ホウジョウキ  ++ 小さな引籠り部屋から ~ ゆく川の流れは絶えないね

考えつつ振り返り、走りながらうずくまる日々。刻々と変わる自分と今の時代と大好きなこの国

札幌は、現在進行形

2011-10-14 10:10:25 | 日本文化
札幌を訪れました。
今年は縁があって、3回目の札幌です。

札幌は私が生まれて、長い間育った土地でもあります。

故郷だというのに、いや故郷だからなのか、長い間札幌を好きだとは思えませんでした。

東京や京都などの古い歴史があり、その痕跡が建物や街並みや、風習などに
濃く残ってることへの強い憧れがありました。

私の嗜好として、歴史のある寺社や、古い文化財や昔の美術品が大好きなのも
自分の生まれ育った土地は、歴史が浅くて文化がない、と思っていた
コンプレックスの裏返しなのかもしれません。

札幌は、おおらかな街です。
古くからの慣習もあまりありませんし、その分しがらみというものも少ないところです。
東京や大阪ほどの都会でもなく、田舎でもない都会なので、人との関係もさっぱりしているように思います。人がさっぱりしているのは、北海道の風土が影響しているのかもしれません。

そんな、おおらかで歴史のない街を物足りなく思っていました。




今年何回か札幌を訪れて
その前から、札幌でモノづくりをしている人や、ミニシアター映画館の様子を見聞きしていて、なんだか面白そうなことをしている人がいろいろいるんだな、と興味を惹かれていました。

ここ最近の札幌では、小さなお店や、自分で何かを作っている人達が、少しずつネットワークを作っているように思えます。

札幌発のオリジナルなモノづくりも広がっているのを感じます。

北海道では老舗の企業が、設立から何十年を経て、成熟企業となり、文化活動をしているところが増えています。
北海道の風土、広い土地や、気候や、豊かな森なんかを生かした活動が気になります。

ネット上で知ったミニシアター映画館「蠍座」は、もう東京でも少なくなった
館主が自分の感性で選んだ無名の映画を上映する、個性あふれる単館映画館です。

そういえば、私が高校生だった頃から、札幌にはこういう単館ミニシアターが何軒もありました。どれも個性あふれるプログラムで、映画好きを楽しませてくれていました。
今ではそのほとんどの映画館が無くなってしまっているのですが、まだ少しだけ
今でも頑張ってるのです。

そう思うと、札幌には文化がない。というのは少し認識が違っていたのかもしれない
と思うようになりました。
札幌は文化がないのではなく、今文化を作っているさ中なのです。
だからきっと成熟した歴史と文化がある本州の(北海道の人は「内地」と呼びますが)
都市より、今現在がダイナミックなのかもしれません。
そして、歴史がない分、自由な活動もできるように思います。
札幌を訪れる際に、いつも札幌駅を降り立つ多感じる
「空気の軽さ」と「澄んだ感じ」
は、歴史のない自由さが生んでいるのかもしれません。


「今」の人が、自由な感覚で活動することが、札幌の歴史と伝統を生み出している
現在進行形のワクワク感を、札幌の街に感じるようになりました。

小野照先神社で、雅楽を見る

2011-09-23 22:48:51 | 日本文化
今日はお彼岸の中日、秋分の日です。

台風が過ぎて、あんなに暑かった夏が一気に過ぎ去ってしまったかのように
肌寒いくらいになりました。
暑さ寒さも彼岸まで、の言い伝えがあまりにそのとおりです。

地元にある大きな神社、小野照先神社で秋の例祭があるということを、ポスターで知りました。
足利学校と雅楽の夕べ
夕方 17時からです。

昼間、西麻布のギャラリー ル・ベイン で開催されている
「ヘルマン・ツアップ&グルドン・ツァップ カリグラフィーの世界」
を見た帰り、日も傾いて、ほの暗さと肌寒さが本気になって来た時間に、小野照先神社を訪ねました。

災害と神道をテーマの講演を聴き

すっかり日も落ちて、地面に置かれたろうそくの光が澄んで見える中
舞台で2曲演奏&舞が披露されました。








雅楽の調べは思いのほか大きく迫力のある音色で
邦楽特有の、音程の揺れと不協和音がとても心地よくて

プロローグの演奏が始まってしばらくすると、舞楽の舞者が二人登場して

一対で舞う姿を見ていると源氏物語の中で、光源氏と頭中将が青海波という楽曲を舞う場面を思い出していました。
美男で競い合った二人が、こんな風に優雅に力強く舞う姿は、それは美しいだろうな

