東京出張のおり、時間が空いたので、市ヶ谷から靖国通りをとぼとぼと歩いて神保町に行きました。学生の時はよく来ていたけど、この街に来るのは20年ぶりくらいかな。古本屋街といっても、鉄筋コンクリート4階建って感じの店舗ばかりですが、店の品揃えは流石に マニアックですねえ。
で、前々から欲しかった本が ズバリ見つかりました。神保町の面目躍如です。それは、松下竜一の『風成の女たち』です。氏のルポ作品としてのデビュー作ですね。この「風成闘争」の概要は、僕が下手に繰り返すより、大分県立図書館のホームページから引用したほうがいいでしょう。
臼杵市の中心部から東に4キロメートルほど行くと小さな集落があります。そこが臼杵市大字風成で、かつては突きん棒漁(船の上から、先端に銛をつけた長い棒で泳いでいるカジキやマグロなどを突いて仕留める漁法)で有名な漁村でした。昭和40年代に、その風成地区の目と鼻の先の海(日比浦。現上浦(うわうら)小学校の前の入江)を埋め立て、セメント工場を建設しようとする計画が持ち上がりました。それを知った風成の住民たちが身を挺してセメント工場建設を阻止しようとした住民運動が風成闘争です。
昭和45年2月、市議会で工場誘致が決定し、漁業権を持つ臼杵市漁協も日比浦の埋め立てに同意しました。ところが誘致工場に隣接する風成地区から、粉じん公害を受けるとして強い反対運動が起こり、この動きは全市に広がりました。賛否両論がうずまく中、誘致の是非をめぐり臼杵市は大いに混乱します。同年4月7日、去る3月21日に開いた臼杵市漁協の臨時総会の漁業権放棄の決議は「無効だ」として、風成地区漁民56人が漁協組合長と市長を相手取り、漁業権確認の訴えを大分地裁に起こしました。
しかし12月25日、水産庁の認可をうけた大分県はセメント会社に対して埋め立てを認可しました。昭和46年1月6日、セメント会社は測量を開始します。これを知った風成地区反対派の住民たちは激しい抗議行動を展開します。とりわけ主婦たちの活躍はめざましく、厳寒の降りしきる雨の中、実力排除に備えて雨ガッパの上から腰に荒縄を巻き付けて、数十人もの人が作業イカダの上に座り込むなど必死の抵抗行動をとり続けました。
一方、風成漁民の漁業権確認請求訴訟(いわゆる風成訴訟)は地域開発か、公害予防か全国の注視を浴びる中、昭和48年10月福岡高裁で結審し漁民方の勝訴となりました。セメント工場の建設は断念せざるをえませんでした。風成闘争は日本の公害予防運動史上きわめて大きな意義をもつ闘争といわれています。
以上が、大分県立図書館のホームページからの引用です。
この本には、地裁で勝利したところまでしか描いていないのです。なので、てっきり早合点の僕は「きっと 控訴審ではお決まりの“原告敗訴”したんだろうな」なんて勝手に思っていました。しかしですよ、現実は、控訴審でも勝訴し、工場建設を断念させたのです。
この本を読んでの第一印象は「ああ 今でもこの構図は変わってないなあ」です。「住民同士が賛成派と反対派に分断され憎しみ合う」「一企業の代弁者の役割を自治体が果たす」「多額の補償金を得た人は、坂道を転がるように荒んでゆく・・・」
今改めて 学ぶべき闘争記録だと思います。