歌の力、この言葉はNHKが力をいれて放送している曲の題です。
今年50周年を迎える紅白歌合戦を記念し久石譲氏が作曲した歌。
何でも、キャチフレーズは「歌のちから・無限大」とか。
私は小さい時から音痴と思い込まされて、人の前で歌うのが極端に
嫌いでした。
中学の3年の時、父の転勤で上京することになったのですが、
担任だった音楽の先生が
「あなたは音域が狭いだけで、音痴ではないから、どんどん歌いなさいね」とわざわざ餞別の言葉をおくってくれました。
転校した東京の中学では音楽の採点のために、一人ひとり歌わされました。
それを聞いた同級生が「それ程でもないじゃない。」と変な慰め方をしてくれたものです。
そして、相変わらず、みんなの歌の輪に入れないままでした。
大学を出る頃、ある女性シンガーソングライターの隠れフアンになりまし
た。
彼女は毎月国立の小さなレコード店の2階でコンサートをひらいていて、
そのニュースを見るたびに、行きたいという思いを抱いたのですが
果たせませんでした。
女性としての生き方にも共感を覚えながら、彼女の本を読んだり、
レコードを聴いたりして、隠れフアンを続けていました。
そんな彼女と会ったのは、アイルランドへのツアーに参加した時でした。
娘同伴の私はすでに50代間近、参加者はほとんどが彼女のフアン。
アイルランドの教会ではその地の楽器とのジョイントでコンサートも開かれました。
ギター片手に晴れやかに、参加者を巻き込んで歌う彼女を見ながら、
あっという間に心をつなげる歌の素晴らしさに浸りながら、羨望を感じてもいました。
共感や理解を得るために、多くの時間を割かなくてはならない分野に比べて、あっという間に引き込んでしまえる歌の力の素晴らしさ。
私にもその力があったらと思ったものでした。
それは夢のまた夢。
私の歌コンプレックスは依然として消えることなく、続いていました。
長い勤務期間にあっても、何かのお祝いの会でも歌うことなく、
ついには私が歌うのは「退職の時」ということになりました。
退職があと1年に迫った時、私はそのシンガーソングライターに
レッスンを受けさせて欲しいとお願いしました。
忙しい彼女は月1度のレッスンを承知してくれました。
彼女いわく、「歌もまた体の筋肉をつかう運動です。そのために必要な筋肉を鍛えなくては」と。
長い間使わないで萎縮してしまった喉の筋肉や胸の筋肉を
もっとしなやかなにしなくてはということになりました。
そして1年後、私が歌ったのは「四季の歌」と「we shall overcome」。
今でも時々車の中で思い出したように歌ってみます。
今年50周年を迎える紅白歌合戦を記念し久石譲氏が作曲した歌。
何でも、キャチフレーズは「歌のちから・無限大」とか。
私は小さい時から音痴と思い込まされて、人の前で歌うのが極端に
嫌いでした。
中学の3年の時、父の転勤で上京することになったのですが、
担任だった音楽の先生が
「あなたは音域が狭いだけで、音痴ではないから、どんどん歌いなさいね」とわざわざ餞別の言葉をおくってくれました。
転校した東京の中学では音楽の採点のために、一人ひとり歌わされました。
それを聞いた同級生が「それ程でもないじゃない。」と変な慰め方をしてくれたものです。
そして、相変わらず、みんなの歌の輪に入れないままでした。
大学を出る頃、ある女性シンガーソングライターの隠れフアンになりまし
た。
彼女は毎月国立の小さなレコード店の2階でコンサートをひらいていて、
そのニュースを見るたびに、行きたいという思いを抱いたのですが
果たせませんでした。
女性としての生き方にも共感を覚えながら、彼女の本を読んだり、
レコードを聴いたりして、隠れフアンを続けていました。
そんな彼女と会ったのは、アイルランドへのツアーに参加した時でした。
娘同伴の私はすでに50代間近、参加者はほとんどが彼女のフアン。
アイルランドの教会ではその地の楽器とのジョイントでコンサートも開かれました。
ギター片手に晴れやかに、参加者を巻き込んで歌う彼女を見ながら、
あっという間に心をつなげる歌の素晴らしさに浸りながら、羨望を感じてもいました。
共感や理解を得るために、多くの時間を割かなくてはならない分野に比べて、あっという間に引き込んでしまえる歌の力の素晴らしさ。
私にもその力があったらと思ったものでした。
それは夢のまた夢。
私の歌コンプレックスは依然として消えることなく、続いていました。
長い勤務期間にあっても、何かのお祝いの会でも歌うことなく、
ついには私が歌うのは「退職の時」ということになりました。
退職があと1年に迫った時、私はそのシンガーソングライターに
レッスンを受けさせて欲しいとお願いしました。
忙しい彼女は月1度のレッスンを承知してくれました。
彼女いわく、「歌もまた体の筋肉をつかう運動です。そのために必要な筋肉を鍛えなくては」と。
長い間使わないで萎縮してしまった喉の筋肉や胸の筋肉を
もっとしなやかなにしなくてはということになりました。
そして1年後、私が歌ったのは「四季の歌」と「we shall overcome」。
今でも時々車の中で思い出したように歌ってみます。
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