秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

小説  斜陽 最終章(前編)  SA-NE著

2018年02月11日 | Weblog


昨夜降った雨で、祖谷川は水嵩を増していた。
彼方の山々を包む空が、淡く燃え立つ様な、オレンジ色の朝焼けに耀いている。

朝の5時半に僕達は、久保山の麓に建つ、お堂に着いた。
お堂は成長した杉の大木と竹林に囲まれ、夕刻の様な静寂に佇んでいた。
何処かで蜩が鳴いていた

地面に生えた夏草は、所々きれいに抜き取ってあり、柔らかい土が、剥き出しになっていた。
芝生みたいな低い雑草が、剥げかけの薄緑の絨毯みたいに、お堂の庭一面に広がっていた。

苔蒸した古い石垣の隙間には、雑草が垂れぎみに遠慮がちに伸び
昨夜の雨の雫が、葉先にしがみついていた。

一枚一枚の葉先から、異なる幾つもの匂いが放たれて
呼吸するそれらは自然界の造りだす虚空の結界みたいに思えた。

美香さんは、車に積んだ荷物を出して、ゆっくりと準備を初めていた。
境内の隅には、竹を組んで作った棚が、置いてあった。
紐の代わりに藁を使い、まるで竹の工芸品を見ているみたいだった。

「その棚は、ヒダナって言ってね、タツミの時にも同じ物を作るのよ」
美香さんが、こちらをチラッと見て教えてくれた。

僕が昨日渡していた、母の戒名を、美香さんは白い短冊に写していた。
その短冊を「お位牌のダミーだから」と言いながら、竹で組み立てた、棚の上に乗せた。
もう一つの棚に、美香さんのお父さんのお位牌が置かれた。

その前に仏様の小さなお膳が置かれていた。母の四十九日に見た物と同じだった。
僕の母のヒダナにも、同じ物が紙のお皿に容れて、盛られていた。短冊のお位牌に、紙のお皿の仏飯器。
高尚な住職が見たら、悲鳴を上げて叱るのだろうなと、想像したら可笑しくなった。

6時前から、集落の人達は何処からともなく、集まってきた。
対岸の山に霧が生まれては、消えて行く。
あの鐘の音が、流れてきた。太陽の光が、杉の木立から零れてくる。

美香さんの隣で、集落の一人一人に僕はひたすら頭を下げて、挨拶をした。
シゲ爺さんの息子さん夫婦や、あの時居た集落の人達が集まっていた。
一度会っただけなのに、昔からの知りあいみたいな、不思議な居心地だった。

僕が殴りかけたあの男性は、別人みたいに大人しそうな佇まいで、銀杏の木の根元に立っていた。
美香さんは、日本酒を詰め合わせた箱の上に、のし紙に森田と書いた物を準備してくれていた。

「集落への礼儀だからね、立て替えだよっ、お金は立て替えだよ」と二回も囁いた。
「気を遣わしてすまんな、ありがとう」と集落の人がお礼を言った意味が、後から判った。

礼儀を欠く事が、一番嫌われる事だと、美香さんの持論みたいだった。
集落の今年の新仏様は、3人なのか、3つの棚が置かれていた。
一列に並んで端から順番に手を合わせていく。

棚の上には、何も置いてない里芋の葉と、生の米粒が一握り乗せてある里芋の葉。
薄紫のハギの花の先端とハギの花の茎で作った短い箸が添えられていた。
その横に湯飲みに入れた水と鈴が置かれていた。

シゲ爺さんのお通夜の時の作法に似ていた。僕は美香さんの隣で、必死でやり方を見ていた。
里芋の葉の上に箸で生の米粒を挟んで置いて、その上からハギの花の先に湯飲みの水を三回、少しだけ付ける。

そしてリンを鳴らして、合掌。これが一連の作法だ。
鈴を鳴らす回数は、統一されていないのか、みんな違っていた。
見渡せば、三十人程が、お堂に集まっていた。

数人に抱えられるみたいにして、お堂の縁側に凭れていた、高齢の老人がいた。
シゲ爺さんの面影があって、美香さんに聞いたら、シゲ爺さんの弟で
普段は地元の施設に入所していて、お正月とお盆だけ、家族が自宅に連れて帰っているとのことだった。

その老人の傍に、シゲ爺さんの息子さんが、僕を連れて行った。
森田のシヨちゃんの息子さんだよと、僕を紹介してくれた。

僕は照れながら、頭を下げた。シゲ爺さんと同じ目元をしていて
シゲ爺さんが少し若返って現れた幽霊みたいで、妙な感覚がした。

「そうか…シヨちゃんは、元気にしよるか」
斑な無精髭を伸ばした老人が、柔和な表情で僕を見て、顔を綻ばせて悦んでいた。

「そうか…シヨちゃんは、元気にしよるか…良かった、良かった」と頷いた。
「親父よ、何回も言わすなよ、森田のシヨさんは、去年亡くなったって、さっきから言いよるだろっ!」
息子さんが、老人の耳元で声を張り上げていた。

僕は老人の耳元で、声を張り上げた。
「はいっ、母は元気に暮らしてますっ!」
老人は うん、うんと二回頷いて、僕の頭を撫でた。
美香さんが、チラッと僕を見て、微笑っていた。

お堂の畳の間では、集落の人達が、お経を唱え始めた。
電柱に止まった痩せたカラスが、二回鳴いた。
棚の傍に祀られていた松結わえと、一メートル位の長さに切ったしのべ竹を、
数人の人達が境内の隅に一箇所に集めていた。

送り火の儀式、火とぼしの供養が始まろうとしていた。
蝉の声が、木々を伝いながら響いている。
一陣の風が渡り、落葉樹の葉擦れの音がした。
























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