
ルポルタージュというより”インタビュー”というより、いや恋人同士の囁きに映った。
沢木耕太郎と言えば、”ルポルタージュの第一人者”として知られ、日本中にファンも多い。私も大ファンの一人で、「深夜特急」や「一瞬の夏」には感服させられた。特に「敗れざる人々」には、我が青春の価値観を一変させた。
「流星ひとつ」は、沢木氏がノンフィクションからルポルタージュに転身するきっかけとなった、壮大な作品(当時は未発表)でもある。
”時代の歌姫が何故、歌を捨てるのか?その問いと答えを、彼女の28年間の人生と交差させながら、インタビューだけで描ききる。そしてタイトルを「インタビュー」とする。私はその思いつきに興奮した”
「インタビュー」最終章
この作品の原型となる「インタビュー」は、1979年秋の一夜である。場所は、東京のホテルニューオオタニ40階にある、バー•バルゴー。
展開としては、一杯目の火酒(ウォッカ)から始まり、ニ杯三杯と進み、八杯目で終わりとなる筈だが。沢木氏が歌手を辞めると決断した藤圭子を必死に慰めるシーンが続く。
最後の最後に、2人の最愛の恋人が別れる様なクライマックスが、実に華麗に哀しく映る。
少し長いですが、余韻に深く浸る為に2人の最後の会話を一部紹介です。少しアレンジしてますが、悪しからずです。
1R
”もうやめるんだ?”
”ウン、いい加減な決心じゃないんだ”
”それは分ってる”
”もう決心したんだ、もう戻れないよ”
”もし歌わなければならない理由が出来たら?”
”肉体的なものだから、もう限界よ”
”でも、肉体的欠陥と思ってた事が、欠陥だと思わなくなる日が来るかもしれない”
”でも、持って生まれた喉を切ったんだよ”
”切った事が口惜しい訳だ?”
”でも、歌を辞めてよかったと思うかもしれないし”
”それはいつになるかな”
”長く歌い続ければいいってもんじゃないよ、ダメな歌は歌じゃない”
”また厳しい事を言う”
”だって、そう思うんだもん”
2R
”死ぬまで頂きに居続けるという事は、無理なんだろうか?”
”歌謡曲の歌手ではあり得ないね、まず声が飽きられる”
”確かに”
”女だって飽きちゃうんでしょ?たまには違う味の女がいいとか”
”独身の女にしては、随分と露骨ですねえ”
”でもそういう事はよくあるんだ、上手い下手は別にして”
”そんな中で貴方は10年もやってきた。藤圭子という巨大な産業を一人で運営してきたんだ。大変な業務だったよね”
”ウン、心があると大変なの”
”心が?”
”こういう仕事は、特にね”
”人間的なものは必要ないのかな?”
”歌手として、必要なだけの人間味はなきゃいけないけど”
”そうかな”
”業務用には、心を取り外さないとやってけないよ”
3R
”貴方は一度頂きに登ったよね、そこには何があったのかな?”
”何もなかった、私の頂上には何も”
”何も?”
”禁断の実があったかもしれない。ライバルがいたら頑張ったかもしれないけど、まずく思えたの”
”その頂から降りるには、転がり落ちるか、他の頂に飛び移るしかないと言ってたよね。しかも、最も安全な飛び移りは結婚だって”
”でもダメだと思う、結婚は出来ないと思う”
”何故?”
”気が弱いんだよ、きっと幸せが薄いんだよ”
”そうかな?”
”今風のいい女のフリしてれば、幸せな時が続くかもしれないけど”
”男らしい考え方だ”
”褒め言葉のつもり?”
”最上級の、ね”
”嬉しくはないけど嬉しいよ、でもこれからどうなる事やら”
”貴方はどう生きても崩れない、きっと崩れない。崩れかかっても貴方の生命力がそれを修復する”
”そうかな?”
”そうさ”
”そうだといいな”
4R
”貴方の引退をTVで知った時、「星、流れる」と思った”
”流れ星のこと?”
”「流星ひとつ」と声に出したくなった”
”流れ星か、見た事ないな”
”故郷の旭川の空は澄んでたんでしょ?”
