秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

道後湯の町夏点描 湯の町ぐらし 山間の集落に涼しさを求めて

2016年08月03日 | Weblog



わが家から車で20分の山間地である藤野、川中集落は石手川の最上流域になり気温も
3,4、度低いくらいで夏に涼むにはもってこいの集落である
石垣を積んだ田圃が広がる集落の山裾に古寂びた寺が見える。円福寺という石柱が立っていた。

山すそにひっそりと佇む天一神社のすぐ傍にしずかに円福寺の本堂や鐘撞堂などが建っている
天台宗のお寺で、平安時代に建立されたと伝わる古いお寺である

境内にはかなり大きな句碑が立っていた、漱石が詠んだ俳句が刻んである、
「山寺に太刀をいただく時雨哉」の俳句である、詳しく聞こうと住職が出てくるのを待ちかねて聞いたところによると

明治28年11月、松山中学校で教鞭(きょうべん)をとっていた漱石は明治28年に円福寺を訪ねた、
漱石は、円福寺に、南北朝時代の武将新田義宗(新田義貞の第三子)と脇屋義治(新田義貞の甥)の墓と遺品があると
聞いて出かけてきたという。

遺品の太刀や甲冑を見てもう一句「つめたくも南蛮鉄の具足哉」と詠み、墓に参って「塚一つ大根畠の広さ哉」
「応永の昔し也けり塚の霜」と詠んだという
本堂は明治元年に建てられたもので漱石が訪れたときのままの建築である
「山寺に太刀を頂く時雨哉」の句碑は集落と山寺の静かな佇まいの昔を留めている

漱石が来た当時の本街道は、奥道後の杉立の山中から青波に出て、日浦に出た荷駄が通うくらいの小さな道であった、


しばらく境内を散策していると、大音響のBGMを鳴らしながら食料品などを満載した
移動スーパーの車が境内に乗り入れてきて早速店開きをはじめたそのうち
音楽を聴きつけた近在の人たちが三々五々と集まってきて入用の品を買い求めていた

お年寄りにとって、日常の買い物は大変である、日なかは若い衆は町に勤めているから
車がない限り町に出かけることは出来ないわけで、このような移動スーパーは大助かりである



























































































































































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