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チッソは私であった、とは?@緒方正人『チッソは私であった』

 

 

 不知火海の漁師であった緒方さんの著した本です。「チッソは私であった」という意味は、直接本を読んでいただいて、各々の理解・解釈をしていただければいいと思います。

 

 水俣病裁判は、人間とは、社会とは、自然とは、罪とは・・という根源的な問いかけであったはずが、いつのまにか「損賠賠償請求事件」になってしまった。

 

 チッソと言う会社の恩恵を自分自身も無自覚なまま受けて来たし、個人の力ではどうにもならない大きな社会のシステムに、いつの間にか自分も組み込まれている。

 

 水俣病の被害者として、加害企業を激しく指弾する先に、自分自身を見つけてしまったのかもしれませんね。

 

 これから50年先、100年先にも読み継がれてほしい本です。

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