”子供時代、何も見てなかったのかもね”
”参りますねえ、インタビュアーとしては(笑)”
”北海道はもう雪かな”
”故郷に帰りたい?”
”帰りたくない、東京の方がいい”
”寒いから?雪が嫌いから?”
”故郷なんてもう何処にもないんだよ”
”そう...”
5R
”この間、仲の良かった友達に会って、もうやめると言ったんだ”
”彼女たちは何と言ってた?”
”良かったねって”
”ハワイに行くと言ってたね”
”英語を勉強したいんだ”
”どうして英語なの?”
”英語って耳にとてもいいんだ。それに何か1つの事に集中したいんだ”
”そいつはいい、ぜひ頑張るといい”
”ありがとう”
6R
”歌をやめるという貴方に、もう余計な事を言う必要はないね。だけど...”
”だけど?”
”いや、心配な事が1つだけあると言った方がいいかな”
”どんな事?”
”貴方が歌手をやめた時、煌めく何かを持てるのだろうか?”
”そんな事心配してないんだ、ア•タ•シ”
”それならいいんだけど”
”私は歌手をやめるけど、藤圭子をやめる訳じゃないんだ”
”どういう事?”
”本名は阿部純子だけど、デビューした時に藤圭子という名前をもらい、生まれ変わったんだ”
”なるほど”
”違う名前を持つ事は、生まれ変わるみたいに大変な事だと思うの”
”2つの世界を器用に行き来するなんて、ホントは出来やしないよな”
”そうなんだ。だから藤圭子の方を大事にしようと思う。本当の誕生日は7/5だけど、デビューした9/25の方が本当の誕生日の様な気がするんだ”
7R
”でも現実には、お母さんの姓の竹山純子に戻るんだけど”
”ウンでも、竹山純子には戻れないと思う”
”歌う歌わないにかかわらず?”
”もう藤圭子に生まれ変わったんだから。藤圭子をやめたんじゃない、歌をやめたいだけなんだ”
”面白い!僕には判る様な気がするけど”
”ウン、理解してもらえないかもね”
”とにかくこの世界とはサヨナラする訳だ?”
”それはそうだよ”
”でもあの藤圭子の煌めきは、失われるかもしれないな”
”それは違うよ、歌を辞めてもキッチリと生きていけば顔に出るから、平気だよ”
”それならオーケーだ”
”仮に今煌いてたとしても、ダメと思いながら人に芸を見せてるんだから、やめるべきなんだよ”
”そうか、やめるべきなんだ”
”12月26日が最後の舞台なんだよね”
”デヴューしたのが1969年の秋だったよね、貴方は本当に70年代を歌い続けてきたんだ”
”ちょうど10年か、区切りがよくていいね”
”やめるとなると寂しい?”
”10年もやれば、いいよもう”
”また何か次を見つければいいさ”
”ウンそうする”
”それでいいさ”
8R
”綺麗だね、ここから見ると暗い空もネオン街も”
”最後にもう一杯、ウォッカを呑もうか”
”ウン乾杯しよう”
”何に乾杯する?貴方の前途に対して?”
”そんなのつまんないよ”
”ではこのインタビューの...”
”成功を祝して?”
”いやこのインタビューは失敗してる様な気がする”
”どうして?”
”どうしてかな、でもそんな気がする”
”じゃ失敗を祝して(笑)、盛大に乾杯!”
