川越雑記帳2(川越見て歩き)

25-2 吉田神社・次兵衛塚

 「旧道高階中学校の西隣りにある高い塚の上に建っているのは吉田神社である。」



 庚申塔から坂を少し上り、高階中学の門の向かい側に坂道があり、その先に木に囲まれた塚が見えた。



 坂を上り塚の下へ行くと、塚の上に上る石段があり、その右下には石柱が建っていた。
石柱には「吉田神社」と刻まれていた。
 「川越城主松平伊豆守信綱の家臣吉田次兵衛が、自分の所領地だったこの地に、秘蔵していた武具を埋めて塚を築いたものだという。したがって別名を「次兵衛神社」とも呼んでいる。」



 石段の上には、南側の建物に接して、小さな社殿があった。
 「宝永3年(1705)本明院(吉田山恵命寺)という一寺を開基した。天台宗で川越城内高松院の末寺で、本尊に次兵衛の木像を安置したが、その後失われてしまい、現在は塚と神社だけになってしまった。なお、先年、藤の大樹の下から骨つぼが発見され、本明院一世、伝慶法印を埋葬したものだといわれている。またこの次兵衛塚は、榛名神社の申し子を育てたという伝説でも有名なところである。」

 ・「神の申し子を育てた次兵衛」

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