先月は国立博物館にある公園での吟行に、人生初めて参加した。凝りもせず今月の句会にも出席させていただく。今回は、増上寺の脇の芝公園。日曜日の昼にもかかわらず、園内は静かで、周囲に立ち並ぶ高層ビルの気配が消えるほど樹木が多い
さいしょ東京タワーのふもとの、蛇塚のある公園が芝公園であると思い込んでいた。もちろんそこも芝公園で、実際には増上寺と東京プリンスホテル(タワー)に隣接し、日比谷通りにまで面する広大な公園であった。しかも、ここには日光と同じく初代徳川将軍・徳川家康を祀った東照宮があり、上野、静岡とならび4つある東照宮の一つだという。
ここにはさらに、弥生時代のなんと前方後円墳があった。「芝丸山古墳」といって全長106m、後円部64m、前方部40mもの大きさを誇る、都内最大級の古墳ということに驚く(ということは、まだ他に前方後円墳がある?)。墳墓は小山のようにこんもりとし、古代を思い起こさせる立派なもの。案内板には、4世紀頃に造られたと記されていた。
この辺りは海に面した土地柄であると、落語の「芝浜」を思い出したり(愚生は三木助のそれ)、芝公園の古の地形なぞ想い描き、想像力をたくましくさせた。
▲後円墳のところが小山のように見える。高さも10m以上はあったか・・。
東京にながく住みながら、この土地の知らないこともまだ多い、と感慨を新たにする。当日は陽気がよく、絶好の吟行日和であった。園内は樹々も多く、鳥たちの囀りもここかしこで聞こえる。楓やイチョウなどはいまだ落葉せず、赤や黄色、緑の色が鮮烈なほどに美しい。見どころ、題材には困らないと言いたいところだが、今回の投句は仲間からの推薦が一句もない有様だった。準備していた題材に引きずられ、東照宮や古墳、さらに冬桜など現地で見た景色を詠むことなく、消化不良の句を詠んでしまった。(猫や鳥など動物ネタもあったなあ)
投句した五句、恥を覚悟で紹介する。
槍のごと芝公園に冴ゆる塔
冬桜見あげし空に電波塔
踏みゆきて懐かしき音枯葉かな
枯葉ふみ高血圧よ去らばかな
芝公園に作家座すまま凍死せり
最後の句は、芥川賞作家西村賢太が没後弟子を自称し、『根津権現裏』を書いた藤澤清造を題材にした。彼が芝公園で失意のまま凍死したことを詠んだもの。せっかく芝公園に行くのだから、この事実を句にしたかったのだ。皆さんからの興味もあったが、今となってみれば単に事実を説明しただけの句だ。「それがどうした?」と、問われればそれだけのこと。なんの感慨、興趣を覚えるものはない。また、「枯葉ふみ高血圧よ去らばかな」という句は、枯葉を踏むときのしゃりしゃりした音が、血液の流れをよくするという訳のわからない情報に引っ張られた。
事前に脳裏にあった言葉で作句したものは出来が悪い。やはり即席であっても、現場でつくった句の方が、その後の選句での印象が強いものとなる。そのときの素直な心境で詠むべきだった、と痛感することしきり。
芭蕉は、句を詠むときの心得として、「物の見えたる光、いまだに心に消えざる中にいひとむべし」と記している。往くさきざきの対象を、自分の目でしっかり見、自分の言葉で率直に詠むことが大切なのだ。今回は大いに反省し、学ぶべきことの多い吟行であった。
▲日頃スカイツリーばかり見ている。東京タワーがなぜか寂しく見えるのだが・・いや哀愁、ノスタルジアだ。
▲枯葉を踏むのは実に気持ちいい。ほんとに癒される音である。
▲東照宮はパワースポットらしい。ここだけは何故か人多く、御朱印帳をもって並ぶ人もいた。
▲ご神木の公孫樹(イチョウ)。当て字だろうか、一つ学びました。
▲園内には句碑が3,4つあった。これは星野高士氏の名前があった。祖母が星野立子、曾祖父が高浜虚子。