■今日の映画は10年前に日韓両国で大ヒットした在日監督の「焼肉ドラゴン」で僕はまったくこの作品について知らなくて予備知識なく見た。これは半分韓国語だからchiHaやJunHeeにも見てもらいたいと思った。大阪万博のときだから日本の50年前、環境汚染でいえばハノイの現状と同じ時代。そうだたしか戦後日本に残った在日・朝鮮人、韓国人が帰国を選択出来た時があったがその時の話だったか、、。兄弟が北と南に日本から分かれて行くという設定はショッキングだ。そういえば僕が始めてソウルに行ったのもそのころだ。在韓日本人妻にあったり、親日的な医者の家族の家でおばあちゃんの反日抗議を泣きながら聞いていた記憶が蘇った。フレンドリーな若者たちからも反日批判をうけた。今の韓国の反日活動はその時のトーンと変わらないのに日本側から見ると最近反日になっているような報道ばかりだ。その時のソウルは貧しかった。貧民窟の写真の載った岩波新書や朝日ジャーナルはとりあげられたし、「朝鮮語会話」の本の「朝鮮」という字が見られないようにしないといけなかったし街には「朝鮮人スパイをみつけ密告しよう」という張り紙があって、田舎で僕たちがバスにのると乗客が皆いなくなるようなこともあった。あのとき出会って一緒に旅した韓国語を話す「康子」さんがいなかったらあの旅は記憶にのこることがなかったかもしれない、、、。
帰宅して階下あひる肉レストラン(そうだこれからここを「あひる食堂」と呼ぶことにしよう)でミエンを食べていると、店主の友達らしき刺青の兄ちゃんが来て話しかける。どうも、おれの親は死んだがあんたぐらいだから俺の親父だ、みたいなことを英語まじりで言っているようでもあるが、まったくわからない。店主に通訳させようとする。彼のベトナム語の方がわかりやすいけれど、やはりベトナム語なので、、。僕がたべていたミエンをとりあげて、こっちは食うな、こっちのアヒル肉の皿を食え、と言って手で肉を僕の口に入れる。最後に明日これで飯食えと10万ドンを僕の手に、、。エレベーターの入り口まで来てハグ!、、なんじゃこれ「焼肉ドラゴン」最後のシーンみたい。
さて、寝る前に「焼肉ドラゴン」インターネットで調べていると戸をたたいて守衛のタオが呼びにくる「下で飲もう」。
そして、もうシャッターは下りているのでトイレの側から「アヒル食堂」にはいると27歳の若い店主と、あの宇宙人みたいな0歳児をかかえた嫁さんと、おふくろさんが待っていて、チャウを出してきて食え、飲め、、、またかよぅ、、、、。タウもきて独特の早口でながながと、、多分、コーシン(私のこと)は前のニュウに馬鹿高いチャンレオを1日2杯ものまされて、、、なんて話なんだろうが、、も、いい、眠い、さいなら。
ほんと、ここ、ハノイの「焼肉ドラゴン」やわ!