秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

奥祖谷秋風景

2008年10月16日 | Weblog
消えた集落 里の江は荒涼とした風景だが、何か懐かしく幸せが漂い
居心地のよい集落跡だと雲上寺の和尚は感じていた。

秋風に雲は流れ十三夜の月は見え隠れしながら里の江を照らし、
霧が微かに湧きあがる風景に、ここに住まわれし人達が幻のように現れては消えてゆく。
その人達の笑顔や悲しみからは幸せな山村の生活が浮かび上がっていたが
それはいまの世の暮らしよりはずっと豊かな心の暮らしぶりであったようだ。
すべてのものは変化して滅び去り消え去り流されてゆくのが常であり、空の空なり。

ブッタの教えである般若心経(智慧の完成の教え)に
全てのものの本質が)説れる。
この世の全てのものは空なり、全ての現象は変化して流され
一時も存在する事なし、すべては変化して空となるのが常なり
感情も、概念も、意思も、知識も変化してゆくものなり
世の中には変化してゆくという定めがあるだけである。

それ故、眼、耳、鼻、身体、心、も無く、色、声、香り、味、
感触、現象も感じることなどできない。
すべてを生成変化とすれば生も死もない、生死が無いから苦悩もない
過去も現在も未来もすべては智慧の完成を求めるものである。

雲上寺の和尚は今更のようにブッタの教えが、里の江の光景に似ているような
錯覚に襲われ感嘆にも似た声で般若心経を唱えた。
コメント
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