ホウジョウキ  ++ 小さな引籠り部屋から ~ ゆく川の流れは絶えないね

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アマチュア・オケを聴く…アマチュアの意味って。

2012-03-17 18:22:18 | 日本文化
※写真はベルリンフィルデジタルコンサートホール サイトから借用しました。
3.11の早稲田大学交響楽団の演奏の写真

先日3月11日に、早稲田大学交響楽団のベルリンフィルハーモニーでのライブ演奏を、
ベルリンフィルのデジタルサイトから生中継で聴きました。

早稲田大学交響楽団は、2012年ヨーロッパツアーの最中で、この日程でのベルリン公演もデジタルライブ配信も、恐らく
数年前から、東日本大震災前から決まっていたことと思われます。
偶然にも、大震災の一年後だったため、追悼公演と冠されました。

顔も知らない後輩たちですが、ベルリンフィルとの関係、ヨーロッパツアー、選曲されているプログラムなど
私が所属していた時代から、さらに遡って数十年からの脈々と続く伝統を見せつけられたことに半ば恐ろしい感じすら持ちつつ
今大学生の彼らは、どんな演奏をするのかな?と緊張しながら配信を観ました。

若者らしく溌剌として好感が持てたし、このコンサートに向けて練り込んで臨んだな…と感じ
何より、彼らの演奏が自信に充ち溢れていたことに、ちょっと感動しました。
演奏後の会場のスタンディングオ―ベーションと、それに向かい合う団員達の顔は希望に満ちていたように感じました。

大学生の部活としてのオーケストラ活動は、いろいろなことが大変です。
音楽大学ではないので、全員の楽器の技量が高いわけでは決してありません。
まあ毎年素晴らしく技量の高い学生たちは一定数いるのですが(なぜ音大に行かない?みたいな)、その逆で、大学に入ってから楽器に触る初心者も少なくありません。

学生の部活ですから、4年間しか存在できず、また先輩後輩という縛りもちゃんとあります。

本業は自分の学部の学業なので、授業や研究などの学業と、部活とのバランスのとり方もそれぞれ違います。
音楽に対する温度差も違います。
学生の部活にしては、高額な費用がかかります。団員にも苦学生も多いのです。学費と同じくらいかかる費用をアルバイトで捻出しなければなりません、一方費用は親が工面してくれる裕福な家庭の学生もいます。
みんないろいろな自分自身の思いを犠牲にしたり反発したり、世の中の不公平に傷ついたり、若者らしく苦悩したりしています。

そんないろいろ面倒なことを乗り越えて、なんとかこのステージにたどり付いていることを
楽団員だったら、思い出すのもちょっと苦々しいほど、わかっています。

だから、ソロパートをやり遂げた奏者や演奏後の晴れがましい表情をみて、

ああよかった、この経験をして、これから胸を張って社会に出て、泥水をかぶりながらも
この斜陽の日本を担っていってくれ。がんばれ、君たちなら出来るよ、と思わずに居られませんでした。
日本をこんな風にしてしまった、なんとも情けない、先輩からのはなむけですが。


今日、3月17日 この早稲田大学交響楽団時代の同期の友達に招待してもらって
ソニーフィルハーモニック オーケストラ の演奏会を聴きました。
ソニーの社員で構成されているアマチュアオケです。

同期の友人と、1年後輩がコンサートマスターとして出演していました。

堂々とした立派な演奏でした。
帰り道に、ブラームスの交響曲1番の4楽章のメロディーを鼻歌で歌いたくなるくらい、楽しい気持ちになりました。
早稲田大学交響楽団の演奏との印象の違い…大人の音だな、というところでしょうか。

会社員のオケですから、これまたいろいろ大変だろう、と想像できます。
何といっても会社員は、まず仕事をしなければならないし、ソニーという会社なら仕事はそれなりにハードでしょうし、
アマチュアオケとして会社内にあるということは、そんなにお気楽に楽器を練習しているとはちょっと思えないからです。
会社員として、家庭人として、様々な事情や思いを持ち寄っての活動だろうと思うと、ちょっと溜息が出ました。

早稲田大学交響楽団で、いろいろ悩みつつ弾いていた仲間が、いま会社のオケでやっぱり弾いている。
こんな日本を職業人として歯を食いしばって何とか支えつつ、やっぱり今でも楽器を弾くんだな。

会社員として忙しい時間を割いてでも楽器を弾いてオケのハーモニーを作る活動が、きっと仕事にもフィードバックされるんだろうな、と想像します。

やっぱり人間は、社会に対して多面的につながりを持たなければいけないんでしょう。
仕事オンリー、家庭オンリー、ではやっぱり足りない。

今や、アマチュア・オーケストラは物凄くたくさんあります。
多くの音大以外の大学にオーケストラがありますし、(早稲田は大きなオケが2つもあります…)
社会人オケ、オーケストラほどの大きな団体ではなくアンサンブルや室内楽として活動しているアマチュアは本当に多い。
よくもこんなにたくさんの人が、楽器に親しんでいるものだ、とちょっと不思議に思うほどです。
私の子供のころ、ヴァイオリンを習っている、というとちょっと奇異な目でみられた気がしたのですが(小中高通じて学校でヴァイオリンを習っている子を知りません)
まあ、実はこんなにいたのか…それも、こんなに音楽に対する情熱と技術の高い人がたくさん。

でも、やっぱりアマチュアは、アマチュアなのです。
たまには、アマチュアからプロに転向した人もいましたが稀です。
アマチュアは、自分の限界を知っています、そしてプロの世界が遥か遠くであることも、プロの人たちはどれだけ演奏に命と生活をかけているのかも。そしてアマチュアの自分はそんなことは出来ないことも。

だから、アマチュアは存在するべきなのだと思います。
技術的に高度高品質な音楽に接するためなら、プロの演奏の方がいいに決まっています。
遥かな高い世界があることを知りつつも、自分の出来る範囲で頑張る自己満足の世界かもしれません。
自分の技術や知識がアマチュアだからこそ、プロの才能や努力の凄さがわかるのです。
そして、自分自身も、音楽ではアマチュアかもしれないが、プロだと胸を張れる分野があることを
再認識している、自分自身をなんらかのプロであれ!と鼓舞しているの姿なのだと思います。

プロフェッショナルには心から敬意を表したい。
その技術や品質を保ち、向上させる果てしない努力に。
その分野で誰かを必ず唸らせたり、感動させたり、幸せにすることに。

そんなプロフェッショナルへの思い心に秘めつつ、自分自身と向き合うアマチュアの熱意に賞賛を送ります。

プロフェッショナルとアマチュアについての連投です。
最近は、プロってなんだ?アマチュアってなんでこんなに跋扈してるんだ?という思いがしばしば湧くのです。