この付近は、武蔵境の駅につながる道路や「境浄水場」があります。その歴史について、以前は玉川の流れに境水衛所という工作物があったのですね。
これが、現在の境浄水場ですね。
このような見やすい案内版もあります。
やがて、うど橋という橋に来ました。どういう橋なんでしょう?
調べたところ、次のような史実がわかりました。『今から180年位前より、土地の人々が、薪炭をつくり、落ち葉の温熱で軟化独活(ウド)を栽培し、生活していた。栽培法が改良され大量出荷されて、全国に東京独活(うど)特産地として有名になった。橋を架けるに際して、特産地の名をとどめるため、独活橋と命名した。』うどという漢字も難しいですね。
また少し行くと、独歩橋という橋に着きました。この近くには、いろいろな碑がある見たいですね。
ありました。立札にあるように、国木田独歩の文学碑ですね。周辺をもっと見て見ると、
やや賑やかな通りの場所に、桜橋という橋です。
この碑は、国木田独歩の文章に関した碑だそうです。武蔵野と切っても切り放せない人に国木田独歩がいます。JR中央線「武蔵境駅」北口を出て、真っ直ぐに商店街を北へ約800メートルほど行くと、桜橋交差点です。信号機からわずかに右へ目を移すと、この碑があります。 桜橋のたもと、玉川上水の雑木林に覆われています。『今より三年前の夏のことであった。自分は或友と市中の寓居を出でて三崎町の停車場から境まで乗り、其処で下りて北へ真直に四五丁ゆくと桜橋という小さな橋がある」と、彫られています。「武蔵野」第六章の書き出しです。この碑は、昭和32年、独歩五十年忌に武蔵野保存会の手によって造られたものといわれます。ということで、今日はここまでで次回に譲ります。
つづく