”ウン、乾杯”
「流星ひとつ」レビュー
脅威の歌声を誇った昭和の歌姫。70年代の芸能界を支配した時代の申し子。"東洋のクレオパトラ"と噂された美貌と地盤を揺るがすかの様なハスキーボイスに魅了された人も多いだろう。
神の領域を超えてしまったからこその悲劇であろうか。稼ぎっぷりも浪費癖も半端ない。最後は極度の精神障害に陥り、飛び降り自殺したのは周知の通りだ。
父親の暴力に怯え、盲目の母を助ける為、小さい時から流しで唄い始める。家計を支える為に高校進学を断念し、17歳の時関係者の目に留まり上京した。
その後一気にスターダムへと駆け上がる。昭和の時代の典型のジャパニーズドリームだ。
そんな彼女も10年間の歌手生活に突然ピリオドを打つ。5年前に受けた喉のポリーブ除去の手術が大きな原因だと、彼女自身このインタビューで語ってるが。
当時で5千万円以上と格外の年収を稼ぎ出す藤圭子も、小さい頃は頭も良く勉強もよく出来た。特に数学が得意で家が貧しくなかったら、美人の音楽教師と評判になってたろう。それでも普段はギャンブルに夢中になり、イイ男には実直に惚れ込むごく普通の色気盛りの女だった。事実、様々な交友関係も噂された。著者の沢木さんもその一人だが(笑)。
確かに、この「インタビュー」はまるで親密で洗練された恋人同士の会話の様だ。いや、男と女の間で交わす理想の上質で良質な呟きに映った。
ウォッカを飲み重ねる毎に、沢木さんも多少熱くなり、取材という立場から一ファンとしての主観的なツッコミに、酔った彼女が色っぽく困惑するのも意外で、実に可愛らしい。最後は親しい恋人が乾杯するかの様な形でインタビューは終わる。
このインタビューで、藤圭子は優れた才気を遺憾なく発揮し、あるがままの彼女をさり気なく演じてる。一時代を支配した高慢なドル箱スターではなく、まるで沢木さんに惚れ込む、ごく普通の女を演じてるかのようだ。
こんなにも濃密なインタビューがかつてあったろうか。ただ、著者が引退を執拗に残念がった様に、引退後の彼女の人生は酷く荒れたものになる。
しかし、彼女はこの原稿がお気に入りでいつも大切に持ち歩いてたというから、沢木さんに気があったのも確かだろう。
その彼女も引退後はハワイからニューヨークへと渡り、そこで宇多田氏と結婚するも7度の復縁を繰り返す。男運の悪さは宿命か。その後、宇多田氏との別居後はさらに荒れまくり、薬物に手を染めてたとの噂もある。
彼女は藤圭子のまま波乱の生涯を駆け抜けたのだろうか。"あなたは崩れない。どんな生き方をしても崩れない"との著者の言葉が虚しく響く。
沢木耕太郎は、このインタビューが失敗に終わりそうだ予感する。それは引退後の彼女の崩落を予感してたのだろうか。
彼女との対談を重ねる内に、彼女の内部に潜む残忍さというか凶暴さを見抜いてたのかもしれない。
しかし、才気溢れるクレバーな女性だったから、歌い続けてさえいれば、真っ当な藤圭子を維持出来る事を見抜いてたのだろうか。
何故、藤圭子は壊れたのか?
そして、この”インタビュー”は未発表のまま終わるかに思えた。
そして、沢木氏が一番危惧してた事が起きた。そう、彼女は藤圭子はとうとう壊れたのだ。壊れない筈の彼女が壊れたのだ。
投身自殺という最悪の終わり方だった。いや藤圭子らしいと言えばそれまでか。彼女が味わった”頂上”から降りるには、自殺しかなかったのか?それも頂上の甘い蜜を味わう事なく。
”頂き”に立つってのは、それ程までに残酷で孤独な事なのか?
沢木氏が言う様に、藤圭子は復帰すべきだった。ポリープの手術を受けた後の歌声の方が人間味が滲んでて良かったという声もある。何故?藤圭子はその声を受け入れなかったのか?心はそこまで侵されてたのか?
