
大場政夫に関する事を追加したら、量が膨大したので、”大場政夫編”として新たに独立させました。よって、大場政夫の部分を除き、元に戻します。悪しからずです。
”負の要因を発想の転換”で、正の要因に転じたアスリートのプチ物語の第一回です。多少、編集&補足してます。
昔、ロッテにレロン・リーという外国のプロ野球選手がいた。外国選手が"害人"と蔑まれてた頃のお話。
彼は敢えて、日本語を理解しなかった。当然、周りの日本人が何を言ってるのか分らない。お陰で、自分の悪口を一つも聞く事なく、プレーに集中出来た。温厚な性格でファンも多く、日本プロ球界で初めて成功した"外人"と評された。
因みに、弟のレオンも、日本ではお行儀よくプレーし、多くの日本人のファンに親しまれた。
南海にカルロス・メイという黒人のプロ野球選手がいた。彼は親指がなかった。 兵役に従事した際、敵のバズーカ砲で指を落としたらしい。メジャーで主力として活躍した後、日本に来日した。
指のない元メジャーをメディアは色目で見た。しかし、監督は彼をスタメンで使い続けた。彼も監督の好意に応え、自慢の打棒は連日火を吹いた。
因みに、彼はシカゴホワイトソックスにドラ一でメジャーに入団。だが入団3年目にしてこの不幸と出会った。しかしこの怪我を克服すべく独自に編み出したクローズド打法で、通算1127安打を記録するなどメジャーの中心選手となってたのだ。
怪我で入院してた、南海の主砲の門田は勇気付けられた。”指がなくても巧く打つんだな、結局努力なんだ”と、勇気付けられたという。
ケビン•ミッチェルという元大リーガーを知ってるだろうか。彼は少年の頃、連夜の如く銃をぶっ放す悪童ギャングだった。ある夜、彼は敵の銃弾を素手で避けようとして、左手に穴が空いた。
その後彼は、メジャーに入団するも、差別もあり、典型の"何でも屋"のスラムリーガーだった。
彼は考え方を変えた。"全ての球を3階席までブッ飛ばしてやる"と。翌シーズン、彼は堂々たる本塁打王に輝いた。
メジャー退団後は、ダイエーでもプレーし、高い契約金で入団するも、度重なるトラブルで、勝手に帰国した。お陰で”金と共に去りぬ”と揶揄された。因みに”風と共に去りぬ”の原作者もミッチェルです。
MLB歴代最高の三塁手と称されたマイク・シュミット。彼は入団当初、両膝を痛めてた。当然、最初の2シーズンは惨憺たるもの。"膝が悪いんだ"とは、口が避けても言えない。膝は野球選手の生命線なのだ。そんな彼を球団は使い続けた。
翌年、彼はスィングを変えた。それ以降、17年間で548本塁打を量産し、堂々の殿堂入りを果たす。"最初、俺の膝はボロボロだったんだ"で始まる、彼の引退時の名セリフは、今でも心に染みる。
私は、歴代のメジャーリーガーでは、彼が一番好きですね。
日本プロ野球史上唯一の3000本安打を達成した張本勲。彼は4歳の時、火傷で右手の親指、ひとさし指、中指以外の自由を失った。張本少年は親を恨んだ。好きな野球が出来なくなったのだ。
彼は右利きを左利きに、何と利き手を変えたのだ。野球への弛まない情熱が彼を変えたのだ。しかし、その張本氏も結局、我が儘な頑固親父に成り果てましたな。やはり、努力だけでなく、教養も必要ですね。
こんな例は、ごく一部だが。人間は変わる時がある。いや、変わらないとやっていけない時がある。日本もそういう時期に来てるのではないだろうか。
ホントに、大場は格好良かった。スマートでスリルがあって、凄みがあって。あんなボクサーは出て来ないかな。
南海のメイ選手、懐かしいです。門田選手も彼に大きく励まされたとか。
あの頃のメジャーの選手ってオフには戦場へ繰り出したり、とハングリーさと意気込みが半端ないですね。
それに比べ、昨今のメジャーの選手は気の抜けた炭酸みたいで。環境が良すぎても全てをダメにする典型な例です。
当時の南海には西鉄から来たビュフォードという選手がいた様な気がしますが、彼も凄い選手だったですね。
とても懐かしいですね。小さな身体で、バネの様な躍動感が目に浮かびます。
彼もその小さい体をハンデでとせず、メジャーでオールスターに出る程の選手になったんですが。
地球の裏側には、王や長島を超える選手がいるもんだなと、驚きました。
でも、もうあの頃の様な時代には戻れないんですかね。