心地であったのだが・・。
▲後ろ向きにロバに乗った張果老。前進することは実は後退することであると、世の人々に警鐘を鳴らしたそうである。
(※)泣菫の代表的な詩「わがゆく海」、二節だけですが。
わがゆく海
わがゆくかたは、月明りさし入るなべに、
さはら木は腕(かいな)だるげに伏し沈み、
赤目柏はしのび音に葉ぞ泣きそぼち、
石楠花は息づく深山、----『寂静(さびしみ)』と、
『沈黙(しじま)』のあぐむ森ならじ。
わがゆくかたは、野胡桃(のぐるみ)の実は笑みこぼれ、
黄金なす柑子は枝にたわわなる
新墾(にひばり)小野のあらき畑、草くだものの
醸酒(かみざけ)は小甕(こみか)にかをる、----『休息(やすらひ)』と、
『うまし宴会(うたげ)』の場(には)ならじ。