秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

菜菜子の気ままにエッセイ   SANE著

2007年08月09日 | Weblog
スカイブルー
携帯電話の調子が悪くて、まさに打ち終わろうとした瞬間に、せっかくの美しい文章が、突然消えてしまう。消えたかと思うと、電源が勝手に入り、三回位続くとさすがに気の長い?私の堪忍袋も、「何これー」と言うケタタマシイ独り言の罵声とともに、爆発する。今も内心、冷や冷やしながら打ってます。こんな小さな文明の固まりに、脅されているようで、少々不甲斐ないと思いつつも、やっぱり書いていると、主人にフラれた事の現実から少々の時間は、回避できる。有り難い。瞳を閉じるとあのイ、ビョンホンと同じだろう首の回りを思いだす。私達のそう遠くはないので、すぐに思い出すことの出来る?若ーい頃は、こんな便利なもの出現してなかったから、相手に伝える手段は、直接会う努力をするか、黒い電話のダイヤルの回転音を聞きながら、相手がでるか、親がでるか、ドキドキしながら、受話器を持っていたものだった。あの時間は、全てのエネルギーを、人差し指に集中できた。最近は、貧血がきつくで階段の途中で、ドキドキする位で、人差し指に神経を集中する時は、他人の悪口を言いながら、相手の背中を指さす位だ。なんて言うのは、悪い冗談で、私は相手の背中に向けて、指は指さない。正面に向かって、のるかそるかのタンカをきるか、言えない時は、ひたすら相手に怨みの念を送る。母親が昔、よく私に言い聞かせた諺がある。「言いたいことは、明日言え。食いたいものは、宵に食え」あの諺を守り過ぎて、言いたいことは、日付けがカワッテモ言えないままに、ねぐらなままに、大人になり、あれよあれよという間に、歳を重ねてしまった。親からの影響は重い。主人は娘達が小さな頃、このお金がカッコイイだろうと、自分の持っていた、十円玉と娘達がお年玉で持っていた百円玉を交換させて喜んでいた。十円玉を貰って娘達は、キャーキャーとはしゃぎ、主人は必死で百円玉を数えていた。私は、遠まわしにそれを観ながら、この娘達は将来算数は絶対に出来ないだろうと、確信した。確信は数年後に、ズバリ適中した。娘達は、最近私に、こんな事を、言ってくれる。「無理して仕事行かなくても、母さんの食費位みてあげるから、のんびりしない」言ってくれるのは、有り難いけど、食費だけでは生きていけない現実を、今度娘達に教えてあげよう。つくづく感じる。危機感のないブラス思考。あの薄い財布で、親を養うと断言する。さすが、寛大。主人のコピー細胞。今日は、電源も切れないで無事に、終われました。本日の祖谷の空は、スカイブルー。一秒で変わる雲の形を満喫できました。山と空と雲。単純で美しい。景色は、胸を打ち、風は心に届き、生かされている瞬間に感謝し、全てにアリガトウと言いたくなる。秋の気配を感じる風の中で。
コメント
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