と思うほど、ゆったりとして優雅な動きのでありながら、とても力強い舞でした。

舞楽の舞ははじめてみましたが、能楽の舞とはまた違う力強さとスピード感でした。

衣装も美しく、ライトアップの光に映えてなお舞を美しく見せたような気がします。


薪能もとても好きですが、野外で観る舞と邦楽の音色は、澄んだ感じと周りのざわざわとした音が混ざって、その雑音が混じることでかえって見ている私を違う世界に連れて行ってくれます。

1時間、雅楽を観て、神主さんのごあいさつのお話でお開きになりました。
神社の例祭ですから、秋の実りに感謝するお祭りですね。
帰宅したら、早速お米の収穫がニュースになっていました。

灯りを消す

2011-09-18 09:44:48 | 日本文化
仕事をしている(主にPCで事務処理をしている)部屋が暗いと思っていた。

100wの白熱電球が3個付く照明器具で、2個の電球が切れたままになっていた。

やっときっかけをつかんで、60wの蛍光電球を2個買ってきて付けた。
とても明るい!

白熱電球のオレンジ色の光がほの暗かった今までは、よくこの部屋に来ると眠たくなった。
眠る準備にちょうどいい暗さだったのかもしれない。

蛍光電球が120w追加されると、思いのほか白くクリアな世界に変わった。
眠たくなるのを阻止してくれるようだ。
この明るさなら、夜の事務作業がはかどりそうだな、と思った。

なんだか夜の仕事を自分で増やしているようなものだな…と思って
ふと、日本中が明るすぎるわけがなんとなくわかったような気がした。

先進諸国と比べても、日本の照明は異様に明るい。
夜も不夜城のごとく、昼間も明るさの死角が生じることの無いように
そして、消費意欲をかきたてて、労働意欲が落ちないように
隅々まで明るく照らしている。

もう少し、暗くてもいいんじゃないか、と電力需要の不足と節電の夏になって
つくづく思っていた。必要以上に明るすぎるんだ現代の日本は。

でも、自分の身近に明るさを感じてみて、
今よりも暗くすることは、日本の社会にとってそう簡単なことではないのではないなと思った。

日本もつい数十年前までは、「闇」が隣にあった社会だった。
「闇」への畏れを主題にした優れた文芸や、美術、芸術作品がたくさんある。
生活の中に、すぐ隣に「闇」が普通に存在していて、みんなそれを受け入れて暮らしていたのだろう。

経済力がつくに従って、日本から「闇」排除されていった。
どこの国でも経済的に豊かになれば、「明るく」なる。
日本はその「暗がり」から「明るさ」への振れ幅が特別大きいのかもしれない。

昭和8年に谷崎潤一郎が「陰翳礼讃」を書いている。
もうころ時代から、日本の社会から「陰翳」は失われつつあったとうことだ。
谷崎潤一郎はこの煌々とした異様な明るさを予見していた、鋭い洞察力だ。

日本がこれほど明るさを求める珍しい国なのは、日本が急速な経済発展を遂げた稀有な国だからではないだろうか。

歴史の流れのなかで、必然のように発展してきた先進諸国にとって「闇」は排除しなくても共存できる余裕があったのだと思う。
日本は無理やり急速な発展を目指してきたから、「闇」急いで消し去らなければならなかった。
そうしないとこんなに勢いよく急いで発展が出来なかったのだろう。
そして明るくなった。
明るくなると「闇」はさらに暗くなる。さらに暗くなった「闇」をさらに明るく照らそうと
もっと明るくする。そんな循環に嵌っているのだ。

この循環を断ち切るのは、そう容易なことではないと感じる。
明るい社会は「闇」を受け入れることにアレルギーを感じだすからだ。

照らし出さなければならない「闇」は、光だけではなくて、人の心、社会の暗部
それも、明るく照らそうと社会自身が必死になればなるほど、さらに「闇」暗さはまして
見えないところへと追いやられて、居場所を失っていく。
でも光あるところに闇は必ず生じる。影は決して消えて無くならない。
なのに四方八方から光を当てて一寸たりとも影が生じないよう、なんだかとっても虚しい努力をしているように思える。

