いかんべ祭の「いかんべ」という栃木弁について触れた過日の記事に、興味深いコメントをお寄せいただきました。
マーク様(といっても20年来宇都宮にお住まいだそうですから、私の愛するMKHのマーク様ではないでしょう)、ありがとうございます。この場を借りてお礼を申し上げます。
ってか、この場借りてないでコメントにお返事しなさいよ。
...と思わず自分にノリツッコミを入れてしまいましたが、拙ブログを定点観測してくださっている皆様ならご存知のとおり、私は折角お寄せいただいたコメントに満足にお返事出来ないダメ人間です。
本当に申し訳ないこの筆無精で...いえ、こうして毎日くだくだ文章書いてんですから、筆無精とは明らかに違いますね。
実は私、日常会話からして既に会話のキャッチボールがとても苦手なのです。
演説やスピーチなど、一方的に喋るのはまったく抵抗ありません。それも原稿を読み上げるのではなく、脳内で原稿書きながらその場で喋り、聴衆の反応を見てアドリブをかますことすらします。
だから会話能力の問題ではなく、人間関係の築き方のほうに致命的な問題があるとしか考えられません。
そんな私でも、お寄せいただいたコメントにはいつも感謝しながら拝読しております。
その感謝の気持をお返事としてきちんと表せないあたり、つくづくダメ人間だよなぁ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_cry.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ase.gif)
せめて、こうして後日の記事でお返事していければと......
さて、そのマーク様のコメントで、言語学の研究をなさっている方による栃木弁研究サイトをご紹介いただき、早速拝読してみました。
あぁ、私も大学でこういう研究やったなぁ。懐かしい。
そういう懐かしい手法で栃木弁が研究されているため、私にもたいへん分りやすい内容でした。
もちろん、言語学に特別縁のない方にも分りやすく解説されていると思います。こういう専門的な内容を、分野外の人にも分るように噛み砕いて説明出来るのって、優秀な研究者の条件のひとつですよね。
私の家は母まで4代続いた江戸っ子です。
特に祖母など江戸っ子中の江戸っ子、月島で生まれ育ち、魚河岸に勤める父親を持っていました。
私は栃木県で生まれたにもかかわらず、そういう親の元で育った上、ヲタクな性分ゆえに近隣の子供たちと遊ぶ機会もなく大きくなったものですから、栃木弁とろくな接点を持たずに自分の母語を習得してしまいました。
そんな私が初めて栃木弁に邂逅した(少なくともそう自覚した)のは幼稚園においてです。
先生方の話を聞いていると、「~べ」という語尾が使われていることに気づきました。
たぶん自分も会話に参加していれば無意識的にその喋り方を習得していったであろうと思われますが、私は前述のように人間関係の築き方がえらく不得手なせいで、積極的に他の園児や先生方と会話することはなかったため、周りの状況さえ許せば聞き手に回っていることが多く、まことに耳慣れない語尾だと思ったのを覚えています。
私は子供の頃から言葉に対して異常に鋭敏でした(そのぶん他がニブチンという説も)。
話し言葉における音・書き言葉における文字の好き嫌いが非常にハッキリしていて、そのせいか言葉を覚えるのがやたら早かった記憶があります。
好き嫌いで最初に自覚したのは、自分の「ふくだ」という苗字ですね。
ふくだ姓の方がこれを読んでいらっしゃったら非常に恐縮ですが、自分の名前なので言わせてください、私はこの発音および平仮名の連なりがフに落ちません。
それは丁度、悪臭ではないのだけどどうしても好きになれないニオイに近いです。
「ふ」「く」とウ音が二つも連なり、更に濁音である「だ」に続く組合せがどうにも落ち着かないのです。特に「ふ」から始まるとこがまずい。
