川越雑記帳2(川越見て歩き)

木蓮と枝垂桜の咲く廟所/川越の最後の殿様眠る墓所(光西寺・松平周防守家廟所)

中院と道路を挟んで南側に光西寺がある。
隣にある幼稚園の庭越しに、光西寺の枝垂桜と木蓮の花が見えた。
その隣(南側)は第一中学校である。


中院と光西寺の間の道を行くと、右手の角に駐車場がありその脇に山門がある。
山門の扉はいつも閉まっている。


山門に近づいてみると、「緇川山」と書かれた額が掛っている。
「くろかわさん」と読むらしい。
扉にはそれぞれ別の家紋が彫られている。


山門の右側を迂回すると、敷石の正面に本堂がある。
参道脇のサクラはまだ咲いていなかった。


本堂の左手に背の高い枝垂桜があり、その右手に木蓮が咲いていた。
その一角は少し高くなり、生垣で囲われた庭になっている。


その入口に説明板が立てられている。
その説明板には、つぎのように書かれている。


 松平周防守家廟所(まつだいらすおうのかみけびょうしょ)
              (市指定文化財 史跡)
 松平周防守家の本姓は松井氏で、藩祖は康親(やすちか)
と称し、はじめ左近将監忠次(さこんのしょうげんただつぐ)といった。三河以
来の徳川重臣で、のちに松平姓を賜った譜代の
家柄である。
 石州浜田、奥州棚倉の藩主を経て川越に転封
したのが、慶應二年(一八六六)で、以来明治四年
(一八七一)の廃藩置県まで康英次(やすひで)、康載(やすとし)の二氏が
川越藩主となり、領高は八万八百石であった。
 光西寺は松井家の菩提所で、現在は「松井家
累代之墓」とあるように、松井家累代の遺骨
一七〇余柱が合葬されている。
        昭和三十三年三月六日指定
             川越市教育委員会

書かれている通り、川越藩の最後の藩主を務めた家である。

敷石に沿って右手に行と、石垣で囲われて少し高くなった所があり、石段で上るようになっている。
周囲は石の柵で囲われ、正面には鳥居のような門がある。
門扉は開いていて、中央の墓石が見える。
墓石は背が高く、門の上に突き出てみえる。


門から中を覗くと、墓石には説明板にある通り「松井家累代之墓」と彫られている。


上を見上げると、枝垂桜が満開になっていた。


また、モクレンも満開だった。
庭の南側にあるので逆光になり、中院のようには花を見ることができない。


そのためもあってか、ここで観光客を見ることはほとんどないのだが、この日は先客がいた。
私が中院の外で緋寒桜などを撮っているとき後ろを通ったので、中院へ行ったのだと思っていたら、こちらへ来ていた。
二人は敷石を外れて庭に入り込んでいて、「あれはモクレンかしら」などと言いながら出てきた。

光西寺

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