私は自室に蛍光電球をつけてしばらくは、快適だと思った。
しかしそれもつかの間、疲れてきた。
蛍光灯の白い均一な明るさは、いくらでも頑張れると自分への無意識の圧力にあるような気がする。眠くなれずに、もっと頑張れる、もっともっといろいろなことが出来る。

そうして人は疲れてしまうんだな。

精神的危険を感じたので、2個付けた電球を1個外すことにした。

今日は静かに過ごそうと。

2011-09-12 10:42:43 | 日本文化
いろいろな記念日。
記念日といっっていいのかな?佳い思い出の日ではなくて、忘れてはならない辛い思い出の記念日になりました。

個人的なことではありません。

一日中、メディアで持ちきりだった
3.11東日本大震災と9.11同時多発テロ事件
二つの11の日から半年と、10年の記念日です。

3.11から半年の間、
あまりの大災害とその後起こった非日常的出来事の連続で
私は、気持ちが高揚したまま、その妙な高揚感を持ち続けて仕事をしたり生活をしたりし続けました。

その高揚感が、私自身には精神的に「喝」になって、
ボヤっとしていてはいけない、しっかり仕事しなくっちゃ、毎日ちゃんと生活しなくっちゃ、という自律の気持ちを持続させてくれました。

10年前の9.11のころの自分を思い出してみました。
10年間でいろいろなことが大きく変わりました。
自分自身も随分いろいろなことを10年の間に経験できるものだな、と思います。
この10年は、超大国アメリカが失墜し、大きな不況が何回も起こり
中国の存在感が急速に増し、世界のいろいろなことが変動した10年でした。
そんな世界の変動に、私の生活も容赦なくパンチを浴び続けて蛇行していたようにも思えます。

2011年、何も解決していませんが、なぜか私の心は落ち着いた日を迎えました。
まるで、火の中で心の平静を保っている修行中のような気持ちです。

朝からヨガのレッスン中、ヨガの体はキツイポーズの最中に、なぜか笑顔になれることを感じました。苦しい顔をして、ヨガのポーズは取れないものです。

午後は、おはぎを作りました。
小豆を煮て、もち米を炊いて、おはぎを作るのは初めてです。
お彼岸ではないですが、心の中で東北にお供えするつもりで作りました。
出来たおはぎは美味しくいただいてしまいましたが。
自分でお菓子を作って、おいしくいただく
そういうことを、幸せだと心から思えるのは3.11と9.11に遭遇して、考え方や生き方を少しずつ軌道修正してきたからだと感じて、
このおはぎはやっぱり今日作るべきだったんだと思いました。

世の中は何も解決していません。

戦いの中でも平穏な心を忘れるな、ということだと感じました。

その土地で生きる、こと

2011-09-08 00:17:42 | 日本文化
東日本大震災から、もう半年が経とうとしています。
時間の経つのが早いことに、そして半年経ってもまだ瓦礫が山積する被災地の惨状に、
ため息が出るばかりです。

私は被災者ではないので、心理的動揺も収まり日常生活に戻っています。
電力供給パニックも、節電が声高に叫ばれていた猛暑も、過ぎて行きました。
気がつくと、もう季節は秋です。

大津波の被害に遭った東北の海岸の地域
福島第一原子力発電所の周辺の避難地域

報道を見ている限りは、被害の終息にはまだ程遠く、
壊れたままの建物、瓦礫の山はまだ撤去、処分されずどうしようもなくその場にあり
非難指定区域はいつ帰宅できるかめどさえ立たない状況のようです。

大津波の被害地の多くは、地盤沈下を起こして浸水する状態で、客観的に見ればもうそこには住めないだろうと思える状態、もしくは次の被害にどう備えて堤防などを整備するか
それが果たして現実的なのか、という難しい問題を抱えて、地域の復興はまだ見えてこないようです。

福島の避難指定区域に至っては、原発がまだ終息しない状態では、帰宅の目途の立てようがありません。

私は、とっても傍観者的に見ていて、この被災地は「この土地はもう住めない」と住民が諦めることしか次の復興への道はないだろうな、と思ってしまいます。
大津波の被災地の海岸地域は、高台に新しい町なり村なりを作るしか
放射線の高い地域は、帰れない前提で新らしい土地へ移って生活設計を始めるしか
ないだろうと思います。