だから同じ「ウ・ウ・ア」音でも、例えば「くすだ」なら「ふくだ」のような歯痒さは感じません。
同様に、「ふく」に続くのが「い」とか「やま」とかであれば、そちらに嫌なニオイが「逃げる」(この感覚説明しづらい)から大丈夫です。
ようは、あくまでも音の組合せ・相性の問題なのですね。
対抗策として、私は姓で名乗らなければならない際に、「ふ」を限りなく無音に近く発音することにしています。更に、二つのウ音をイ寄りの弱い発音にすることでニオイを軽減しています。
うあぁぁ。話がまたまたまた派手にそれてしまった。
いえ、じつをいえば逸れてないのです。この激しい脱線で申し上げたかったのは、「言葉にそういう変態的こだわりを持つ人間なので、耳慣れない言葉には人並み以上に敏感だ」ってことです。
幼少のみぎりから変態な私は、次に小学校で国語の教科書を声を合わせて朗読した時にまたこの未知の言葉にぶつかりました。
今度は語彙というよりイントネーションでした。どうも私だけ他の人とピッチが違う。
ピッチに関しては私はあまり偉そうなことは言えません。
なぜなら、言葉のほとんどを一人で読書した際に覚えたので、漢字の書き順と同じく、イントネーションも想像の世界で作り上げてしまったためです。
それにしても私の発音は他の人と違いすぎる。真逆と言ってもいい。
なんとか合わせようとしてみたら、今度はオンチの人が合唱に混ざっているごとく、一人だけ素っ頓狂な音を出してしまいました。
幼稚園で聞いた「~べ」と、小学校で聞いたイントネーション。これが私の栃木弁との邂逅です。
しかし、両方を自然に耳にしながら育ったので、東京下町弁と栃木弁を聞き分けることはできませんでした。ついでに当時の自分がどちらを使っていたのかも無自覚です。おそらく、ちゃんぽんだったのでしょうな。
ただ発音は、訛りの有る無し以前に前述のごとく独学の怪しい代物だったので、それを直そうとするにあたり、手本にしたのが母や祖母の発音でしたから、東京弁寄りの発音になったかもしれません。
「栃木弁」と「東京弁(共通語)」の区別が明確につくようになったのは、やはり東京女子大に入ってからです。
文字どおり東京の女子大ですから、先生方も学友も東京の人が多く、なおかつ言語文化学科なんて特殊な分野の影響で更に言語に対して鋭敏を通り越して過敏になった私は、ここへきてようやく自分のバックグラウンドである二つの方言を明確に区別することが出来るようになりました。
それで初めて、周囲の人達の「あの人は訛りが強い」とか「あの人のは栃木北部の方言だ」といった発言にも納得出来るようになったのです。
大学に入る頃には既に母語の体系が完成しているように思いきや、まだまだ大きな影響を受ける時期のようです。
そういや、大学時代を名古屋で過ごした同郷の友人は、マクドナルドをおもいっきし「マクド」と言っていましたっけ。
ちなみにマミちゃんは「マクダーナルズ」とほざきます。留学時代の影響というより、たんに自分の経歴を見せびらかしたい(聞かせびらかしたい?)だけのように見えます。
彼女はサーティーワンのことも「バスキンロビンズ」と呼んで憚りません。絶対わざとだろ。
同郷の人が私の言葉を聞くとあまり訛っていないように聞こえるかもしれませんが、それには以上のような訳があるのです。
こないだ書いたように、栃木弁を喋ろうとしてもニセ臭さ満載の代物になってしまうので喋らないだけで、聞き取りはまあまあ完璧です。
ついでに言うなら、過敏な私の言語感覚をもってしても、栃木弁は決して汚い方言じゃありません。
もし私のような怪しい似而非発音ではなく、本物の栃木弁を喋れるなら、それを恥じる必要はないのです。
それはすべての方言に言えることですね。言葉遣いに教育水準がそのまま出てしまう言語(英語など)と異なり、日本語の違いは純粋な地域差ですから、どんな地域の人であっても、もっと自分のバックグラウンドである言語に誇りを持って良いと思います。
