秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

菜菜子の気ままにエッセイ(てらおの兄さんのてんご新聞・転写)

2012年11月09日 | Weblog
てんご新聞185号より
(秋に想ふこと)
早くも2012年もあと二ヶ月になりました。月日の経つのが早く感じます。
ようやくと言うべきか、早くもと言うべきか、十月で母が生きた年月を自分もいきてきて、
母より長生きをしています。

長いという感じがしません。いつの間にか、その時が来たという印象。
その時その時代を夢中で生きてきた結果、今日を迎えた印象が強いです。
ふる里祖谷に帰って18年目を終えようとしていますが、Uターンした時は、特別何かをする目標もなく、
暮らしはじめ田舎を楽しんでる内に、便利さを求めず不便を楽しむすべが、身につき
田舎、山暮らしの楽しさ、面白さに気がつきました。

母がまだ元気な時は、田、畑が多く残って娯楽よりも仕事の時代。父よりもよく働いていた印象が、強く残っている。
その田畑は、今杉林になってしまって、風景は様変わり。ということは、生態形も大きく変化しているけれど
声高に叫ぶ者もいません。そんな杉林中心の祖谷になっても面白い。田畑がなくなり、
苦労する農作業中心の生活をすることがないから、面白いなんて言う〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇

※読めない原稿の端っこが、キレている

家の庭まで、鹿猿猪がやって来る様になって、農作物等の被害が多くて苦労はしますが
祖谷を去ろうなんては、考えもしません。
私が生きて来た年月、多くの事物や人を失くしてきました。
失くしたのは、父や母だけでなく、少なくない知人、友人とも別れてしまいました。

帰省して親しくなった皆さんの中でも、年上の人ばかりでなく、年下の人も失くしてきました。
父と母と同じように、私の胸の中だけでは、生きています。
田畑だけでなく、家々をはじめ、多くのものが失くなっています。
最大のものは、祖谷という山村に、人が住み初めてから、代々営々と築き上げてきた物。
ここ数十年で失くした物は、お金を払っても、取り戻すことが出来ません。
時代の流れとして、受け入れるしか、ありません。

過ぎ去ってしまった時代には、戻れないのだから、これから先、自分はどう生きるのか
どんな時代を生きるのか、考えても、どうすることも出来ず、今までの生き方のように、
生きるしかありませんので、やっぱり楽しく、面白くと思います。
多くのものを失っても幸福を感じています。

人生悪くないなあ!
一人暮らしでも、孤独感は感じません。欲しいものも、特別ありません。
いつの間にか、足ることを知りました。

ただ冬になりはじめると、活動が鈍くなって来て、冬眠をはじめるだけです。
元気なら、また楽しい春を、迎えれます。ちょっと気になるのは、保険証の色が変わったり
介護保険証が送られて来て、まわりから「老人」あつかいをしてくるので、少しずつ気持ちの変化が
出てくるのではという事です。秋も深まり、風向きが変わると、こんな事を 想う日々です。

以上
以下、菜菜子の想う事
※手書きの文字読みにくい
※携帯に打ち直していたら、夜中を過ぎた。シンデレラになった。眠たい。お腹空いた。
※いっつもいよるのに、新聞端っこ、用紙がはみ出して、なんて書いとるのか 読めん
※欲しいものないんなら、私が代わりに、使ってあげます。任せなさい~~♪
草 々





















































コメント (2)
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