ジョルジュ・バタイユの『ヒロシマの人々の物語』を読む。バタイユが戦後まもなく、自ら創刊した月刊誌『クリティック』の1947年1・2月合併号に発表された論文を小冊子にしたもの。翻訳は、バタイユではおなじみの酒井健。
アメリカのジャーナリスト&小説家、ジョン・ハーシーのルポルタージュ『ヒロシマ』に触発されて、急遽バタイユが書いたとされる。本文は、B6版変型で35Pしかないが、文明と戦争、欲望と感性、これらの果てる行末の不条理、或いは人間の本質が極限まで考察されている。
ハーシーの『ヒロシマ』は、8月31日号付のニューヨーカー誌、その全紙面を使って発表されたという。反響は凄く、発売数時間で売り切れた。世界各国への影響も多大で、すぐさま数回に分けてだが連載という形で各誌で出版された。仏国では、「フランス・ソワール」誌が1946年9月10日から28日にかけて分載した。
世界の知識人はじめ多くの人が読み、広島における原子爆弾の被害と惨状がいかなるものか驚愕し、衝撃をうけたという。
小生は恥ずかしき哉、このルポルタージュそのものを知らなかった。バタイユの本には部分的だが引用されているので、その内容の一端を知ることができた。ハーシーは多くの被爆者を取材した。バタイユによれば、「現代の報道の方法上の原則」をしっかり弁えた人物だと認めている。
ハーシーの取材は、生き残った人々から直接、話を聞くことに他ならないのだが、その具体的な方法論は記述されていないので、想像で補うしかない。
原民喜の小説『夏の花』は、その点において同じく、精緻かつ文学的にその惨状のありさまが表現されている。ハーシーのそれは、前述したように情報の伝達者として、被爆者が経験したことを厳密にトレース(聞き書き)することに力点が置かれているに違いない。即ち、同情や憐みなどの感情を極力排して、日本人である被爆者の、事実にもとづく体験のみを丁寧に聞き出し、すべてを客観的に記述することに傾注したように思われる(インタビューした被爆者のなかに、外国人も含まれているのは確か)。
ちょっと長いが引用してみる。
飛行機の音は聞こえなかった。朝の静けさ、その場所は涼しくて気持ちがよかった。そのとき、巨大な稲光が空を切り裂いた。その光は東から発して、屍骸から周囲の丘へ走っていったと谷本氏は正確に思いだす。それは陽光の大きな広がりのようだった。松尾氏と彼の二人は恐怖にとっさに反応した。二人とも反応して動く時間はあったのだ。(というのも彼らは爆心地から3500ヤードつまり3.2キロ離れていた)。谷本氏は四、五歩走って、庭の二つの大きな岩のあいだに身を投じた。そして、その一方の岩に体をすりよせた。岩にぴったり顔をつけていたので、何がおこったのか分からなかった。とつぜん、上から圧迫感を感じた。木々の破片、板の切れ端、屋根瓦の欠片が降ってきたのだ。雷鳴はまったく聞こえなかった・・。
これらの谷本と松尾という体験者の話には、ほとんど粉飾や過剰な表現はなく、彼らが経験したことのいっさいを忠実に再現したような筆致である。バタイユもだからこそハーシーの文章をそっくり移したのであろう。
さて、バタイユは戦前から戦争回避の普遍経済学を摸索していたといわれる。ふつうの経済学では、人間の欲望は無限であるとし、しかし生産資材は有限なので、人間の欲望が無限だとするなら、生産物は絶対的に不足してくる、と考えられている。だから、経済学の本質は、その「稀少性」の価値を見きわめることだとされた。
つまり、稀少な資源を有効に用い、限りある生産性をコントロールして、市場のメカニズムをうまく働かせ、生産物が適正に再配分されるようなプロダクト・デザインが当面の目標となる。まあ、それが今日の、経済学の要諦だと小生は考える。果たしてそうか・・。
非凡なバタイユはそう考えなかった。人間の欲望は際限がない、好奇心さえも欲望を拡張する。ましてや資本主義社会では、人々の欲望をつねに刺激し、消費欲を掻き立てる何かしらが無限に生まれてくる。企業も消費者も一体となって生産と消費に邁進している。だから、その生産的な活動は、つねに過剰とならざるをえない。