マーク様(といっても20年来宇都宮にお住まいだそうですから、私の愛するMKHのマーク様ではないでしょう)、ありがとうございます。この場を借りてお礼を申し上げます。
ってか、この場借りてないでコメントにお返事しなさいよ。
...と思わず自分にノリツッコミを入れてしまいましたが、拙ブログを定点観測してくださっている皆様ならご存知のとおり、私は折角お寄せいただいたコメントに満足にお返事出来ないダメ人間です。
本当に申し訳ないこの筆無精で...いえ、こうして毎日くだくだ文章書いてんですから、筆無精とは明らかに違いますね。
実は私、日常会話からして既に会話のキャッチボールがとても苦手なのです。
演説やスピーチなど、一方的に喋るのはまったく抵抗ありません。それも原稿を読み上げるのではなく、脳内で原稿書きながらその場で喋り、聴衆の反応を見てアドリブをかますことすらします。
だから会話能力の問題ではなく、人間関係の築き方のほうに致命的な問題があるとしか考えられません。
そんな私でも、お寄せいただいたコメントにはいつも感謝しながら拝読しております。
その感謝の気持をお返事としてきちんと表せないあたり、つくづくダメ人間だよなぁ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_cry.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ase.gif)
せめて、こうして後日の記事でお返事していければと......
さて、そのマーク様のコメントで、言語学の研究をなさっている方による栃木弁研究サイトをご紹介いただき、早速拝読してみました。
あぁ、私も大学でこういう研究やったなぁ。懐かしい。
そういう懐かしい手法で栃木弁が研究されているため、私にもたいへん分りやすい内容でした。
もちろん、言語学に特別縁のない方にも分りやすく解説されていると思います。こういう専門的な内容を、分野外の人にも分るように噛み砕いて説明出来るのって、優秀な研究者の条件のひとつですよね。
私の家は母まで4代続いた江戸っ子です。
特に祖母など江戸っ子中の江戸っ子、月島で生まれ育ち、魚河岸に勤める父親を持っていました。
私は栃木県で生まれたにもかかわらず、そういう親の元で育った上、ヲタクな性分ゆえに近隣の子供たちと遊ぶ機会もなく大きくなったものですから、栃木弁とろくな接点を持たずに自分の母語を習得してしまいました。
そんな私が初めて栃木弁に邂逅した(少なくともそう自覚した)のは幼稚園においてです。
先生方の話を聞いていると、「~べ」という語尾が使われていることに気づきました。
たぶん自分も会話に参加していれば無意識的にその喋り方を習得していったであろうと思われますが、私は前述のように人間関係の築き方がえらく不得手なせいで、積極的に他の園児や先生方と会話することはなかったため、周りの状況さえ許せば聞き手に回っていることが多く、まことに耳慣れない語尾だと思ったのを覚えています。
私は子供の頃から言葉に対して異常に鋭敏でした(そのぶん他がニブチンという説も)。
話し言葉における音・書き言葉における文字の好き嫌いが非常にハッキリしていて、そのせいか言葉を覚えるのがやたら早かった記憶があります。
好き嫌いで最初に自覚したのは、自分の「ふくだ」という苗字ですね。
ふくだ姓の方がこれを読んでいらっしゃったら非常に恐縮ですが、自分の名前なので言わせてください、私はこの発音および平仮名の連なりがフに落ちません。
それは丁度、悪臭ではないのだけどどうしても好きになれないニオイに近いです。
「ふ」「く」とウ音が二つも連なり、更に濁音である「だ」に続く組合せがどうにも落ち着かないのです。特に「ふ」から始まるとこがまずい。
