「道」は自ら切り開くもの。
他人の後追いは「道」にあらず。
わが社に久しぶりに
新戦力が加わりました。
配送スタッフと
発伝スタッフと
経理スタッフと、
それぞれ1名ずつ。
なんだか私も
嬉しい気分になります。
覚えることは
たくさんあるけれど
焦ることはないよ。
ゆっくり急いで確実に。
それから
教わる側だけでなく
教える側も
成長のチャンスだから
優しく厳しく伝えよう。
最初が肝心。
正しくしっかりと。
むかしなら
鉄は熱いうちに打て。
現代風なら
鉄は熱いうちに優しく打て。
みなさんのご活躍を

楽しみに期待しています。kyokukenzo
お通しは
カレイの煮付け。
マグロやまかけと

美味い酒がある。
ハタハタ丸干し

北海道の味覚。
シメのザンギは

まさに天下一品だ。
去りゆく名店。
惜しまれての閉店。
さらばホンモノの味。
本当に
本当にさびしい限りです。kyokukenzo
K社の商談会に参加して
たこやきの粉の
サンプルいただきました。
とてもうれしい。
こだわりセットとして
たこやき粉のほか

天かす、紅しょうが、
青のりまで入っています。
あとは
タコ、タマゴ、ネギと
ソースなどあれば
たこやきが作れるわけです。
至れり尽くせりのセット。
それから肝心のマシーンは
我が家伝来

NATIONAL社製の50年選手。
実家から譲り受けたものです。
鉄器部分を十分に

熱することが肝要。
ここで焦ってはいけません。

よしよし。
なかなかうまくできました。
第2クールです(1クール15個)。

鉄部の熱と油が馴染んで
だんだんキレイに焼けてきます。。
袋には32個分とありましたが

4クール合計60個もできました。
昔のマシーンなので
1個の大きさが違うのかも。
たこやきは美味しい。
ワイワイガヤガヤ
楽しくたこやきパーティ。
またやろうねー!
ふたり(ジジとマゴ)は
固い約束を
交わしたのでありました。kyokukenzo
あるきっかけで
知り合った若者と
こんど美味いもの
食べに行こう。
の約束が実現した。
感じの良い台湾料理店。

本場料理人の熟練の技。
若い人と話すと
私にはない視点や
考え方が聞けて面白い。
いろいろ話をする中で
彼が東京の成蹊大学の
ご出身だと知った。
そして
成蹊大学の名称は
歴史書「史記」に
因むものと教えてくれた。
実は私はその一節
「桃李成蹊」を知っている。
原文は

「
桃李不言、下自成蹊」。
なぜ私がこの一節を
憶えているかというと
数年前、札幌に出店した
中華チェーンを訪ねた際
ホールの壁にこの一節が
大きく書かれてあった。
どういう意味かな?
と、手帳に書き留めて
家に帰ってから
ネットで調べてみると
桃李もの言わざれども
下自ら蹊を成す。と読み下し、
その意味は
桃李は何も言わないが
花実を慕って多くの人が
集まるので、その下に
自然と道(蹊)ができる。
すなわち
徳望のある人のもとへは
人が自然に集まるものだ。

という意味だと知った。
桃李とはモモとスモモ。
良い文章と感心したが
これが大学の名前の
由来になっているとは
その時気付かなかった。

そんなことなど話して
私たちは店を出た。
楽しいひと時だった。
帰宅して
何となくTVを見てたら
松坂桃李くんという
若手の俳優が出ていて
自身の名前の由来を
披露していた。
桃李?
ひょっとして?
案の定、彼の名前も
史記に由来していた。
お父さまが
名付けたのだという。
そうなんだ。世の中、
私の知らないところに
いろんな人の想いが
散りばめられている。
そして
この日のシンクロ。
一夜に聞いた
桃李と成蹊。
ここになにか
強い暗示のようなものを
私は感じるのだった。kyokukenzo
よく
「感受性が豊か」
とか
「感受性が強い」
とか言うけど
「感受性」って
どんなだろう?
感受性。
Sensitivity。
ものごとを鋭く
感じることができる。
他人の気持ちを
汲むことができる。
感受性について
ネットを
拾い読みしてみた。
感受性が
豊かな人の特徴は
日々に気づきがあり
幸せや感動を感じる。
他人のことを
気にしすぎて疲れる。

自分の意向を通せない。
自分のことは後まわし。

他人の喜ぶ姿を見たい。
繊細で傷つきやすい。

思いやりあふれる。
配慮と気遣い。

これって私の事かな?(笑)
拾い読みを続けると
あなたの感受性診断
なるサイトを発見した。

いくつかの質問に
ありのまま答えていく。
さてその判定は?
あなたの感受性。
ポジティブシンキングで
やや鈍感。
感受性が高いとは言えない。
ハ・ハ・ハ・ハァ。
なんとかなるさタイプ。

プラス思考で
取組むことができる
「楽天的なタイプ」。
自分のやる気を
コントロールできる。

自分をしっかりと
コントロールするので
マイペースに前進できる。
異変があっても冷静に
自分のするべきことを
判断することができる。
なるほどね。
鈍感はくやしいけど
感受性は乏しいけど
まぁ

