秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

菜菜子の気ままにエッセイ   SANE著

2007年08月30日 | Weblog
世界陸上
世界陸上が、熱い。大阪を舞台に熱い風が吹いている……が私の生活とは、ムカンケイ。今夜も、静かな夜だ。愛犬の柴犬「ゴン」が老体に鞭うちながら、時々吠える。テレビを消せば、祖谷川の音が聞こえる位で、瞑想をするのには、祖谷は絶好の場所だろう。たまに、前の山の中に抜けたトンネルに救急車が入った時のあのサイレンの音が、聞こえた時などは、妙にざわつく。自分には関係ないのに、取り敢えずテレビを消して、サイレンの音が、耳鳴りでなかった事を確かめる。救急車が引き返した時間で、どこの集落だったか、想像などしてみる。陸上と言えば、思いだす中学の時の、イマイマシイ出来事。ハードルの選手が誰もいなかった。いなかったというか、誰も出場したくなかったのだ。校内陸上大会。クラスの嫌な視線が超高速で私に集中した。私は、今も昔も「いいひと」すぐにOKした。そこで前置きしておくが、私は真っ直ぐに走っても、めちゃくちゃスローだった。短距離を必死で走っても、マラソンかと言われた。三段跳びは、スキップかと言われた。バレーの回転レシーブは、モグラが穴を掘っているのかと言われた。そ、そんな私にハードル五十メートル?「なんてこっちゃ」ハードルは、「がんばれー」という無情の歓声のもとに、すぐに終わった。いまで言えば二時間待たされて、三分で終わる診察と似ていた。気がつけば、やけに膝小僧が痛い。任務を終え、クラスメイトに向かい手を振り、爽やかに後ろを振り返るーー。ハードルがすべて倒れていた。知らない子供がこの種目を始めてみたら、ハードルは倒していく板の数を競う競技なのかと、学習するだろう。あの時、子供がいなかったことを、祈っています。水泳をやれば、「溺れながら偶然前に進んでいた」と言われた。確かに自分でも苦しかったから判っていた。バレーボールの試合に初めて出場させられて、二回続けてレシーブをして、審判の非情の笛が体育館に響いた。嫌ーな顔で、笛を吹いていた、あの時のオッサンは、まだ笛が吹けるのかな~老後を心配してあげている、私って、本当に「いいひと」あれ以来、私は陸上の世界から足を洗った。世界陸上を見て、あの時の感動が、ヨミガエッテきた。今は、運動と縁を切り、研究者になった。ゴキジエットとキンチョールの吹き付ける回数で、ゴキブリが何回転しながら死んじゃうか?二つを交互に吹き付けてみる。結果は、企業秘密なので言ってはいけない。日々の苦しい練習に耐え、戦うスプリンター達。大阪は、熱い。私は、日中ただ 熱い。低血圧でなかなか起きられないが、布団の中でシンクロナイトスイミングのような、異様な足芸をして、私はようやく、布団からはい上がれる。明日も一般人の仕事を、頑張ろう。一般人の気持ちを理解する努力も、大切だ。今日の祖谷の空は、淡いスカイブルーに、雲の波が、幾層にも広がり、空の海を満喫できました。自然界の不思議パワーに合掌ー。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする