来ましたよ、ここは以前から知っていた場所です。でも、今回はスルーしましょう。
それにしても、随分近代的な入口だなぁ。
ここは塚越稲荷社といい、塚越3鎮守の1つで、「東の稲荷」とも呼ばれているそうです。創建年代は明応年間(1492~1501)と伝えられています。社殿は6メートルほどの塚の上にあり、「塚越」の地名の由来になった塚といわれています。境内には、蕨の織物業を発展させた「高橋新五郎」と妻「いせ」を祀った機(はた)神社や、塚越稲荷社の別当を務め、足立坂東三十三箇寺の33番札所の定正寺(じょうしょうじ)観音堂など様々な文化財が残されています。
塚越稲荷社境内にあるこの石塔は、文政13年(1830)に田村善太郎らが造立したものです。道を守る神様の猿田彦(さるたひこ)を祀っており、石塔の両側面には、川口の芝・鳩ヶ谷・戸田・江戸への道しるべが刻まれています。また、この石塔は、蕨宿の石工として有名な「卯之助(うのすけ)」の作品の1つです。
これは天満宮本殿、塚越稲荷社本殿左脇の覆屋(おおいや)の中にあります。一間社流れの見世棚造り形式で、長押〔なげし:柱と柱をつなぐ水平材〕の形や身舎桁の背を切り落としていることなどから、安土桃山時代から江戸時代前期の建築物だと思われます。この本殿内には、蕨市指定文化財の「木造天神座像」が納められています。
正面に見えるのは機神社という神社です。江戸時代末期から蕨では塚越村を中心に、綿織物業が盛んになりました。特に、蕨の綿織物業の発展に貢献した塚越村の高橋家5代目新五郎とその妻いせは、「機神様(はたがみさま)」として、塚越稲荷社境内にある「機神社」に祀られ、織物業の繁盛を願う人々の信仰を集めました。「機神社」前の鳥居〔嘉永5年(1852)建立〕には、「機屋繁栄」の文字が刻まれ、その信仰の深さを物語っています。現在、蕨西口駅前通りで毎年8月に「機まつり」が行なわれていますが、この「機神社」に、織物業の繁栄を願って8月7日〔高橋新五郎が織物業を始めた日と伝わる〕にお参りする行事が本来の「機まつり」で、現在も行なわれています。
丁度、地元の方が居合わせて、いろいろと詳しいお話を聞くことが出来ました。有難うございました。
つづく