しかし、それはとっても都会的感覚で、もっと事態は困難なのだ、と気づきました。

この大都会東京に住む人の多くは、地方から東京に移り住んで来た上京者です。
上京者も、賃貸住宅に住んで、定期的に引っ越しをする人も、家を買い、そこを終の棲家にしている人もいますが、何世代もその土地に住んでいる人に比べれば、土着の感覚は薄く、いわば仮住まいの感覚です。

私もそうですが、働き手の父親の職業が、あちこちを転々とする「転勤族」と言われる会社員の場合
子供は幼いころからあちこちを転々として育ちますから、どこかの土地が故郷だという感覚が薄くなります。
今住んでいる我が家が、故郷であり家であって、その土地や地域になかなか根付けません。

しかし元来人は、昔から土地とともに生きてきた歴史があります。
農業でも漁業でも、土地や海があって成り立つ生活です。
土地に根付いて生きるもの、それだけ人の生活と土地は不可分でした。
ヨーロッパでも、土地に根付いていない放浪の民は「ジプシー」と呼ばれ
差別的に見られてきました。

今の自分のような都会の漂泊生活者は、いわば現代のジプシーですが、
都会が大きくなり、現代版ジプシーが多数派になってきているのです。

そんな都市生活者が、大震災で、原発事故で、土地を奪われた地方で土着の生活を送っていた人の
本当の痛みがわかるのでしょうか。

傍観者で都市生活者である私のような人は、

ああ。早く復興が進めばいいのに
復興を進めるために、「もう住めない」という諦めが必要なのに
なかなか進まないな…

と思うことも至極当然ですが、「もう住めない」と決断する感覚が、きっと根本的に違うのです。

行政も、国の機関、上部機関は、早く復興を進めよう
新たな都市計画の図面を引こう、と焦っていることでしょう。
でもきっと自分も住民としてその土地に生きてきた現場の市町村の役場の人たちは、そうそう簡単に割り切れる問題ではないのだろう、だから遅々として進まないのだろう。

やはり、
土着の土地を持たない、捨ててきた都市生活者の意見を押し通すことはできないと思います。

何世代も住み続けてきた土着の「もう住めない」自分の土地、をどうするのか。
ははあまり直視されていないようですが、実はとても深刻な問題だと思います。

もっと心の問題まで切り込んだ議論と対処がない限り、住めなくなってしまった土地と人とが離れられないまま、どうしようもなく時かばかりが過ぎ、住めなくなった人の生活も、心も復興出来ないのだと思います。

元来土地と人が不可分であること(あったこと)、をもっと真剣に考えるべき時なのでしょう。

宇宙飛行士の引退

2011-08-30 21:00:24 | 日本文化
宇宙飛行士の山崎直子さんが、宇宙研究開発機構を退職する、というニュースが流れた。

理科系でもなく、特別天体好き、宇宙好きでもない私は
このことをネットのニュースで今日初めて知った。

山崎直子さんが宇宙飛行士候補に選ばれた時、
宇宙へ飛び立った時、
世間は彼女をとても好意的に話題にしていたと思う。
美人で秀才、そして宇宙飛行士になった女性、
夫も子供もいる、何でも手にしているスーパーウーマンのような扱いだったと思う。

私は、日本人最初の女性宇宙飛行士、向井千秋さんについての本を何冊か読んでいる。

宇宙飛行士になることの困難さ、
宇宙飛行士に選ばれてからの訓練の過酷さ、
を、向井千秋さんの夫が克明に書き記してくれたおかげで、知ることになった。

どれほど聡明で、強く逞しく、明るく、果敢にチャレンジする人
私は宇宙飛行士になる、という人に対してそういうイメージを持っている。
たぶんそのイメージは、そんなに外れていないんじゃないかと思っている。


山崎直子さんは、二人目のお子さんを妊娠中である、という。
そうか、お子さんを産むから、引退するのだろうか。それはわからないが。

ただ、ああ、世の中の男性達にやっかまれるのだろう、とまず思った。
彼女が宇宙飛行士になったために、自分が振り落とされた、と思っている
宇宙飛行士を目指して諦めた男性がたくさんいるだろうと思う。
宇宙飛行士候補を選抜する試験は、相当熾烈だ、と向井万起男【向井千秋さんの夫)さんが書いた本で読んでいる。
多くの優秀な人たちの中からたった3人とか4人とかの、ごくごく選び抜かれた人が
最終的に宇宙飛行士候補として採用になる。

