楽しいお散歩

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 自然豊かな多摩地区、そこには歴史の宝庫の神社仏閣もありますね。

埼玉方面へと出かけました

2023-10-23 19:31:35 | 日記

降り立った駅はここです。

北口へと向かいます。

程なくすると、

大和田小学校が、進行方向右側にあります。さらに進みましょう。

道沿いの高台に、小さなお堂のようなものがありました。ちょっと登って見ます。

お堂の中には、このような像が立っています。お堂の横に説明版もありました。

「鬼鹿毛の馬頭観音」とあります、新座市の有形民俗文化財にも指定されています。何なのか、面白そうですね。元禄9年(1696)に建立され、新座市内では最古・最大の石造馬頭観音だそうです。読んで見ると、こういう逸話があるそうです。<秩父の小栗という人が、江戸に急用があって、愛馬鬼鹿毛にのって道を急いでいた。大和田宿に入ると、さすがの鬼鹿毛も疲れが見え、この場所にあった松の大木の根につまずき倒れた。しかし、さすがは名馬、ただちに起き上がり主人を目的地まで届けた。所用を終えた主人が先ほど馬をとめたところまで戻ると、居るはずの鬼鹿毛の姿が見えない。不思議に思ったが、仕方なく帰路を急いだ。やがて大和田の地にさしかかると、往路愛馬が倒れた場所に鬼鹿毛の亡がらを見つけた。鬼鹿毛は、主人の急を知り、亡霊となって走り続けたのだ。>という話です。村人は後に鬼鹿毛の霊を弔い、この馬頭観音を建てたとのことです。市内でも、最古、最大の石造馬頭観世音菩薩像だそうです。

                            つづく

 


いろいろあるなぁ

2023-10-02 10:04:50 | 日記

それでは、中をもっと見て歩きましょう。

練馬の屋敷林についての説明版です。ここも相当広い屋敷林ですよ。

こんな幟も立っています。NHKのテレビにも取り上げられた牧野博士が紹介されています。

これは、誰の像でしょうか、おそらく牧野博士の像ですかね。

こちらにも、きれいなアジサイがさいていました。

このような碑の傍には、キンモクセイの木があります。

まさに屋敷林を象徴するような木々があります。

それでは、こちらの庭園を後にして次の場所へと移動します。

                この稿終わり


実は、ここに行きたかったのです

2023-09-14 17:40:48 | 日記

大泉学園へと向かったのは、ここへ行きたかったのです。

こことは、東京都練馬区東大泉にある都市公園植物園)区立牧野記念庭園でした。さぁ、入りましょう。

丁度、アジサイの時期できれいに咲いてます。

こんなきれいなガクアジサイもありましたよ。

おやおや、何でここに郵便ポスト表示があるのでしょう? じつは敷石を見てください。この丸い敷石は、ポストの下にあった石を活用しているんですね。それで、この説明版があったのだ。

今度は、木の下でこんな像がニコニコ笑ってお迎えしてくれました。七福神の布袋尊像かな?

こんな見事な竹林もあります。ところで、練馬区立牧野記念庭園は1958年(昭和33年)に植物学者牧野富太郎の練馬区東大泉の自宅跡に、氏の業績を顕彰する庭園及び記念館として開園したのだそうです。2009年には、国の登録記念物(遺跡及び名勝地)に登録されました。2020年に東京都の名勝及び史跡に指定され、2023年には国の登録記念物は登録が抹消されています。園内には300種近い植物があり、牧野博士が命名したセンダイヤザクラや仙台で発見し亡き妻の名をつけたスエコザサ等が植えられています。現在は、牧野博士の次女・鶴代の孫である一浡(かずおき)が2010年より学芸員として運営に携わっているとのことです。

                         つづく


駅に近づいて来ましたね

2023-09-12 19:58:51 | 日記

今度は、小城山観音堂というお堂へ来ましたよ。

ここでも、地元の方たちが熱い信仰心を持って大事にされているんですね。きれいにお花が活けてありました。

豊島南長崎郵便局の2つ先の区画にあるお墓。コンコン通りという通りの入口にひっそりと在るのが、「伊佐佐兵衛」の墓です。伊佐家は今も存続していて、この近所に在るそうですが、個人宅なので特定するのは遠慮しておきます。現在は鳶職を仕切っていて、東長崎の駅前商店街・長崎銀座に年末に商店街に出る〆飾りの露店はこの伊佐さんのお宅が引き受けているそうです。そんなことから、ここ南長崎地域では昔から影響のあった家なんだろうなということは伺い知れ、神事の一端を担っているということで長崎神社(五郎久保神社)の氏子の中でも古参だそうですね。

ここが、その昔は「長崎神社」と呼んでたそうですが、正式名称は「五郎久保神社」。この「コンコン通り」という名称から、ここのご神体はお稲荷さんなんでしょうね。そのコンコン通り入口にひっそりと在るのが、「伊佐佐兵衛」の墓です。五郎久保稲荷神社は、豊島南長崎にある神社で、南長崎三丁目南部、四丁目、五丁目は、五郎窪と呼ばれていたことから、五郎久保稲荷神社と命名されました。全国でも数少ない北向の稲荷神社で、北向稲荷とも呼ばれていました。

何やら子どもの乗り物も並んでいますよ。ここは子どもの遊ぶ広場として開放しているようですね。

正面の別社は、榛名神社ということだそうです。それでは、駅へ向かいここから大泉学園方向へと行きます。

                   つづく

 

 


この先も面白そうですね

2023-09-11 11:59:12 | 日記

長崎公園で、一休みを終え次へと回りましょう。

この公園は、学習院大学の職員住宅跡地に平成8年につくられた公園です。豊島区では珍しくなってしまった「原っぱ」の公園で、ひょうたん型の築山のとなりは、雑木林風の空間と水遊びの出来る小川があります。公園の南側は芝生の広場と、区民の方が丹念に栽培しているバラ園があります。公園の外周をぐるっとレンガの小道が囲んでいて、ウォーキングを楽しむ人もいます。

公園を出て少し行くと、こんな建物にぶつかりました。これは介護施設だそうです。近くを見て回ると

こんな小さなお堂があります。ここにあるように、西向不動尊というお堂で東京都豊島区長崎2丁目30番地9号の住宅地の真ん中に祀られている、【長崎西向不動尊】といいます。旧長崎村西向(にしむかい)の人たちが大正15年に建立したそうです。最初は不動尊なのに「西向き?」と思っていたのですが、地名に由来する名前なのですね。この地より北の湧水のある洗い場にあったが耕地整理で現在地に移転。平成11年に再興されたそうです。昔はこの辺りにも湧水があったのですね。毎年五月あたりに例大祭があるとのこと。地元の方々に大切にされているのがわかります。

それでは、その先へと行きます。

今度は、住宅がの中に挟まれたようにして小さな鳥居が続いています。奥へ入って見ます。

小城稲荷神社と書かれた鳥居の奥に、祠があり本殿なのでしょうね。説明書きでは、小城稲荷大神は、豊島区長崎にある稲荷神社で、由緒は不詳ながら、小城八幡神社記念碑にある「江戸時代前期延宝年間(1678)小城八幡神社・稲荷神社・羽黒神社のお社を当時の村の有志の方々のお力で建立された」と記載のある稲荷神社と思われます。小城稲荷大神は、昭和22年10月創建、長崎三丁目町会長が代表者となり運営しています。

                 つづく