バタイユは、アメリカのインディアンの「ポトラッチ」という文化的習慣に着目した。多くの部族間で、酋長同士が贈り物合戦する、あの有名な話だ。
相手より高価のものを贈ることで「過剰な富」を蕩尽する経済的な慣習「ポトラッチ戦争」に、人類を破滅に導く戦争の代替を見出した。誰かが犠牲になって死ぬということはない。すべてが祭のように楽しんで「富」を蕩尽する(筒井康隆の小説にあったと思うのだが・・)。
そう、経済の本質を「稀少性」に求めるのでなく、「過剰性」をいかに反転させ、「欲望」さえも満足させるのか・・。バタイユは、それまでの経済の考え方の、まるで反対の方向性を示唆したのだ。
訳者酒井健のあとがきで、バタイユのめざしたことを端的に要約しているので、そのまま引用する。
彼(バタイユ)はすでに戦前から「消費の概念」(1933)などの論文で、ものの見方の根本的な変化を説いていたが、戦後はさらに世界規模の視野でエネルギーの消費を語って、国家や地域という限定的な世界での利潤追求の姿勢をくつがえしていこうとした。そこにこそ、つまり、一国、一地域、一組織の利益を重視する姿勢にこそ戦争の原因があるとにらんでいたのである。と、同時に戦争は、ある特別の瞬間に、ある激しい瞬間に、この世界のエネルギー流を垣間見せることがある。ヒロシマとナガサキの悲劇がそうだった。
いま確かに、一国の利益のみが重視される国際情勢がある。大国のアメリカが、トランプというやんちゃ(※)な「欲望王」が大統領につくやいなや、それぞれの国は、他国を慮り利害調整するという、いわば利害を共有もしくは分かち合う、という合理的なオプションを放棄し始めた。(※:トランプは貿易における「比較優位」という概念を知っているのだろうか。彼は自国の対赤字国に対して、すぐさま黒字にとなるように関税を付加させようとする。実に、やんちゃである。)
あたかも、自国の利益のみを最優先させて、他国を斥け、凌ぎを削るかのような様相を見せるようになったのだ。
アメリカのかつての仮想敵国であった旧ソ連(現ロシア)、そして中国までもが「利益」(つまり損得)だけを重視する政策が見え見えだ。
欧米先進諸国が、同じようにそれに舵をきれば、後進国も構造的にそれにならう。イランや北朝鮮の危険なカードを切る可能性をもつ国までもが、自国の利益をあげることに奔走するようになった。
いまの一国の損得勘定だけの政治的な差配が続くとなれば、国民感情を煽り、劇的な利益誘導を訴える「戦争」という安直な手段を、為政者は選択するだろう。過去の戦争の歴史は、そのことの反復だ。杞憂だったら、何も言うことはない。小生は炭鉱のなかのカナリヤではない。辺野古の海にへばりつくサンゴでもなく、藻のような存在だ。
あ、日を跨いでしまった。74年前の8月6日のヒロシマのあの瞬間。それに思いを馳せたのだが、いろいろと思考が拡散し、毎度おなじみの顛末になってしまった。
ヒロシマでおきた一瞬の出来事を被害者のみの視点で語ってはならない。事は戦争であり、加害者という認識をわすれてはならない。犠牲者は日本人だけない。台湾人、朝鮮人、中国人、捕虜として広島に拘束されていたアメリカ人(牧師?)もいたのだ。
戦争という無差別、無際限な殺戮を、わたしたちは未来永劫ぜったいに繰り返してはならない。いま、戦争への安易な途を、「利益と欲望」の引き換えに進んでいるような気がしてならないのだ。カナリアは時に美しい鳴声をあげるが、「藻」は水面下でびっちりとひたひたと存在を訴えるしかない。そして、その意味もあまりないのだ。
いま一度、あのときのことを『夏の花』からひもといてみたい。簡潔で濃縮な表現である。「暗闇が滑り落ちる」に収斂されている。そこに再読すべきスイッチがあるかのよう・・。
それから(民喜はトイレに入っていた)何秒後のことかはっきりしないが、突然、私の頭上に一撃が加えられ、目の前に暗闇が滑り堕ちた。私はおもわずうわあと喚き、頭を手にやって立上った。嵐のようなものの墜落する音のほかは真暗でなにもわからない。 『夏の花』(原 民喜作)
追記:バタイユの経済思想のところでぎこちない表現があり、翌日訂正したことを記す。(8月7日)