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高校生×ライカ×マシーン・エイジ=抽象画家 (まさか)

所用で成城学園に出かけたついでに、清川泰次美術館で開催中の
文明賛歌・清川泰次が写したマシーン・エイジ」展に寄る。

前回なにげなく訪れれた際に開催していた
清川泰次が写した昭和15年のメトロポリス 大東京」が
「皇紀2600年」×「建築一杯写ってます」で面白かったので、
今回の展示も楽しみにしていたが、やはりなかなか良かった。

建物は画家が生前使用していたアトリエを改装したもので、
ジャパニーズ・モダンのセンスが参照されているように感じらて愛らしい。
スペースが小さいので展示できる量は限られているが、
逆にこのような焦点を絞り込んだ企画が活きるのだろう。



展示されている写真の撮影日などの細かいデータは不明とのことだが、
概ね1930年代後半~40年代前半(つまり昭和10年代)ということらしい。
確かに写真に写っている「LEICA NEWS」には「JULY-AUG 1938」の文字が見えるし、
映画のタイトルを写した写真にある「忘られぬ瞳」は、1939年の映画のようだ。
・・・そして、空襲後の焼け野原を撮った写真もある。

お楽しみの建築は、曾根中條事務所が設計を手がけた慶応日吉キャンパスの
一号館(1934)、二号館(1938)の写真が展示されている他、
展示ケース内のアルバムには谷口吉郎設計の
慶応大学日吉寄宿舎(1937)の写真も確認することができた。
竣工後日の浅い時点での、これらの建築の貴重な姿が収めらていることになる。

ところで清川は1919年生まれなので、1939年時点でまだ20歳。
1936年に慶応の予科に入学し(今で言う高校生)、写真部に入部、
すぐにライカを使い始めたようなので、なかなかリッチな学生であったことが伺えるが、
HPを彷徨っていたら「使い方を日本工房の木村伊兵衛に習った」という記述に遭遇した。
未確認情報ではあるが、いずれにせよカメラへの傾倒が生半可なものでないことは伺える。

展示されている写真は新興写真の影響も感じさるが、独特のモダンなセンスが爽快だ。
今回はそれがより伝わると思って敢えてチラシの裏面を紹介した次第。

注)日本工房は1933年に名取や伊奈、木村などにより設立されたが、
  伊奈、木村らは意見の対立により1934年には日本工房を離れている。
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