石鳥居があり、その奥の境内はあまり広くはない。
鳥居には額がかかり、「雪塚神社」と彫られている。
鳥居の左下には碑が建てられていて、雪塚稲荷の縁起が刻まれている。
鏡面仕上げなので、正面から撮ると自分が写ってしまう。
そこには、次のように書かれている。
雪塚稲荷略縁起
当社は、城下町川越の十ヶ町の一つ、南町の氏神として崇拝されてきた。南町は、江戸
から明治にかけて六十軒あまりの町であったが、江戸店を構える大商人を多く生み出し、
明治十一年(一八七八)には県下初の国立銀行を開業させるなど、十ヶ町の中でも中心的
商業地であった。
神社の創始は、口碑に「江戸の昔、ある大雪の夜、南町の通りに一匹の白狐が迷いあら
われた。これを見た若い衆数人が白狐を追い回してついに打ち殺し、挙句の果てにその肉
を食したところたちまち熱病にかかり、さらに毎夜大きな火の玉が街に現われるようにな
った。町内の者はこれを白狐の祟りだとして恐れおののき、近くの長喜院の境内に社をた
て、白狐の皮と骨を埋めて塚を築き、雪の日のできごとであったことにちなんで、雪塚稲
荷神社と名付けて奉斎した」という。
明治二十六年の川越大火によって本殿、拝殿焼失、同三十年四月二十八日に再営した。
その際土中のご神体を改めたところ、白狐の毛が逆立つのを認め驚いて再び埋納したとい
う。
また、昭和五十五年社殿の修理中、床下中央部から石板が発見され、「雪塚稲荷神社遺躰
文政六年二月十二日御霊昇天 同年三月十二日御霊祭日と定め同年同日雪塚稲荷神社と称
す」との銘文があった。
文政六年(一八二三)以来、とくに商売繁盛に霊験あらたかさをもって知られ、町内の
みならず、遠隔地の講中や近隣末社の人々の不断の信仰に支えられてきた神社である。
祭神 雪塚稲荷大明神
祭礼 元朝祭 正月元旦
例大祭 四月十二日
一万度祭 六月一日
月次祭 毎月十二日
三社講 年 一回
社宝 国選定「川越市伝統的建造物保存地区」特定物件
国指定重要無形民俗文化財「川越氷川祭の山車行事」
埼玉県指定有形民俗文化財「翁の山車」
川越市指定有形民俗文化財「踊り屋台」
川越市指定有形民俗文化財「旧南町保有文書」
原 舟月作 雲形太鼓
芸能 堤崎流幸町囃子
やはり、白狐の伝説により雪塚稲荷と称しているのは、この神社らしい。
では、すぐ近くにあるあの雪塚稲荷神社は何なのか、この略縁起には何も書かれていない。
鳥居をくぐると、右手に社殿がある。
これが、明治30年4月に再建されたという社殿だろう。
この下に御神体が埋められていることになる。