秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

菜菜子の気ままにエッセイ   SANE著

2007年08月27日 | Weblog
千の風になって
「千の風になって」が、百万枚のミリオンセラーになった。去年の年末、娘達が私に気を遣ってこの本とCDを買ってくれた。私は本当に変わり者。主人はお墓にいて、鈴を鳴らせば、仏壇にきてくれて、魂は私と共にいると信じている。だから、やたらと独り言が増えた。なんて、バラバラの思い込みだろう。剣山は、富士山の隣にあり、剣山の神は、日本全国に在ります?そんなめちゃくちゃな話しを、組み立てているように、思う。
人は、意識の中で生きている。「あの世なんてない、死んだらそれでオシマイ」と言いきる人々に問いたい。あなたの家のお墓を、足で蹴れますか?多分、蹴ることには、躊躇するのではないだろうか。宗教感が、希薄になった。法要は、いつしか生きている者の都合に合わされるようになった。故人の魂を供養する、昔から宗派によって、決められた日がある。今は、生きている人に合わせて、法要を営む。こだわらなくなった宗教感の希薄と共に、人間の意識が少しずつ欠落していくような、一抹の不安を感じるのは、私だけではないだろう。「祈り」を知らない人間が、蔓延る。祈りを避ける者達は、自分が気持ちのいい、時間を過ごす事を優先する。結果、自分勝手な人間が蔓延る。この国が、オカシクなった始まりは、「魂」を重んじることを、忘れてたからではないだろうか?自分で書いてて、訳が解らなくなってきた。判らない事を書く。私も、自分勝手なのだ。主人の命日は、十一月一日。去年、納骨の日に親戚にその手前の日曜日を選んで、一周忌をするように、言われた。その時は、そうするわと答えたが、ずーと考えていた。娘達も言っていた。「その日は、父ちゃん生きとったよ!オカシイよ」
私は、主人の最期の声を聞いた家族三人とお坊さんだけで、一周忌をすることを決めた。
お坊さんに、電話をした。「家族だけで、営みたいので、午前9時半に来て下さい。」主人の息の引き取った十時十五分には、お経の中で主人の魂に迎いあうことができる。あとは、主人の親戚の反感をかうだけだが、最期に手を握っていた、家族の絆と思いは他人には判らない。お坊さんに、変更の連絡をしたら、心のモヤモヤが少し晴れた。
毎朝父と母と主人にお茶とお水をお供えし、お線香を別々のお仏壇に立てる。私は、三人の仏様と暮らしている。主人が母達の仏壇に、よくお供えを買ってきてくれた。
「これ、おかあにお供えじゃー」大量のお菓子。有り難いことに、レシートも私の前に差し出してくれている。よーく見ると、主人の大好物ばかり。「なーにこれ?父さんのお菓子ばっかりじゃない」主人は、あの垂れた小さな目で笑った。「おおーそうか~?」昨日の事のように浮かぶ。八月二十四日、友人の夫の命日が終わった。彼女の長い一日が終わった。彼女と子供は、夫が四十七歳で終えた生涯の盃を、神に返杯した時刻に祝詞をあげた。ローソクがゆっくりと揺れていた。その絆に入りこめる者など誰もいない。彼の手造りの家の屋根に半月の月明かりが煌々と輝いていた。
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