途中で、訪れたのが大国神社という小さな末社とも思える神社です。
さらに進むと、赤い大きな鳥居があり、その先に拝殿があります。
天満天神社とあります。どういう神社なのでしょう。こちらの「風土記」によると、当地は古くから商家と農家に分かれていましたが、商家はとくには繁栄しました。それは、江戸時代から明治時代中頃にかけ入間川を利用した西川材という材木を運ぶ筏流しの商人の取引地として金を落としたからです。その後は材木問屋も多くなり、ますます繁栄したことから文化面へと目が向けられ学芸の向上を願って、天満天神社を勧請したものとされています。
祭神は、京都の北野天神社と福岡の大宰府天満宮から菅原道真公の分霊を受けて鎮座したものとされています。創建年代は明らかでありませんが、文久2年に改築されていた社殿を昭和37年に新築したとありました。
境内には、折りしも梅が咲き誇り正に天神社の栄えある姿を象徴しているようでした。
つづく