川越雑記帳2(川越見て歩き)

中世の館跡なり長徳寺/痕跡はなくただ思うのみ

長徳寺という名前は子供のころから知っていた。
同級生がこの近くに住んでいて、この寺を遊び場にしていたようで、よくその名前を口にしていたからである。
「ちょーとくじ」というその語感が、みょうに気になった記憶がある。
しかし、当時は来ることはなく、訪れたのはここが仙波氏の館跡であるのを知ってからである。

長徳寺の山門の手前に白い説明板がある。


そこには、つぎのように書かれている。


  市指定・史跡
   仙 波 氏 館 跡
 大仙波の長徳寺は天台宗の末寺で、「新編武
蔵風土記稿」によると「永正甲戌(一五一四)
天台沙門實海」の名が古い過去帳に記されて
いたという。境内に、もと若干の土塁と堀が
あったといわれ、小字に「堀の内」という地
名も残っているところから、仙波氏の館跡だ
と推定されている。「保元物語」に仙波七郎高
家、「吾妻鏡」に仙波平太・同太郎・次郎・弥
三郎・左衛門尉などの名がみえ、これらは在
名をもって氏としたことが考えられる。ただ
し郷庄の唱えではこの大仙波村は山田庄に属
し、仙波庄を唱うる村はこれより南部の市内
高階地区と上福岡・大井・富士見・三芳の各
市町に広がっているものが多く、仙波氏の支
配した荘園と考えられる。
  昭和五六年一一月
            川越市教育委員会

また、山門の脇には、金属製の柱があり、正面に「川越市指定史跡 仙波氏館跡」、脇の面に「昭和三十三年三月六日指定」と書いてある。


山門には「冷水山」の額が掛けられている。
少し変わった感じの山号である。


山門の右手には「伝教大師」の立像がある。
高い石の上にあるので、頭部は山門脇の屋根を越えている。


さらにその脇に石碑があり、つぎのように刻まれている。
 よしあしのうつる心の水鏡
  よくよく見れば我が姿なり
長徳寺の墓地にも、あちこちに同じような石碑がある。


山門の正面に本堂があり、山門から本堂まで敷石がある。


敷石の参道脇には車が止めてあるが、それを避けて本堂全体を撮る。
本堂の右手に庫裡があり、本堂の裏と左手に墓地がある。


本堂の柱には張紙があり「コロナウイルス対策のため しばらくの間 御朱印はいたしません  長徳寺」と書かれていた。


山門の前の道は、そこから急な下り坂になっている。
長徳寺は台地の端にあり、仙波氏の館があったとすれば、東には何も遮るものがなく、かなり眺望がきいたはずである。
現在は多くの家が立ち並び、視界はかなり制限されている。


それと並行する道路も、長い下り坂になっている。
長徳寺へ入る道は、一度上ってから山門の前で急角度で下っている。


2つの道は坂の途中で合流している。


そのすぐ脇に大きな建物がある。
左手の高い所に石柱があり赤い字で「川越観音」と彫られている。


階段を上ってみると、建物の正面上部に「川越観音」の額が掛っている。
青い字の額は、あまり見たことがない。


この建物も長徳寺のもので、角の白い看板には「川越観音長徳寺」とある。




この坂道をさらに下るとすぐに新河岸川に突き当たり、上を国道16号が走っている。

仙 波 氏

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