日暮里駅の谷中口を出ると、目の前に御殿坂がある。縄文時代からの台地が、上野の山から王子の飛鳥山へと、しっかり南北へと延びている。その台地へ向かう坂が、御殿坂と名づけられた。徳川の殿様がこの台地に立って、鷹狩りをしたらしいのだが・・。飛鳥山の台地には、将軍吉宗が桜を植林したことで有名だから、どこかの殿様がこの辺りで鷹狩りをしてもおかしくない。
先日、御殿坂を上っていると、なにやら芳しい匂いが漂ってきた。これはと思う香りで、どうやら本行寺さんにある金木犀の花であろう。そのときは芳香剤のような強い香りではなく、抑えられたやや華やかな匂いが好ましく、しぜんと寺へといざなわれた。
十字の形のオレンジ色の花弁をたくさんつけて、むんむんと甘美な匂いを放つ金木犀。実のところ、個人的には「銀木犀」の匂いのほうが好きなのだが、この10年ほど嗅いだことはない。本行寺の金木犀は、ややそれに近い上品さが感じられた。ふつうの昆虫を寄せ付けず、なにか特定の虻(アブ)だけを呼び寄せる物質を出しているらしいのだが、詳しくはしらない。秋分のあいだのわずかな期間しか愉しめない香りだという。
小さなお寺さんであるが、春になれば立派なしだれ桜が人を呼び寄せる。彼岸の時季にふさわしく、曼珠沙華も少ないながらまだ咲いていた。
また、本行寺は知る人ぞ知る通称「月見寺」といって、小林一茶や種田山頭火がここで句を詠んだ。住所としては荒川区西日暮里なのだが、大雑把にいえば谷中という寺町に属するお寺さんである。春には見事な枝垂れ桜を咲かせる。そのときも人を呼び寄せる。(しだれ桜は、長命寺のそれが壮観だが・・)。
本行寺を調べたら、太田道灌の孫の太田資高が大永6年(1526)に江戸城内平河口に建立したとあった。その後、神田、谷中へと移り、宝永6年(1709)に谷中からこの場所に移った。その時には既に月見寺と呼ばれていたらしい。小生が子供の頃には、この辺りの高台で浅草の花火が見えたものである。
まあしかし、山頭火はこの場所で詠んだことは間違いない。本行寺の植物を詠んだ俳人はいないので、この金木犀はじめ桜や芒なぞを題材にしようかと目論んでいる。木犀の花は「桂花」ともいうらしく、それをこのブログのタイトルにした。
▲山頭火の句碑「ほっと月がある 東京に来てゐる」
▲一茶の句碑「陽炎や道灌どのの物見城」。一茶はしばしば当寺を訪れ「青い田の 露をさかなや ひとり酒」などの句を詠んでいる。
青芒もすっかり枯れてきた
▲近くの宗林寺、通称「萩寺」。秋の花、萩が盛りだ。白い萩とややピンクの赤い花を咲かせている。隣りのカフェ「萩そう」の方が人を集める?