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1945年8月15日、あなはた何を考えたか@石原吉郎『断念の海から』


 僕の好きな詩人、石原吉郎氏のエッセイ集『断念の海から』を、通勤のバスの中で読んだ。

 かの宮本百合子氏は その『播州平野』のなかで、「八月十五日の正午から午後一時まで、日本じゅうが、森閑として声をのんでいる間に、歴史はその巨大な頁を音なくめくったのであった」と喝破したが、現実にはそれは未来社会を予想できた一部知識人の話であって、戦争の渦中に巻き込まれた普通の兵士にとっては そうではなかったのだろう。

 石原氏は「昭和20年8月15日 私は一日何も考えなかった。私はハルピンにいた。ラジオの詔勅は正午ごろ聞いたが、情報機関にいたため、日本が降伏することは、その前日に既に分かったいた。(略)戦争が終わる前にそっくり死ぬんだと勝手き決めていたので、戦争のほうが私たちより先に終わって、私たちが生き残るなどということは想像しても見なかったのだ。だから戦争が間違いなくおわった時、待ち焦がれていたものがいよいよやってきた実感はさっぱり湧かず、奇妙な狼狽や混乱だけが私に残った」と述べている。

 石原氏はそれから8年間 シベリアの強制収容所に「罪人」として抑留され、1953年になって帰国した。 戦争の責任を、我が身で直接、身を削ってとってきたと、自分で自分を納得させるしかなかった氏の思いは、すでに戦後8年過ぎた日本人には、決して理解されることはなかった。
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