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我が家には毎月、5つか6つの広報誌が届く。最低でも柳川市報が2つ、農協だよりと筑後農林とシルバー系が各1つずつ。それに派手な色彩のダイレクトメールを含めれば、10近くの冊子がこれでもかと届く。
まるで、雑ガミの集中砲火である。
ペーパーレスは、地球温暖化にとってもゴミ処分の簡略化にとっても重要な課題な筈だ。
自治体はゴミを分別する様に、専用アプリを用意し、広報誌や回覧を回し、燃えるゴミの縮小を必死に訴えかけるが、その市報こそが最悪なゴミ害だとしたら?
それに、環境問題やゴミ害以外にも、高く突きすぎるコストという大きな壁がある。
作っても誰も手に取らない紙の無駄、人件費の無駄、印刷費やデザイン代を含めた制作費の無駄、つまり大きな税金の無駄。
因みに、新聞紙型の場合は”広報紙”、A4判などの雑誌型は”広報誌”と表記する。
しかし、燃えるゴミという視点で見れば、両方とも雑ガミにすぎない。
昨日も”何でオイルを回収せへんの”で述べたが、産廃系ゴミと同様に、広報誌やダイレクトメールの処分も非常に困ったもんだ。
広報誌の悲しい現実
そこで今日は、住民が本当に必要な情報をキャッチアップできない広報紙の悲しい現実についての紹介です。
因みに我が柳川市では、A3版(半カラー)の8頁(或いは16頁)の奴が、全2万5千世帯に月2回配布される。
私が過去、広告代理店にいた経験からして、大まかな推定だが、印刷代だけでも1部40円として、40円×25000世帯×2回=200万円は、最低でも掛るだろうか。
それ以外に広報誌の無駄としては、原稿を手書きする無駄、原稿を写植にする無駄、デザインを外注する無駄、印刷する無駄、修正の無駄、配達の無駄、そして紙の無駄と雑紙処分の無駄。
つまり、無駄の全てが広報誌に詰まってるという事だ。
手に取る事すらない広報誌に、これだけのムダが重なり合う。全国広報コンクールなんて未だに存在するが、これこそが最悪で最大級の”無駄の大型イベント”である。
広報誌をすべて電子ペーパー化すれば、”ワープロ=即完成”で、デザインに拘らなければ写真を組み入れるだけで済む。シンプルな紙面のレイアウトならHPビルダーすら必要ない。
高く付く予算も広告の募集も雑紙処分料も一切掛からない。
勿論、スマホやパソコンを使えない高齢者には広報紙は必要だろうが、それ以外は殆ど必要ない。
広報誌の命は、ハードカバーみたいなアナログの質感や表紙の色彩ではなく、リアルタイムな情報とその正確さにある。デザインとか紙面の出来栄えは2の次3の次だ。日付や名前を間違ったら、その時点で信用はなくなる。
しかし、電子ペーパーならリアルタイムで更新&修正ができる。
そういう私もJAの広報誌を作ってたから、それらの無駄とコストは痛いほど理解できる。
事実、どれだけの人が広報誌や市報を読んでるのか?多分、大半の人は手に取る事もせずに、ご丁寧にビニール袋に入ったままの市報をそのままポイ捨てだろう。
一部の政治家や役人の為だけにある広報誌なら、少しは考える必要がある。
因みに、印刷に使うインクはかなり毒性が強いと言われ、現場の作業員には口内癌が多いと聞いた事がある。健康を考える点でもペーパーレスへの移行は重要な環境問題ではある。
最後に〜広報コンクールの無駄
全国広報コンクールは、地方自治体等の広報活動の向上に寄与する事を目的に、優秀団体を表彰するもので、公益社団法人日本広報協会により、1964年から実施。
総務大臣表彰は1965年、内閣総理大臣表彰は1975年、読売新聞社表彰は2002年から実施されてる。
これだけを見ても、政治の匂いがプンプンしますね。つまり、こうした政治悪の根源をなくさない限り、広報誌はなくならないという事だ。
粗大ごみと成り果てた政治家と同様に、広報誌も同じ運命を辿りつつある。
それでも日本人は、紙というアナログの質感に拘るのだろうか?
広報誌とは言えど、その実態は新聞でも雑誌でもない、所詮はありきたりな地域の回覧版だ。高齢者専用の広報誌だけを用意し、他はページ数を縮小し、回し読みすれば済む事だろう。
それこそペーパーレスにすべきだと思う。税金の無駄使いはそういう所からも削減できる筈だ。
私が広告代理店に勤めてた頃は、高齢者施設業と共に最低の職種だとからわれたもんだ。
そしてそれが現実のものとなる。
広告業が”チラシ屋”と呼ばれてた頃は、儲かってたし、まだ華があった。しかし今や、雑ガミを廃棄するだけの産廃系業種に成り下がりつつある。
有害な毒性の強いインクと広報誌という誰も手にする事のなく処分場に送り込まれる粗大ごみ。
ここまで書いても、広報誌は必要なのか?地域の貴重な情報源なのか?
それとも、人と人を繋ぐアナログの伝道師なのだろうか?
アナログ人間代表より
読まない広報誌なら絶版にした方が、環境にも庶民にも優しいですかね。
実は私もアナログ人間ですが、広報担当経験者から言わせると、最初は楽しいけど慣れるとアホ臭なんですよ。特に田舎はネタがないから余計に。極論を言えば、SMSでも十分に思える程です。
事実、私が広報誌を作ってた頃は、読む事もなく数百部を束にして焼却炉に入れる人がいた。その時はとても腹が立ったんですが、今から思うと、笑ってしまいますね。
田舎にはネタがないし、刷るだけ無駄ってのは明らかなんだけど。
それでも、何か裏の支えがあるから続けてんだろうね。
無駄のオンパレードって、広報の経験者の転んだ君が言うんだからな、思わず笑ってしまった。
でも、数百部単位の広報誌を毎日のように呑み込む焼却炉も大変だったろうに。おっと、笑っちゃいけないよな。
でも正直悔しかったですよ。一生懸命徹夜続きで書いた広報誌が、無残にも束になって燃やされるんですから。
しかし醒めた目で見れば、無駄のデパートなんですよね。タダだから読むんですよ、有料なら500%読まない。
そんな税金の無駄に無能な政府がバックアップする。広報誌が存続できるのも明確な裏がありますよね。
何だか続編を書きたくなりました。
なんとか地域住民に読んでほしいと、無給に近い待遇で奮闘してる担当者には可愛そうで酷ですが、既に時代がお呼びじゃない気もする。
”束になって燃やされる”運命にある広報誌こそが、転んだサンの言う”今そこにある現実”なんでしょうね。
タダだから読む人は有り難いと思う。しかし有料だったら見向きもしない。
むしろ有料にして、広報誌の歴史の幕を静かに下ろしたほうがとも思いますが。
コロナの影響で今の日本にはお金がない。都会も地方ももっとお金がない。政府も自治体もバックアップする方向を間違ってると思うけど。
政治家や役場がケツを叩いて広報誌を作らせる。しかし、ネタ的には既に限界がある。
何か広報誌に代わる決め手となるフリーペーパーはないのかな。
結局、難しい問題ではありますね。