
「もとの道に戻り、五〇㍍ほど南下する。右側に「下老袋農民センター」がある。」

通りに面した掲示板の隣り、赤い屋根の下に庚申塔があった。
比較的新しいのか、浮き彫りがきれいに残っている。
青面金剛と邪鬼、その周囲の日月・にわとり、下部の三猿と必要なものが全てそろっていた。

南側に墓地があり、入口の両側に石仏が立っていた。
「以前は玉泉寺があった。承応山勝知院と称し、天台宗古谷本郷灌頂院の末寺だった。開山は不明だが、慶長一九年(1614)に遷化したと伝えられる。中興開山は鎮海で、享保九年(1724)寂している。本尊の阿弥陀仏は、農民センターに安置されている。」

墓地入口の左側には、石碑の後ろに石仏が密集していた。

入口の右側には、六地蔵がきれいに並んでいた。
「この寺から西隣りの関根浅右衛門氏宅あたりまでは「御所蹟」といわれ、道祖土氏系図に出てくる道祖土康成の館で、比企郡老袋城の跡と伝えられる。北にある稲荷神社は、望楼の跡という。」
「散歩」の記述はここで終わっている。