楽しいお散歩

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 自然豊かな多摩地区、そこには歴史の宝庫の神社仏閣もありますね。

神社ばかりに出会ったよ

2021-05-15 09:38:15 | 日記

ぼちぼち歩いて行くと、

子之神社と書かれた鳥居がありました。地元の守り神みたいな神社のようです。

こじんまりした本殿があります。また、しばらく行くと、

小さな社が見えました。近くに行くと大國神社とあります。

また、先へ行くと真っ赤な鳥居が見えます。

ここの神社は、かなり大きな神社で参道も長いですね。

丁度、時期は春先でしたが境内には梅の花が一杯咲いていました。

木の枝に隠れて、ちょっと見えませんが天満天神社という神社だそうです。

天満天神社(入間川)は、江戸期に木材物流で栄えた当地の商家が学芸の向上を願って天満天神の杜を勧請したといいます。当地の氏子は古くから商家と農家に分かれ、商家は殊に繁栄した。これは、江戸時代から明治中期にかけて入間川を利用した西川材搬出の筏流しが当地に一泊したり、取り引きの江戸商人が逗留し、宿屋や遊廓などに金が落ちたことによる。入間川はこのあたりで広瀬となり、筏を休めるには都合がよかったという。また、大正期には鉄道も敷かれ飯能・青梅と結んだ木材の問屋街の出現をも見たのである。当社はこの町の中心地に鎮座し、口碑によると、当地は古くから経済的に恵まれ、文化面に興味を示したところから、学芸の向上を願って天満天神の杜を勧請したと伝えている。祭神は菅原道真公で、『風土記稿』には神体座像なりとあるが、現在は白幣を祀っている。菅公が平安時代に天満天神として信仰されたのは、怨霊を慰めて天災や疫病を避けるものであったが、次第に菅公生前の人格や学識に対して起こった学問の神の信仰となっていった。当社は、古くから多くの物資・文化が流入する土地柄で農業や商業を営む氏子たちが日常生活に必要な読み書きを習う以上に、芸術の薫りを求めたことによって勧請されたのであろう。と解説がありました。歴史のある神社だったんですね。

                           つづく