庚申塔から坂を少し上り、高階中学の門の向かい側に坂道があり、その先に木に囲まれた塚が見えた。
坂を上り塚の下へ行くと、塚の上に上る石段があり、その右下には石柱が建っていた。
石柱には「吉田神社」と刻まれていた。
「川越城主松平伊豆守信綱の家臣吉田次兵衛が、自分の所領地だったこの地に、秘蔵していた武具を埋めて塚を築いたものだという。したがって別名を「次兵衛神社」とも呼んでいる。」
石段の上には、南側の建物に接して、小さな社殿があった。
「宝永3年(1705)本明院(吉田山恵命寺)という一寺を開基した。天台宗で川越城内高松院の末寺で、本尊に次兵衛の木像を安置したが、その後失われてしまい、現在は塚と神社だけになってしまった。なお、先年、藤の大樹の下から骨つぼが発見され、本明院一世、伝慶法印を埋葬したものだといわれている。またこの次兵衛塚は、榛名神社の申し子を育てたという伝説でも有名なところである。」
・「神の申し子を育てた次兵衛」
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