昨日の東京新聞、一面のコラム『筆洗』は、アメリカの元国務長官マデレーン・オルブライト氏を追悼していた。享年84歳。
亡くなるまでロシアのウクライナ侵攻を非難していたそうである。記事の書き出しは、彼女がプーチンと初めて会ったときの印象を紹介している。
「小柄で、青白く、は虫類のように冷たい」
「(プーチンは)自国に起きたことに屈辱を感じ、その偉大さを再建することを決意している」
マデレーン・オルブライトは1996年、2期目に入るクリントン大統領から第64代国務長官に指名された。米国では初の女性国務長官であり、しかも米国生まれではない(出自など詳細は省略)。
このプーチンの印象を書いたのは2000年とあったから、離職した後の回想だろう。二人が邂逅したときの画像がネットにあった。視線を交わさずに、笑顔で握手するなんてことは、まあ普通の人にはできない(或はカメラマンのベストショットか)。
オルブライトとプーチンの会見は、たぶん1999年の首相時代かそれ以前の首相代行のときだ(プーチンがエリツィン前大統領の辞任に伴い、大統領代行に任命されたのは1999年の大晦日)。
外相クラスの米ソ会談であったはずだが、当時プーチンの人物・人間関係について、アメリカ側が精通し、正確に分析していたかは定かでない。カタカナ言葉でいう、精緻な「インテリジェンス」を持っていたかどうかは不明だ。ソ連崩壊後、国政の混乱に乗じて、狡猾にしかも鮮やかにエリツィンNo2の首相の座についた男、そんな評価は共有されていたであろうか。
ロシアの強力マフィアも紛れ込んだ新興企業の数々、その壮絶な利害・覇権闘争を、KGB由来の権謀術数をつかってコントロール・整理したプーチン。その詳細を知るものは、アメリカはもちろんロシアにもいなかった。冷静に、客観的に情勢判断し、ときに非情に言語道断的に、人間関係や物事を処理する、名うての策略家ぐらいの感じで、プーチンは周囲から畏れられていたかもしれない。
目つきが鋭く、口数も少ないプーチンに対面して、「小柄で、青白く、は虫類のように冷たい」という印象をもったのは無理からぬことだ。ただし、その後のアメリカの新大統領、ジョージ・ブッシュ(息子)は、プーチンという男を信頼するに足る人物だと、周囲に語ったという。
「寡黙だが、どこかに親しみやすさ、人を裏切らない何かを持っている」、これは小生の見立てだが、見栄を張る男の上位に位置づけられる。自分の弱点を知りつくし、その対処法も心得るが、或る閾値を超えると流行り言葉をつかえば、「メタバース人間になってやる!」のようなタイプじゃないかと考える。
こういう人物は戦国時代には多くいた。そういえば、アル中だったお坊ちゃんのブッシュ大統領は、しかるべく確証がなくても戦争をし始めた、なんだかなあ。
プーチンの来し方は、長くなるのでここではふれない。ただ、少年時代に何を思ったのか、KGBの事務所に雇ってくれと乗りこんだことがある。その一連のエピソードが面白いので残しておく。
応対した職員は、少年プーチンの質問にきわめて真率に対応し、「KGBは自ら志願してきた者を絶対に採用しない。今後は、自分からKGBにコンタクトしてはならないこと」を伝えたという。
やんちゃで素行が悪かったが、記憶力が良く才気煥発な14歳の少年は、その職員が語ったことの意味をしっかりと読み取った。レニングラード大の法学部に進むことの準備と、心身を鍛え、人間性を磨くために、日本の柔道への途に突き進んだ(注)。
▲喧嘩が多かった不良時代、その前の頃か。気弱な少年にしか見えない。
プーチンは大学4年のとき、KGBからリクルートの打診があったという。自身の目標を見事に達成したわけだ。卒業後はもちろんKGBに就職し、条件であるソビエト連邦共産党への入党も果たしている。31歳のときにCAのリュドミラと結婚、二人の娘がいる。妻とはその後離婚し、「彼は自分のことを話したことがなかった」という元妻の証言を何かで読んだ。家族については、通り一遍の情報しかない。(二人の息子を夭折で失った父親は、独ソ戦を生き抜いた兵士、40代で三男坊にあたるプーチンをもうけたことは特筆に値するが・・)
そう、プーチンは自らすすんで己を語ることはなかった。こんなエピソードがある。大統領選挙のときに記者からの質問を受けた。「大統領になったら、まず何をやりますか?」「私はしゃべりませんよ」。身も蓋もない話だが、自分の主義主張、立場を明らかにしない。それがプーチンの身上だ。その方がメリットは大きいことを確信していたというべきか。
自らを語ることはなかったプーチンは、前述したように、他者と親しくなる、ブッシュ大統領からも一発で信認を得るような術を心得ていた。これについては、ロシアはじめアメリカの諜報学に通じた心理学者の様々な分析もあるらしい。興味をそそられるが、いずれもが資質からくるものではなく、後天的なものの影響によるものとされる。つまり、KGB時代の訓練の賜物ということだろうが、それはどんなものか、実際に訓練を受けたもの、あるいは軍事オタクのような人でないと、深い理解はできないのだろう。
最近、『プーチン、自らを語る』(2000年)という本があることを知った(ネット上ではトンデモ価格で売っていたので、図書館に予約。2か月後には読めるはず)。本を読んだからといって、プーチンのすべてが分かるわけがない。木村汎、畢竟の3部作『プーチン』(人間的考察、内政的考察 外交的考察)は大部なので、この齢なので気後れしている。木村汎のプーチンものでも、簡略・総括版を読んでみたい。(ウクライナ侵攻で読書計画が大幅に乱れた。コロナでもそうだった)
木村汎の後継は、いまのところメディアに多く露出している人では小泉悠が筆頭だろう。プーチンは無差別殺戮攻撃を厭わない。今回のウクライナ侵略においても、生物化学兵器と戦術核の使用は、プーチンの攻撃オプションに組み込まれている。さらに、戦況がエスカレートし、NATOおよびアメリカが報復・反撃を企図した場合の、一応のシミュレーションも考察している。
軍事オタク的な雰囲気もありつつ、奥さんを通じてであろうか、ロシア国内のメディアでは報道されない情報も把握している。今のところ、彼を周辺として「ウクライナ戦争」の実情を知る手立てがない。フクシマのときの小出さんと同じように、信頼すべき情報発信者として、彼をみているのだが・・。
どういうべきか、小泉悠は、プーチンが最後のオプションを決断する、何かしらの理由を述べることを忌避している。第三者の誰か、この人の判断を仰げとも言わない。
当然かもしれない。そうなのだ。プーチンのことは、プーチンにしか分からない。プーチンには、自分で落とし前をつけていただくしかない。
(注)柔道と出会ってその生活態度が改まったと、プーチンは述懐している。大統領になる前に、『プーチンと学ぶ柔道』という本を出版しており、その中で嘉納治五郎・山下泰裕・姿三四郎を柔道家として尊敬していると記していると、ウィキの記事にあった。「8段」として日本柔道界から認定されており、これは別格であり、これをはく脱されたとしたらプーチンは何とするか・・。実は、日本における権力機構の末端にいたるまで、その実務者の方々には絶大なる人気があることに留意されたい。