いや、彼女の心が歌声についていけなかったんだろうか。”ウン、心があると大変なの”という言葉が全てを物語る。
藤圭子は歌を声ではなく、心で歌った。歌声に憑かれた心が、今度は歌声に疲れたのだろうか。
沢木耕太郎の迷いと別れ
沢木氏はこの「インタビュー」を新潮社から出す予定だった。引退したばかりの藤圭子にも了解をとってた。
でも沢木耕太郎の”迷い”は消せなかった。編集者に相談すると、”迷いがある以上、発表するのはやめた方がいい”との事だった。
沢木氏は、この「インタビュー」を「流星ひとつ」というタイトルに変え、1冊の本にしてもらい、アメリカに留学してる藤圭子に送り、出版の断念を伝えた。
彼女からは、”出版してもいいとは思うが、判断は沢木さんに任せる”という返事だった。
しかし彼女は、この「流星ひとつ」のあとがきが大好きだった。
その後彼女は、ニューヨークで宇多田照實氏と結婚し、宇多田ヒカルというこれまた”時代の歌姫”を生み、娘ヒカルもまた、藤圭子に勝るとも劣らない”頂”へと一気に登り詰めた。
沢木は彼女が望んだものを手に入れたらしい事を喜んだ。そしてこの「流星ひとつ」は、長く放置されたままになる。
実は沢木氏には、この「流星ひとつ」を出版しようと思った時期があった。藤圭子が宇多田ヒカルの母として、幸せな状況にあると考えられてた頃だ。
未完の作品として発表する為に、”彼女”に連絡を取ろうとしたが、結局直接の連絡が取れないまま、ダラダラと時間が過ぎた。
一方、藤圭子も復帰しようかと迷いに迷い、ダラダラと時間を先延ばしにしてたのかもしれない。
沢木耕太郎は、”インタビュー”を「流星ひとつ」として永遠に葬る事にした。そしてその直後の出来事だった。
読んでるだけで酔っちゃった。
ホント恋人同士以上だよ。
アアこんな会話してみたいな。
転んだサンの微妙なアレンジも絶妙なのかな。憎いぞこの野郎!
女って本気で男を好きになると壊れるのかな。
少しブルーになったけど、バイバイね👋
最後は哀しい乾杯でしたが。藤圭子の全てが凝縮された様な”インタビュー”でした。
このインタビュー記事は当時、前代未聞の傑作とも騒がれました。沢木さんも相当な自信があったんでしょうが。結局、藤圭子が生きてる間には出版される事はありませんでした。
沢木さんの迷いは、出版に対する迷いというより藤圭子さんへの想いに対する迷いといった方がいいかと思います。
人を好きになるという事はそれだけ迷いを増幅させるんですかね。
噂で聞いただけで実際に本を読んだ事はないのですが。転んだサンのブログを読んでしんみりと来ました。
沢木さんの本を読んでると、その洞察には頭下がります。
常に自分の奥深くにある思いを感じ取りながら、ドキュメンタリーを書いてんでしょうね。ルポルタージュが一生を掛けた人生の報告書とは、沢木さんしか言えない言葉です。
「流星ひとつ」はルポルタージュのなかでも最高傑作ですね。
すぐに出版しなかった気持ちは理解できます
会話の隅々に、藤圭子が心を全開にして話している雰囲気が伝わってきます
自分で自分を全部わかりすぎていたのでしょうか ?
胸に迫りました
藤圭子の美貌とドスの効いた声よ永遠なれ!
事実、藤圭子もそれを暗に望んでたし、沢木さんもこの圧巻のルポルタージュを胸の内に隠し続けるには勇気がいったのではないか。
最後は悲劇的な幕切れとなりましたが、素晴らしいノンフィクションだと思いますね。
藤圭子の歌手としてのキャリアは引退する26歳でほぼ終わったと思いますが、その後の藤圭子としての人生は辛い事だけだったのかな。
でも、沢木氏も藤圭子にも空白の時期はあった訳だし、その時にこのインタビューを出版してたらとも思うけど。
人間、一度狂うとなかなか元には戻らないし、人生って不思議なものですね♪
藤圭子の父は暴力夫で母は盲目でした。彼女も母も、毎晩の様に殴られてたらしく、生きてるのが不思議な程でした。故にその壮絶さは酷すぎて、彼女自身も周囲に漏らす事はなかったんです。
彼女が出世すると、父親を切り捨て母と同居します。それでも父親は汚いやり口で何度も彼女に大金をセビッたそうです。
それらの苦悩を沢木さんだけには漏らしたんですね。事実、2人は深い関係にあったとも噂されてます。故に、このルポルタージュは彼女の全てだったんです。
しかし、このインタビューを封印しようと沢木氏が決めた丁度その時に彼女は自殺します。
1つのルポルタージュが藤圭子の人生に何処まで影響を及ぼしたのかは知る余地もないですが、出版してたらひょっとしたらとも思います。