清水八幡宮という神社だそうです。立て看板には源義高終焉の地とあります。この人物は、どういう人なのでしょう?調べたところ、源義仲、というより木曽義仲の嫡子だそうです。頼朝により人質として鎌倉に送られ、頼朝とその妻の北条政子の間に生まれた娘の大姫の婿になっていたそうです。義仲が頼朝に討たれたのを知ったため、自分にも難が来ると従者6人ばかりを連れて祖父の義賢のいる大蔵館や義仲を助けた畠山重能の地(菅谷館)のある嵐山町へと逃げました。ところが、ここ入間川の河原で頼朝の追手に討ち果たされました。このくだりは「吾妻鏡」にも載っているそうです。その討たれた場所が、この付近ではと神社を祀って建てたのが清水八幡宮だそうです。
随分と質素な扁額のようですが、その歴史には深いものがありますね。
今度、訪れたのは「子之神社」という神社です。
何やら個人のお宅のようにも見える拝殿ですね。
入間川町誌によると、当初は慈眼寺というお寺の境内にあったそうですが、お寺が焼失し、一時諏訪神社の境内に遷されました。さらに、諏訪神社社殿改築の際に、ある者がご神体を家に持ち帰ったところ悪疫にかかり恐ろしくなり奥富村のある家に遷したそうです。ところが、ここでも一家が悪疫にかかり、再び諏訪神社の境内に仮宮を建てて祀ったそうです。後に子ノ神町内に社殿を遷し、ご神体を祀ったということです。子ノ神は飯能にある子ノ権現社の信仰で、本尊は子ノ大権現だそうですが、写真にある石造の祠は出雲神社だそうです。夏の7月半ばには例祭が行われ、子ども神輿も出るそうです。
つづく