美香さんは、湯飲みの中に入った液体をシキビの葉っぱの先に少し付けて
三回同じ動作をしながら、最後に葉っぱを小皿に戻して、手を一回合わせた。
美香さんが、僕と交互に後ろに下がって、僕がシゲ爺さんの傍に座り直した。
緊張感はピークに高まり、シゲ爺さんとのお別れに浸る余裕など無く
僕はロボットの手の様なギコチナイ動きをしながら、シキビを親指と人差し指で摘まみ
湯飲みの先に付け、浸けすぎて持ち上げた葉っぱの先から滴が落ちて、シゲ爺さんの顎の下に流れた。
焦って二回目は少し浸して上手くいったけれど、三回目に失態をおかした。
油断して、三回目に口元に葉っぱの先を付けながら、
「三回めっ」
と、つい口に出してしまった。
美香さんが、僕の後ろで呆れた様に「もう…」と呟いた。
美香さんは息子さんに、明日から仕事が入っているからと、御香料を渡していた。
僕達は隣の部屋に移り、暫く座っていた。
数人がお酒に酔っていて、美香さんが最初に口にした
「できあがっているみたいね」の意味がようやく、判った。
美香さんは、「ちょっと手伝ってくるわ」と言いながら、台所に向かった。
「88かぁ、シゲ爺も本望じゃのう~」
「だいたい、昨日は誰が公民館に連れていたんなら~昨日酒を飲まなんだら
まだまだ長生きしたかもしれんぞ~」
「途中で誰っちゃあ、気づかったんかえ!?せこげえにしよっとろが~」
僕は酔っぱらいの中の悪辣な顔をした人と、一瞬目が合った。
手に紙パックの焼酎と、湯飲みを持って、僕の傍に座った。
「お~噂の古寺の坊っちゃんか~わしは、お前の母ちゃんをよーく、知っとるぞ~
お前の母ちゃんは、死んだんじゃのう、気の毒なのうや~、
お前の母ちゃんとおらは、若い時に付き合いよったんぞ~」
と声を張り上げながら、体を前後に揺らし、不快な笑みを浮かべて、僕の顔を覗きこんだ。
「おらと結婚しとったら、後家さんにならんと、すんだのにのうや~
おらは事故やでは、死なんぞ~」と陰湿な顔で鼻で笑った。
今まで感じたことのない激しい怒りが、身体の奥から込み上がってくるのを感じた。
回りに座ってた人が、その人の腕を掴んで、言葉を遮ろうとした瞬間
僕は相手の胸ぐらを左手で掴んで立ち上がり、拳を振り下ろしかけた時、美香さんが台所から声を張り上げた。
「二人共、通夜の席でのプロレスごっこは止めなさいっ!」
僕達は、その場に膝をついて、座りこんだ。
美香さんは、台所から何かをお盆にのせてきた。
酔っぱらった男の人の前に、お椀に入った物を差し出しながら言った。
「オッチャンは、深酒しなければ、ええ男なのにね~蕎麦米雑炊でも食べて、酔いを醒ましてね」
酔っぱらった男の人は、頭を掻きながら炬燵に戻って行って、そのまま横になって、イビキをかいて眠っていた。
宮さんに似た雰囲気の、眼鏡をかけた男性が、僕の傍に来て、笑いながら言った。
「イビキのあの人、昔君のお母さんに告白して、フラれたんだよね~
あんな悪態キャラで、誰が嫁に来るかって話だよね~」
雑炊を食べながら、首に巻いたタオルで、湯気で曇る眼鏡を時々拭いていた。
その人は、今の区長さんで母の下級生だったと話した。
シゲ爺さんの通院とか、買い物に付き合わされて、お礼はお昼のご飯だったと、楽しそうに話していた。
「この人は、祖谷が恋しくて、Uターンして帰って来たテラオさん、千葉のポストマンだったのよ」
美香さんが、紹介してくれた。
僕はちょっと落ち着いて、母が作ってくれて知っていた、蕎麦米雑炊を食べた。
「森田真面目くん、ケンカ出来るんだね~やるじゃない~指先ロボットくん~」
美香さんが、僕の腕をツツイテ笑った
騒がしいこちらの部屋とはお構いなしに、
シゲ爺さんは、奥の部屋で一人で静かに死んでいた。