じつはここ一週間また例によって修羅場ってまして、中々落ち着いてテレビも見れなかったと言いつつついうっかりアレコレ手を出したり、まあ、バタバタしてました。いつものことですが。
改めまして、NHK杯での高橋大輔について。
不思議な感覚です。夢でも見てたんだろうかっていう未だ信じられないような気持ちと同時に、『いつかこうなることは分かっていた』という気持ちがあります。
多分これ、私だけじゃないと思うんですけど。だって刈屋アナだって、『オペラ座』が始まる前に言ってたじゃないですか。
「持っているものは既に世界のトップクラス。後はそれを、限られた時間と空間の中で如何にして出して行けるか」(うろ覚えだけど多分こんな感じ)
一流のアナウンサーは流石ですね。演技が始まる前に、既にこの演技の本質を言い当てている。名コピーとはこういうものです。誰もが漠然と感じている空気感。それを的確に言い当てて言葉にした時、人はその言葉に共感するものです。
そのポテンシャルの高さを誰もが感じていて、でも誰も彼がその実力をフルに発揮したMAXの状態を見たことがなくて。彼のMAXは、一体どんな演技なんだろう?いつになったら見せてくれるんだろう?と…誰もが待ち望んでいた瞬間が、やっとのことでやって来た、と。そんな風に見えました。
ファン暦1年未満の奴が偉そうに言うことじゃないですね。すみません。ずっと以前から彼を見守って来た方たちはどういう風に思われたんでしょうか。
***
キャンベルで初めて『オペラ座』を見た時から、「これは完成したらスゴイことになりそうだぞ」とは感じてました。でも同時に、「これを完成させるのはかなり大変かも知れない」とも。
分かってはいたけれど、それでも改めて「スゴイ」と思いました。
ジャンプでこけない高橋大輔は、これ程までに見る人の心を掴むのかと(笑)。
個々の技術を見れば、細かいミスもあったかも知れません。本人が言うように、スピンとか今いちだったかも(あとレイバック無くなってたの寂しいですね)。
でも多分、会場で実際に見てる人たちに取って、それは問題じゃなかったんだろうなとも思いました。
彼の闘う意思が空間を支配している。終盤、バテバテになりながらも「闘ってやる、やり切ってやる」という気迫とファントムの狂気が一体となって、見る人を自分の世界に引きずり込んでいるように見えました。テレビで見てても、観客がもう傍観者じゃなくなってるように見えるんですよね。拍手で後押しする会場の人たちと、それに応える彼の意識とがシンクロして、それ自体が表現になっているというか。
もともと大輔くんの演技って、観客の方へ寄って行くのではなくて、観客を自分の世界に引っ張り込む表現だと思います。それがこの時には、殊更に強く発動してたように思えました。見に行った人が羨ましいです。
***
それからショートプログラムのヴァイオリン協奏曲。
ゴージャス&ドラマティックな『オペラ座』の影で霞んでる感もありますが、私これ大好きです。
大ちゃんのもう一つの魅力である、表現の繊細さ・優美さをたっぷりと堪能できます。自在に緩急を付けた柔らかい肩・腕・指先の動き、すべてが完璧にコントロールされた美しさをご覧ください。
『あどけない』とさえ思えるピュアで明るい表情は、あのファントムくんと同一人物とはとても思えません。
随所にバレエっぽい動きを取り入れた華やかなサーキュラーステップと、加速して行く感覚が気持ち良いストレートラインステップ。個人的には、ステップ終わって最後のスピンに行くところの、「ギュン!」ってカーブする所がツボに来ます。
スピード感と躍動感も兼ね備えていて、優雅さと同時に爽快感も楽しめるという大変美味しいプログラムでございます。純粋な『美しさ』という点では、オペラ座よりこっちが上かなと思います。
***
そんなこんな言ってるうちに、もうGPFが始まりますね。
私が前のエントリーでわざわざミカのことを書いたのは(一輪車に衝撃を受けたせいでもありますが)、私が以前、一人のアスリートをどういう風に応援して来たか知って頂くのも無意味ではないかなーと思ったからです。
トリノの時の大ちゃんを見て、まるで97年頃のミカを見ているようだと感じました。そして今回のNHK杯で、98年のオーストラリアGPを思い出しました。待っていた時がやっと来た。これから本当に始まるんだっていう感覚。
で。過去の経験から言うと、多分ここからがまた大変です(笑)。
これからもきっと、舞い上がったり沈んだり悩んだりする日々がやってくる。でもそうこうしながら、一歩ずつ上のステージへ上って行ってくれるんじゃないかと、そう期待しています。