その後、宇宙へ行くための訓練を長い間(2年とか3年とかそれ以上とか)積むのだ。
そういう試練に耐えて勝ち残った人だけが、宇宙飛行士として宇宙へ行くことができる。

山崎さんは、そういう中を勝ち残った人だ。
そして宇宙へ行った人だ。

それを、40歳の若さで引退することに違和感を持つ人がいて当然だと思う。
何でも手にできる人は、簡単に手放すんだな…というようなやっかみ。
そして、女はやっぱり物事を成し遂げられないんだな、という男性の見かた。

子供を出産して、また宇宙飛行士としてチャレンジし続ける人生も
なかったわけではないのだろうと思う。
優秀な人材を、一度宇宙で仕事を成し遂げてきた人を、組織が簡単に手放すとも思えない。

それでも、宇宙飛行士を辞める理由が、彼女にはあったのだと思う。

女性が仕事をしていると必ずぶつかる、「仕事」と「女性として生きる人生」の板挟みという壁。
私も何度もぶつかってもがいた覚えがある。

子供を育てようという人は、もっと難しい選択や決断をしながら、危ういバランスを取っている
というのが現実で、上手くバランスが取りきれず、どちらかをやめる人が多いのだ。

山崎さん、引退する理由を特に語ってはいないようだ。
宇宙飛行士候補に選ばれた時、宇宙へ行くことが決まった時
彼女は語っていた宇宙への夢を語っていたし、宇宙飛行士としてやり遂げたい夢も語っていた。

そんな彼女の人生の方向転換。


そのことを、道半ばでのキャリアロスと考えるのか、
軽やかな転身、と考えるのか、

これから夢を成し遂げようとする、後進の女性たちはどう受け取ればいいのか。
彼女自身も、社会も、今までの社会の固定観念のバイアスで見ないでほしいと思う。
それはきっと今までの既成の価値観に偏りがちな目線だし、
これからの社会が、その古い価値観のままの社会でいいとも思えないから。

お子さんを産んで、また違う道で光り輝く山崎さんに、是非会いたいと思う。

和紙とお茶室とシッカロール

2011-08-08 18:47:05 | 日本文化
大野幸空間研究所のお仕事

折りたたみできる携帯お茶室 なるものの設計企画に参加しています。

この企画は、きっとその昔、大野氏に折形研究所(山口博信氏)を訪問して伝統作法である折形をご紹介した時に、大野氏の中に種が仕込まれたものと思っています。

和紙、折形 
そういうものを建築に生かしていただけることは、私のとって大いに楽しく意義あるお仕事です。
が、思いのほか、困難が待ち受けていようとは…そう、和紙を侮ってはいけないのです。


和紙を折りたたむだけで、自由自在に随所にお茶室の空間を作る

というコンセプトで始まり、私自身は和紙の手配や、折り加工の算段などを考えることで参加してきました。



8月6日、いよいよ実寸の試作モックアップを組み立てることになり

企画のクライアントは、鈴木五郎氏の作品を扱う「ギャラリー五郎」
鈴木五郎氏のお茶器の背景として、この試みのお茶室が行かされる予定です。

和紙から加工して実作してくださったのは
表具師 経新堂稲崎さん

場所の提供は
古民家のgallery園さん


暑い中、サウナのように汗をかきながら、組立作業
組み立てるうちに、想定外(この言葉、嫌ですね)の難題が次々と






しかし、困難なくして作品などできないもの!そこを何とかするのがプロというもの。

プロの皆さんが、何とかしました。








そして、次回試作に向けて、完成に向かって、色々なアイディアが湧きあがります。

和紙の空間は、外の光を柔らかく取り込んで、温かく、気持ちも柔らかくなる素敵な空間です。
和紙の包まれる、意外とない経験ができました。

この穏やかな空間が、「いつでも取り出せるお茶室」というプラン、素敵な視点です、さすが。
それを形にする、職人の技も生きるというものです。


しかし、35℃超えの中での作業は厳しかった。

秋発売の雑誌の撮影があり、和服着用のご指示が飛んできて
やむを得ず、単衣で撮影に。

雰囲気のあるgallery園さんに和紙とお着物はとても合うのです。

しかし、古民家にエアコンはないんですね~
さすがに単衣は暑かった。


汗疹と格闘するため、シッカロールというものに、何十年かぶりにお目にかかりました。



甘いような懐かしい香りがします。

ザ・夏の香りかも。



ちゃんとした写真は、大野幸空間研究所が撮っています
こちらから
http://bit.ly/onjjTj


「これも、ごえんですから」と「始まりの写真」の縁

2011-07-24 00:12:14 | 日本文化
先週・今週末、大塚のgallery園での週末イベントと展覧会
「これも、ごえんですから」と「始まりの写真」復興支援写真プロジェクト

