神融心酔 

中国茶・台湾茶を中心とした素敵な出会いの数々を綴っていきます

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千葉県松戸市にて中国茶教室「Salon de Leecha 麗茶」を主宰しています

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松戸さよなら茶会を終えて

2024-11-19 | 自宅サロン
11月の第一週と第二週の3回に分けて
「松戸さよなら茶会」を開催いたしました。
今回は生徒さんを中心に、麗茶にご縁のあった方をお招きしました。

麗茶が今まで集めてきた鳳凰単叢の老茶と普洱茶を飲む会。
時を経て、個性を奥に残しながらまろやかに熟成したお茶を楽しみました。

2007年に松戸の自宅で中国茶教室を開始して17年になりますが、
今年度末に東京の浅草近くに転居することとなりました。

中国茶教室は引っ越し先で続ける予定ですが、
今よりかなり手狭になるため、
自宅では生徒さん向けのレッスンのみとなります。
基本的に新規募集は行わず、
初心者向けのレッスンや体験レッスンも行いません。
既存のクラスに欠員が出た場合はInstagramや口コミで募集を行います。

茶会は年に数回出来ればと思うのですが、
会場は外でお借りして開催する予定です。

松戸のサロンにご縁のあった皆さま、今までありがとうございました。

来年1月からは新天地からの発信になります。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。





庭のハナミズキと別れるのがとても寂しいです。
四季折々の顔を見せてくれて、たくさんの鳥たちも遊びに来てくれて、
本当に癒されました。
花や落ち葉の掃除は大変でしたがそれもいい思い出です。。。
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茶話⑥ 覚醒

2024-10-30 | 茶話
芸事やスポーツの世界で
「覚醒する」「化ける」という言葉が使われることがあります。
ある時期に急激に成長し、変化を遂げること、
何らかの気付きによって一皮むけたようにいい状態になること。

とは言え、パッと覚醒したり、一夜で化けるわけではありません。
それまでコツコツと積み重ねてきたことが花開く、そんな感じだと思います。
例えれば、階段を上を見ながら一段一段ゆっくりと登り、
ふとした瞬間に振り返ると眼前に素晴らしい景色が拡がっていた、というような。

何を以て「覚醒した」のか「化けた」のか定義するのは難しいことです。
一般的には成績として結果を出したり、周囲の評価が上がるといったことが判断基準になるのでしょう。

茶の世界においては、自分の立ち位置が定まり、覚悟が決まった時がそうなのではないかと思っています。
足るを知り、感謝を知り、自分が今為すべき事を為す。
その道を進む先に光がある。
その光を得た先に「覚醒」がある。
そう信じて今も一歩一歩進んでいます。
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茶話⑤ 茶席考~余白

2024-10-15 | 茶話
「中国茶の茶席はおしゃべりが自由でいいですね。」

初めて茶会に参加してくださった方によく言われます。
確かに中国茶の茶席は茶道や煎茶道の茶席に比べると自由度が高いかもしれません。

もちろん流派や教室によってはおしゃべりできない雰囲気の茶会もあります。
それはまた別のケースとして、ここでは置いておきましょう。

私自身、普段は教室のレッスンで
お茶の説明をしながら茶を淹れることが多いせいか
茶会の時もよく話をします。
お客さま同志の相性を見ながら、
雰囲気が硬い時にはあらかじめ仕込んでおいた話題を振ったりもします。

以前、とある茶会にお客として参加した時のこと。
複数のテーブルがあり、それぞれ5名ほどの客に茶をお出しする
典型的な茶会スタイルでした。
会場の雰囲気はいい感じに盛り上がっており、
隣のテーブルではおしゃべりに花が咲いていました。

私が座ったテーブルの席主は少し緊張していらしたこともあり、
お話は茶の簡単な説明にとどめ、
静かに、とても丁寧に淹れてくださいました。
それがとても心地よく、じっくりお茶の味わいを楽しむことができました。

おしゃべりが弾む茶席はもちろん楽しいものです。
それでも、飲み手がじっくりと茶を堪能するためには、
席主が与える情報で満杯にするのではなく、
余白があった方がいいと思うのです。


中国の茶人、李曙韻氏の著書「茶味的麁相」の第一章にこんな文章があります。
 
 ベテランが茶を淹れる際、手慣れた様子から、知らず知らずのうちに、
 悪い意味での玄人っぽさが出てしまう。
 茶を淹れる時には適度にある種の渋さを見せるといい。
 (中略)
 茶人であるからには、常に渋さを意識し、
 最初に茶事の門を叩いた時の初心を忘れないよう、
 自身を律していくことが大切であろう。

渋さとはある程度の緊張感を持って丁寧に茶を淹れること、
そして茶席に余白を与えることだと感じます。

茶席のしつらえも引き算を心がけて余白を作る。
お茶の説明も先入観を与えず、飲み手の想像力の余地を残す。
(もちろん、質問にはしっかり答えますが)

そんな気付きを与えていただいた茶会でした。
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茶話④ ライフワーク

2024-10-07 | 茶話
先日、大学の同期会があった。
私は外国語学部中国語学科出身なのだが、
一学年60名というこじんまりとした学科で
2クラスに分かれて2年まではクラス単位の授業があった。