改めまして、NHK杯での高橋大輔について。
不思議な感覚です。夢でも見てたんだろうかっていう未だ信じられないような気持ちと同時に、『いつかこうなることは分かっていた』という気持ちがあります。
多分これ、私だけじゃないと思うんですけど。だって刈屋アナだって、『オペラ座』が始まる前に言ってたじゃないですか。
「持っているものは既に世界のトップクラス。後はそれを、限られた時間と空間の中で如何にして出して行けるか」(うろ覚えだけど多分こんな感じ)
一流のアナウンサーは流石ですね。演技が始まる前に、既にこの演技の本質を言い当てている。名コピーとはこういうものです。誰もが漠然と感じている空気感。それを的確に言い当てて言葉にした時、人はその言葉に共感するものです。
そのポテンシャルの高さを誰もが感じていて、でも誰も彼がその実力をフルに発揮したMAXの状態を見たことがなくて。彼のMAXは、一体どんな演技なんだろう?いつになったら見せてくれるんだろう?と…誰もが待ち望んでいた瞬間が、やっとのことでやって来た、と。そんな風に見えました。
ファン暦1年未満の奴が偉そうに言うことじゃないですね。すみません。ずっと以前から彼を見守って来た方たちはどういう風に思われたんでしょうか。
***
キャンベルで初めて『オペラ座』を見た時から、「これは完成したらスゴイことになりそうだぞ」とは感じてました。でも同時に、「これを完成させるのはかなり大変かも知れない」とも。
分かってはいたけれど、それでも改めて「スゴイ」と思いました。
ジャンプでこけない高橋大輔は、これ程までに見る人の心を掴むのかと(笑)。
個々の技術を見れば、細かいミスもあったかも知れません。本人が言うように、スピンとか今いちだったかも(あとレイバック無くなってたの寂しいですね)。
でも多分、会場で実際に見てる人たちに取って、それは問題じゃなかったんだろうなとも思いました。
彼の闘う意思が空間を支配している。終盤、バテバテになりながらも「闘ってやる、やり切ってやる」という気迫とファントムの狂気が一体となって、見る人を自分の世界に引きずり込んでいるように見えました。テレビで見てても、観客がもう傍観者じゃなくなってるように見えるんですよね。拍手で後押しする会場の人たちと、それに応える彼の意識とがシンクロして、それ自体が表現になっているというか。
もともと大輔くんの演技って、観客の方へ寄って行くのではなくて、観客を自分の世界に引っ張り込む表現だと思います。それがこの時には、殊更に強く発動してたように思えました。見に行った人が羨ましいです。
***
それからショートプログラムのヴァイオリン協奏曲。
ゴージャス&ドラマティックな『オペラ座』の影で霞んでる感もありますが、私これ大好きです。
大ちゃんのもう一つの魅力である、表現の繊細さ・優美さをたっぷりと堪能できます。自在に緩急を付けた柔らかい肩・腕・指先の動き、すべてが完璧にコントロールされた美しさをご覧ください。
『あどけない』とさえ思えるピュアで明るい表情は、あのファントムくんと同一人物とはとても思えません。
随所にバレエっぽい動きを取り入れた華やかなサーキュラーステップと、加速して行く感覚が気持ち良いストレートラインステップ。個人的には、ステップ終わって最後のスピンに行くところの、「ギュン!」ってカーブする所がツボに来ます。
スピード感と躍動感も兼ね備えていて、優雅さと同時に爽快感も楽しめるという大変美味しいプログラムでございます。純粋な『美しさ』という点では、オペラ座よりこっちが上かなと思います。
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そんなこんな言ってるうちに、もうGPFが始まりますね。
私が前のエントリーでわざわざミカのことを書いたのは(一輪車に衝撃を受けたせいでもありますが)、私が以前、一人のアスリートをどういう風に応援して来たか知って頂くのも無意味ではないかなーと思ったからです。
トリノの時の大ちゃんを見て、まるで97年頃のミカを見ているようだと感じました。そして今回のNHK杯で、98年のオーストラリアGPを思い出しました。待っていた時がやっと来た。これから本当に始まるんだっていう感覚。
で。過去の経験から言うと、多分ここからがまた大変です(笑)。
これからもきっと、舞い上がったり沈んだり悩んだりする日々がやってくる。でもそうこうしながら、一歩ずつ上のステージへ上って行ってくれるんじゃないかと、そう期待しています。