縁側で、畳のお座敷で、玄関先で、まったり
土曜限定で美味しいフェアトレード珈琲とおやつがいただける 園カフェ

縁側で、今日は玄関先の綺麗なお庭が見えるところで、タイ式リフレクソロジーの施術をしていただける
縁側リフレ


珈琲が大好きな私、週末をとっても楽しみにしていました。
フェアトレード珈琲は、ペルーとティモールのもの。

キリっとしているというティモールの珈琲をいただきました。
深入りで苦味は強いのですがすが、独特な香りと甘みとすっきり感もあり、美味しい珈琲でした。

おやつは「閑古鳥」さん(すてきなネーミングの屋号です)の手作りマフィン。
珈琲にとっても合っていたし、バナナの香りが濃くておいしかった。バナナと黒糖のマフィンを選びました。

珈琲を入れてくださる森さんも、閑古鳥さんも、平日はお仕事をお持ちの方です。
でもそれぞれ、フェアトレードの珈琲、材料のお菓子への思いが強くて
週末に活動されているのだそうです。
パワフルですよね、女性のほうが、最近は。


縁側リフレも玄関先、というか庭先の屋外に椅子を置いて、今日は暑くもなく、とても気持ちよかった。
屋外で受けるマッサージ、解放感がとても気持ちいいです。


展覧会は「始まりの写真」プロジェクト
写真家の安藤毅さんが、東北の被災地で、地震で何もかも失ってゼロになってしまった皆さんの写真を撮って
その場でプリントしてプレゼントする、というプロジェクト。
この展示会でも、チャリティーで撮ってくださいます。1000円。

展示してある被災地の写真にうつる皆さんは、とても生き生きと素敵な表情なので、ビックリとともにホッとしたりもしました。

「子供たちなんか、大喜びで、まるで紙芝居のおじさんみたいだよね」とおっしゃっていたのが印象的。
そうか、こんなふうに新しい手法で「紙芝居」の方法があるのか。

写真って、なんだかウキウキするものなんだな、と思い、この「ご縁」の皆さんで写していただきたいと思い
みなさん一緒に撮っていただきました。

今日までに、安藤さんとギャラリーオーナーの勝俣さんが「開けてしまった」東北のお酒のカラ瓶を持つことに。
一人一本ありましたよ、飲みすぎでしょう。

というわけで、被災地東北のお酒を抱えて喜ぶ美女集団の写真が出来ました!



カメラマンは男性だけど、あとはみんな女性でしたね。
最近の女性はバイタリティのある人が多い、とよく思います。
それと、お酒が強い!
いやいや、頼もしい。

その場でプリントしていただきました。
被災地にもこの機材を持って行って、その場でプリントするのだそうです。
嬉しいですよね、その場でプロの写真をいただける。





素敵な写真をありがとうございます。

こんな風に、いろいろなご縁が広がっていく、場所を作るのも素敵です。






夏越の祓い

2011-07-01 03:17:33 | 日本文化
6月30日 1年も半分過ぎた日です。
夏越の祓いの、茅の輪くぐりに行ってきました。

私の家の近所にある、由緒ある神社「小野照先神社」。

小野篁命と菅原道真命をお祭りしています。
小野篁命は平安時代に足利学校を創立した、学者で歌人

なので、この神社は、学問と芸能の神様の神社です。

また、境内に富士浅間神社があり「富士塚」という、富士さんを模した小さな山?があり、
ここは重要有形民俗文化財指定とのことで、史跡です。


1年のうち、夏越の祓いと7月1日だけ、一般に開放されて、「富士登山」が出来ます。
この日は「お山開き」として地元では有名なのです。



お昼すぎに訪れると、人もまばらでしたが、茅の輪をくぐっている方もちらほらいて、
臨時社務所に朝顔のお守りを買う方かな?並んでいました。まだ発売前のようで10人くらいの方が並んで待っていました。
なんだか気になりつつも、

