今日は大変な日でした。
3ヵ月に一度の検診の日。もう数年前から卵巣に3センチばかりの腫瘍を抱えていました。
悪性なのか、良性なのかわからないままでした。腫瘍マーカーはあがっていませんでした。
大きくなったら切りましょう、そういわれて過ぎてきました。
ところが3月いえ2月中旬ごろから違和感を覚えるようになって、
堅いものがある感じがしてきました。
さすがに心配で待ちかねて病院にいきました。
医者が「随分急に大きくなりましたね」と驚いています。
「できるだけ早く手術をしましょう」と
慌てて手術に必要な検査の申請を始めました。
「悪性でしょうか?」
「切ってみないと判りません」
医者が右の卵巣と書いています。
「????いままで、左といわれていましたが右なんですか?」
「そうですね、だから何なのかCTで調べます」
「??????」
そして入院手続きには「卵巣がんの疑い」とありました。
はっきりとした宣告もなく・・・。
こんなに早く大きくなるのであれば最早播種がおきているのではとか、入院したまま家に帰れないのは困るとか、あれこれ考えました。
いずれにしても私の人生は大きな嵐の中に突入しつつあるようです。
入院までは、手術までは嵐の前の静けさなのです。
のんびり楽しく過ごそうと思うと、必ずそれが許されない。
妙なジンクスです。
夫の癌の発病もそんなときでした。夫52歳、私51歳。
半年の命でした。あれから14年です。
まだ半信半疑の私は、せっせといろんなことの引継ぎを頼んでいて、
我ながら妙に落ち着いています。
夫の時に一番辛かったのは癌とわかったときではなく、
手術後末期だとわかった時でした。
そして夫がその意味を私ほどには理解していなかったことでした。
私には自分の人生を整理する時間だけは与えてほしい、
それが願いです。
どうなるのか、それがはっきりするのはちょうど2週間後です。
病院の帰り、美しく桜が咲いていました。
3ヵ月に一度の検診の日。もう数年前から卵巣に3センチばかりの腫瘍を抱えていました。
悪性なのか、良性なのかわからないままでした。腫瘍マーカーはあがっていませんでした。
大きくなったら切りましょう、そういわれて過ぎてきました。
ところが3月いえ2月中旬ごろから違和感を覚えるようになって、
堅いものがある感じがしてきました。
さすがに心配で待ちかねて病院にいきました。
医者が「随分急に大きくなりましたね」と驚いています。
「できるだけ早く手術をしましょう」と
慌てて手術に必要な検査の申請を始めました。
「悪性でしょうか?」
「切ってみないと判りません」
医者が右の卵巣と書いています。
「????いままで、左といわれていましたが右なんですか?」
「そうですね、だから何なのかCTで調べます」
「??????」
そして入院手続きには「卵巣がんの疑い」とありました。
はっきりとした宣告もなく・・・。
こんなに早く大きくなるのであれば最早播種がおきているのではとか、入院したまま家に帰れないのは困るとか、あれこれ考えました。
いずれにしても私の人生は大きな嵐の中に突入しつつあるようです。
入院までは、手術までは嵐の前の静けさなのです。
のんびり楽しく過ごそうと思うと、必ずそれが許されない。
妙なジンクスです。
夫の癌の発病もそんなときでした。夫52歳、私51歳。
半年の命でした。あれから14年です。
まだ半信半疑の私は、せっせといろんなことの引継ぎを頼んでいて、
我ながら妙に落ち着いています。
夫の時に一番辛かったのは癌とわかったときではなく、
手術後末期だとわかった時でした。
そして夫がその意味を私ほどには理解していなかったことでした。
私には自分の人生を整理する時間だけは与えてほしい、
それが願いです。
どうなるのか、それがはっきりするのはちょうど2週間後です。
病院の帰り、美しく桜が咲いていました。