川越雑記帳2(川越見て歩き)

22-6 烏頭坂



 「船津家の前を進むと、やや広い道になる。旧川越街道だ。この先、平行して走っているのが現在の川越街道である。旧道を左折。」
 信号のある交差点が旧川越街道である。その直ぐ先に信号待ち車が並んでいたが、そっちが川越街道である。



 交差点から坂を見上げた。一騎坂に比べると緩やかな坂である。



 坂は上りながら右へゆるくカーブしている。左手に城南中からつづく崖が見える。



 坂の途中に崖にのぼる石段があり、その脇に石柱と説明板が立っていた。
 石柱には「烏頭坂」と彫られていた。
 川越で坂の名前が表示されているのは、おそらくここだけであろう。



 説明板には「烏頭坂」の表題に、「うとうざか」と振り仮名が書かれていた。

 「坂道である。「烏頭坂」という。善知鳥(うみすずめ科の海鳥。アイヌ語で突起の意)坂とも雨塘坂とも書く。この付近を、江戸初期には宇戸沢村といっていたらしい。明治時代まではかなりの急坂で、坂下には付近の農家の人が後押し人足として詰め、荷車を押しては小遣銭を稼いでいたという。文明一八年(1486)川越に来た京都聖護院の道興は、「うとふ坂越えてくるしきゆく末をやすかたとなくとりの音もかな」と詠んでいる。その後、鉄道の開通や新道によって、現在のようにゆるやかな坂になった。」


   ・烏頭坂

   ・「横浜慕情 御宿かわせみ27

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