茅の輪をくぐってお参りして
今年半年がなんとか無事に過ぎたことを感謝しました。
輪をくぐると、藁のいい香りがしました。

体調がすぐれないので、元気になりますように…というお願いも少しだけ。






もちろん、富士山にも登ります。
小さいながら、岩場の山道の通りに上ると、頂上は小高い丘の上に立った感じ、







下々を一望できて気分がいいです。

登山の印、ご朱印をいただいてきました。


夕方もう一度行くと、氏子さんたちがお花の苗を参拝者に配っていて、桔梗の鉢をいただいてきました。
今年は「東日本大震災復興祈願」ののぼりが立っていましたが
訪れる人は少ない様子、お花の苗がたくさん残っていました。
今年はもはやかなり蒸し暑いからかな?



こんな天変地異と気象の不安な時は、神社とかお寺に足が向く方が多いのかと思いましたが
そうでもないのかな?
様々なことが起きすぎて大変だった今年の前半半年の、けじめをつけたような気持ちになりました。

お参りの後、家に帰って、水無月を食べて、今年半分を収めました。

さあ、後半もがんばろう。

給茶スポット、増えればいいな!

2011-06-29 21:12:12 | 日本文化
象印マホービンと全国茶商工業協同組合連合会が、やっている取り組み
ロックdeお茶


マイボトルに自分で淹れたお茶を持って歩こう、という取り組み。
そしてお茶を外出先でマイボトルに淹れることが出来る、給茶スポットとお茶Bar。

お茶を給茶してもらえるなんて、それもプロが入れた美味しいお茶なんて、嬉しいです。
加盟店は少しずつではりますが、増えている様子です。
給茶スポットを調べてみると、家やよく行く場所の近くにもあるので、早速給茶してもらおうと思います!


ペットボトルのお茶が全盛ですが、こう暑いと甘いものではなくさっぱりとお茶。
緑茶はカテキンやポリフェノール効果や血糖値を下げたり脂肪を燃焼させたり、といううたい文句の健康ドリンクとしても。

淹れたお茶を飲み慣れてしまうと、ペットボトルのお茶は別の飲み物だなあ~と思います。

この「ロックdeお茶」の取り組みの最大のライバル、清涼飲料水のメーカー数社は
巨大メーカーで力も強いでしょうから、
象印と全茶連が多少頑張っても、広げていくことはなかなか難しいかもしれません。

でも頑張ってほしい!

町の小さなお茶屋さん、ぜひ参加してください。
参加してPRして、緑茶が携帯飲み物になるよう、広めてください。

みんながマイボトルでお茶を持ち歩く都会の光景、カッコイイと思います。
ペットボトルが散乱する道端を見ると、ああこんなに使い捨てられていいくペットボトル達、本当に資源の無駄、
と悲しくなります。
ペットボトルが必要なシチュエーションも、もちろんあると思うので
ペット飲料が無くなればいいとは思うわないのですが、
自分の飲み物を持ち歩くマイボトル、素敵な習慣だと思うのです。

象印さん、一気にブレイクするようなインパクトがあって抜群にカッコイイマホービンを作ってください!
こういうときhがデザインの出番、いいデザインなら、マイボトルを持つことがカッコイイのだ、
とおのずから語ってくれるはずです。

そして、急須で淹れたお茶の美味しさをもっと知ってほしいと思います。
カテキン飲料より、急須のお茶のほうが効果が高いのです。
なにより、お茶は日本のデフォルトな飲み物だったはず…
いつから、珈琲や炭酸飲料に取って代わられたんだろう?



お茶好きな私は、以前からマイボトルに(残念ながら、象印マホービンではなくって、スターバックスのボトル)に
緑茶はもちろん、ほうじ茶、紅茶、ハーブティ、桑茶、烏龍茶…色々なお茶を日替わり、その日の気分や、気温や体調で決めて、持って歩くことが多いです。

その日の予定で変わりますが、普段の用事ならマイボトルが定番の荷物になっています。

私は自分がカフェイン中毒だと思っているくらい、コーヒー好きでもあるので、
1日1杯以上の珈琲は、必ず飲みますしカフェも好きなのでよく入ります。

お茶も、ゆっくり本を読んだりおしゃべりしたりPCを使ったりするときに、いい雰囲気のカフェで
美味しいのを飲みたいな。
珈琲もお茶も、本物で美味しいものが、普通の生活の中の普通の選択肢として
広がればいいなと思います。