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「ふつう」について考える



 日常生活の中で「ふつうでいいです」「ふつうでお願いします」など、「ふつう」という言葉をつかうことがあるよね。

 僕の場合、床屋に行って「もみあげどうしますか」と聞かれれば「ふつうでいいです」と答えてます。最近は店員さんの方から「もみあげはふつうでいいですか」と先手を打たれることもふえました。

 また、家系らーめんの店では、麺の固さ、スープの濃さ、油の量について「いかがされますか」とスタッフから聞かれるよね。最近でこそ「固め、濃いめ、少な目で」とお願いしていますが、2年くらい前までは、「いかがいたしましょう」ときかれて「全部ふつうでお願いします」と答えていました。

 まあ床屋やラーメン屋での「ふつう」なんて ささいなことですが、これが学校生活での態度や、生き方の問題で「ふつうになれ」「ふつうでなくてはいけない」とがんじがらめになってしまっていることも、あるように思います。

 そういう場合の「ふつうに」というのは、「みんなと同じようにふるまえ」という同調圧力ですね。

 確かに「みんな違って みんないい」のですが、自由奔放すぎる社員を目の当たりにすると、「せめてふつうの社員になってくれ」と心の中でつぶやく、初老のおじさんでした。











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