私が卒業した年は中国の改革開放政策が始まった頃で
商社、大手メーカー、マスコミ、研究職など
中国関係の就職がかなり良かった。

皆それぞれ定年を迎え、
再就職先を見つける人、新たに事業を始める人もいるが、
中国語圏の海外駐在が長かった人が多いので
引退してからも中国語を使って何か社会の役に立ちたいという人も数名いた。

集まれば現在の日中関係の話になるし、
オフレコな話題も聞くことができる。
皆何だかんだ言ってもずっと中国に関わっている。
大学で学んだことがそのままライフワークに繋がっているのは
文化系の学科としては珍しいことのようにも思える。

私自身、日中貿易の仕事は断念してしまったが
やはりずっと中国に関わっていきたいというのが
中国茶の世界に踏み込んだ理由でもある。
いつまで続けられるか分らないけれど、
生徒の皆さんと一緒に中国茶や台湾茶をいただくのは
本当に楽しいし美味しい。

歌舞伎役者の中村七之助が巡業の質問コーナーで
子供さんから歌舞伎役者やっていていいことは何ですかと聞かれ、
「どんなに辛い事や苦しい事があっても舞台に立ってお客様から拍手をいただいたら全て忘れられる。
役者は一度やったら辞められないって本当にそう思います」
と答えたそうだ。

七さまと同列に語るのはおこがましいが、
私も辛くて泣きたい事があったときに
教室や茶会でお茶を淹れ、美味しいと言ってもらえると
一切が吹き飛んでしまう。
今までどれだけこの仕事に助けられただろうと思う。

私は何かを成し遂げたり社会に貢献したわけではないので
偉そうなことは何も言えないのだけれど
ライフワークと思えるものを見つけることができたのは
大学そして留学に行かせてくれた両親のお陰であるし、
好きなことを十分にさせてくれる家人のお陰であるし、
中国茶の楽しみ方を教えてくださった師のお陰である。
そして、教室に通ってくださっている皆さんのお陰でもある。

感謝の気持ちを込めて。
コメント (2)
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茶話③ 茶席考~真打茶人

2024-09-15 | 茶話
最近落語をよく聴きに行く。
もともと落語に興味はあったけれど、
足繁く通い始めたきっかけは
個人宅で隔月に開かれる落語会に伺うようになったこと。

それからは気になる噺家さんの独演会に行ったり
中規模ホールで開かれる落語会のイベントに行ってみたり。

先月、初めて浅草演芸ホールに行く機会を得た。
二ツ目の三遊亭遊七さんのご案内ツアーで、
11時から4時半まで、マジックや漫談や紙切りもはさみ
13人の噺家さんが次から次へと高座へ。
桂宮治師、春風亭昇太師、三遊亭小遊三師と
笑点でもお馴染みのメンバーも登場。
これで3,500円って、安すぎでしょ!?
(夏の特別興行だから普段の500円増し。つまり、いつもは3,000円)

遊七さんとお茶する時間があったので、
色々お話を伺った中で印象的だったことがある。
人気の噺家さんたちはもちろん全国で引っ張りだこだし、
独演会を開けば会場は満杯。
テレビ出演のお誘いもある。
でも、ギャラは少なくても演芸場の出演は大切なんだそうだ。
演芸場は10数人の噺家が順番に高座にあがるが、
事前にプログラムが決まっているわけではなく、
何を話すかはその日、その場で決まるのだそう。
前に出た演目はかけられないし、内容も似たものは出せない。
後ろに行けば行くほどレパートリーの豊富さも要求されるし
機転の利いた話し方が必要になってくる。
どういう情況でも対応できなければトリにはなれないし、
それが真打ちというものなのだ、と。

なるほど、どんな世界でも参考になる話だと思う。

茶人もおなじように15年もやっていれば立派な真打だ。
そこまで来れば、自分の主催する茶会では自分で茶譜を采配できる。
自分の好きな茶葉を自分の好きなように、好きな順番で皆さまにお出しする。
それはそれで、とても美味しい素敵な茶会になるだろう。

でも、敢えて自分では普段使わないであろう茶葉や茶器を工夫する機会もあった方がいい。
今年の初め、とあるお茶屋さんの主催の茶会で
お茶を淹れさせていただいたのだが、
支給された茶葉は自分だったら茶会で選ばないタイプのものだった。
美味しいけれど、これというインパクトやストーリーがない。
あれこれ考え、どうにかこうにか25分の持ち時間で
この茶葉のパフォーマンスを披露することができた。
他の茶席とのバランスや相性も考えなくてはならず、
昔エコ茶会の茶席で毎年培った感覚が戻ったような気がした。
貴重な体験だったと思う。

だから、駆け出しの茶人はなるべくたくさんの茶席経験を積んだ方がいい。
それも、独演会ではなく、演芸場タイプで。
もちろん、ベテランの真打茶人でもその感覚は忘れないように心がけたい。
どんな茶葉でも臨機応変に。
自分の好きなお茶ばかり淹れていては真打ちとは言えないのではないだろうか。
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