なんとかなるべさ。kyokukenzo
今年も楽しかった
恒例の大餃子大会。
たくさんのご参加を
いただきました。
みんなでワイワイ
餃子をにぎって食べる。
回を重ねて今年で
第8回目となりました。
当社の従業員も全員
立ち寄って出来立てを
ほおばってから帰ります。
思えば 2012年の春節。
いろんな事情から
正月を故郷で過ごせない
当社中国人スタッフが
ホームシック(想家)に
かかっていると聞いて
ならば。
と始めたこの餃子大会。
その後、
日本の方や留学生にも
お声をかけて、年々
盛大になりました。
いまでは帰国して
中国で活躍している
当社の元スタッフも
毎年今ごろになると
「餃子大会が懐かしい」と
メールしてくれます。
ホームシック対策で
始めたこの大会が
逆ホームシック状態に
なっているとは何とも
嬉しいような
複雑な気持ちでは
ありますが・・・。
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
まずは湯通しして
刻んだ材料をよく混ぜる。
一度やってみたかった

というR研のK林さん。
お上手です。ひき肉と

ソイミ(大豆たんぱく)に
しょう油やゴマ油で調味。
皮も手造りです。

小麦粉にお湯と塩を適量。
よーく捏ねて

30分寝かせます。
そしたら棒状にして

適当にちぎって
こんな感じに伸ばします。

8回目ともなると
みなさんお上手。

素晴らしいです。
先ほどよく混ぜて

寝かせておいた「あん」。
包み方、はじめ!

おみごと!
以前は、私も一緒になって

捏ねたり握ったり
していましたが
楽しいことは
みなさんに譲って
今はもっぱら

食べたり飲んだりです。
平成最後の餃子大会。

今年も良い年となりますよう。kyokukenzo
第7回餃子大会報告。
第1~6回アーカイブ。
第7回報告(フェイスブック)。
市内の有名ホテルで
パーティがあり
お招きいただきました。
ご参加みなさんと
楽しく語らい
美味しいごちそうを
いただきました。
こちらのホテル。
オープン時の名称は
いまとは違いました。
仙台に本社のある
企業が母体だったと
記憶しています。
現在、
館内地階にある
中国料理レストランは
名店「桃花林」ですが
当時は「桃里」
という名前でした。

料理長は
麥澤元さん。
今は鬼籍の人ですが
北海道の中国料理を
変えたといわれる
伝説の鉄人料理人です。
30年前、前職を辞して
札幌に戻った私は
まずは麥先生に挨拶を。
と「桃里」を訪ねました。

名刺交換をして
お互いのことを
軽く自己紹介してのち
やおら先生は私に、
こう仰いました。
いろんな土地に
住んだんだねぇ。
美味しいもの
なに食べましたか?・・・と。

私に問うたのは
仕事のことでもない。
家族のことでもない。
遊びのことでもない。
美味しいもの
なに食べた?・・・でした。

その時、私は面喰らい
緊張と想定外の質問に
満足な返答ができなかったと
記憶しています。
麥澤元さんは

食へのこだわり。
この仕事に臨む心構えを
一瞬にして私に
教えて下さいました。

いま麥澤元さんの
多くのお弟子さんが
北海道や日本全国で
ご活躍なさっていますが
私にまで人生の
方向を示して下さった。
公私ともども本当に
お世話になりました。
私もいま麥さんの
末弟子のひとりだと
自分で勝手に決めています。kyokukenzo
中国4大料理というけど
北京料理のルーツは
山東料理なんです。
山東省出身の友人は
胸を張りました。
酔うほどに話が弾みます。
餃子は元来「水餃子」。
残ったら翌日焼いて食べる。
これがまた美味しい。
これがすなわち「焼餃子」。
中国では「鍋貼」という。
ナルホド~。
でも、その辺の話
実は私もよく知っています。

餃子はね、その昔
山東人が日本に伝えたんです。
おお?それは初耳だ。
その証拠が「餃子」の発音。
「普通話」では
「ジャオズ」Jiǎo ziだけど
山東語では「ギョウザ」なんです。
そうなんですか?
山東出身の彼が言うなら
マチガイありません。
「餃子」は山東人が
日本に伝えたのだった。
じゃあ、ひょっとして・・
鶏の唐揚「炸鶏」の発音。
「普通話」では
「ザージィ」Zhá jīですよね。
恐る恐る聞いてみた。
そうですよ。
山東語では「ザンギ」です。
やっぱりそうか!
「炸鶏」は「ザンギ」。
山東人が日本に伝えたのだ。
「ザンギ」の真実ここにあり。kyokukenzo
遊びをせんとや
生まれけむ。
戯れせんとや
生まれけん。
遊ぶ子供の
声きけば
我が身さえこそ
動がるれ。
遊ぶために
生まれたのか。
戯るために
生まれたのか。
遊ぶ子供の
声を聴くと
私の身体さえ
動いてしまう。
このところ
毎日マゴと遊び
戯れている私だが
ひたすら遊ぶ

無心に遊ぶ
上手に遊ぶ
飽きずに遊ぶ
この人の姿を見ていると
子供は遊ぶために
生まれてきたのだ。
本当にそう思ってしまう。
高校のころに学んだ
平安時代の歌謡集
「梁塵秘抄」。
出だしの数行なら
かろうじて今でも
諳んじることができる。kyokukenzo