だから同じ「ウ・ウ・ア」音でも、例えば「くすだ」なら「ふくだ」のような歯痒さは感じません。
同様に、「ふく」に続くのが「い」とか「やま」とかであれば、そちらに嫌なニオイが「逃げる」(この感覚説明しづらい)から大丈夫です。
ようは、あくまでも音の組合せ・相性の問題なのですね。
対抗策として、私は姓で名乗らなければならない際に、「ふ」を限りなく無音に近く発音することにしています。更に、二つのウ音をイ寄りの弱い発音にすることでニオイを軽減しています。
うあぁぁ。話がまたまたまた派手にそれてしまった。
いえ、じつをいえば逸れてないのです。この激しい脱線で申し上げたかったのは、「言葉にそういう変態的こだわりを持つ人間なので、耳慣れない言葉には人並み以上に敏感だ」ってことです。
幼少のみぎりから変態な私は、次に小学校で国語の教科書を声を合わせて朗読した時にまたこの未知の言葉にぶつかりました。
今度は語彙というよりイントネーションでした。どうも私だけ他の人とピッチが違う。
ピッチに関しては私はあまり偉そうなことは言えません。
なぜなら、言葉のほとんどを一人で読書した際に覚えたので、漢字の書き順と同じく、イントネーションも想像の世界で作り上げてしまったためです。
それにしても私の発音は他の人と違いすぎる。真逆と言ってもいい。
なんとか合わせようとしてみたら、今度はオンチの人が合唱に混ざっているごとく、一人だけ素っ頓狂な音を出してしまいました。
幼稚園で聞いた「~べ」と、小学校で聞いたイントネーション。これが私の栃木弁との邂逅です。
しかし、両方を自然に耳にしながら育ったので、東京下町弁と栃木弁を聞き分けることはできませんでした。ついでに当時の自分がどちらを使っていたのかも無自覚です。おそらく、ちゃんぽんだったのでしょうな。
ただ発音は、訛りの有る無し以前に前述のごとく独学の怪しい代物だったので、それを直そうとするにあたり、手本にしたのが母や祖母の発音でしたから、東京弁寄りの発音になったかもしれません。
「栃木弁」と「東京弁(共通語)」の区別が明確につくようになったのは、やはり東京女子大に入ってからです。
文字どおり東京の女子大ですから、先生方も学友も東京の人が多く、なおかつ言語文化学科なんて特殊な分野の影響で更に言語に対して鋭敏を通り越して過敏になった私は、ここへきてようやく自分のバックグラウンドである二つの方言を明確に区別することが出来るようになりました。
それで初めて、周囲の人達の「あの人は訛りが強い」とか「あの人のは栃木北部の方言だ」といった発言にも納得出来るようになったのです。
大学に入る頃には既に母語の体系が完成しているように思いきや、まだまだ大きな影響を受ける時期のようです。
そういや、大学時代を名古屋で過ごした同郷の友人は、マクドナルドをおもいっきし「マクド」と言っていましたっけ。
ちなみにマミちゃんは「マクダーナルズ」とほざきます。留学時代の影響というより、たんに自分の経歴を見せびらかしたい(聞かせびらかしたい?)だけのように見えます。
彼女はサーティーワンのことも「バスキンロビンズ」と呼んで憚りません。絶対わざとだろ。
同郷の人が私の言葉を聞くとあまり訛っていないように聞こえるかもしれませんが、それには以上のような訳があるのです。
こないだ書いたように、栃木弁を喋ろうとしてもニセ臭さ満載の代物になってしまうので喋らないだけで、聞き取りはまあまあ完璧です。
ついでに言うなら、過敏な私の言語感覚をもってしても、栃木弁は決して汚い方言じゃありません。
もし私のような怪しい似而非発音ではなく、本物の栃木弁を喋れるなら、それを恥じる必要はないのです。
それはすべての方言に言えることですね。言葉遣いに教育水準がそのまま出てしまう言語(英語など)と異なり、日本語の違いは純粋な地域差ですから、どんな地域の人であっても、もっと自分のバックグラウンドである言語に誇りを持って良いと思います。