ウロコのつぶやき

昭和生まれの深海魚が海の底からお送りします。

みんな、この時を待っていた?

2006-12-12 20:15:59 | 日記
じつはここ一週間また例によって修羅場ってまして、中々落ち着いてテレビも見れなかったと言いつつついうっかりアレコレ手を出したり、まあ、バタバタしてました。いつものことですが。

改めまして、NHK杯での高橋大輔について。
不思議な感覚です。夢でも見てたんだろうかっていう未だ信じられないような気持ちと同時に、『いつかこうなることは分かっていた』という気持ちがあります。
多分これ、私だけじゃないと思うんですけど。だって刈屋アナだって、『オペラ座』が始まる前に言ってたじゃないですか。
「持っているものは既に世界のトップクラス。後はそれを、限られた時間と空間の中で如何にして出して行けるか」(うろ覚えだけど多分こんな感じ)
一流のアナウンサーは流石ですね。演技が始まる前に、既にこの演技の本質を言い当てている。名コピーとはこういうものです。誰もが漠然と感じている空気感。それを的確に言い当てて言葉にした時、人はその言葉に共感するものです。
そのポテンシャルの高さを誰もが感じていて、でも誰も彼がその実力をフルに発揮したMAXの状態を見たことがなくて。彼のMAXは、一体どんな演技なんだろう?いつになったら見せてくれるんだろう?と…誰もが待ち望んでいた瞬間が、やっとのことでやって来た、と。そんな風に見えました。
ファン暦1年未満の奴が偉そうに言うことじゃないですね。すみません。ずっと以前から彼を見守って来た方たちはどういう風に思われたんでしょうか。

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キャンベルで初めて『オペラ座』を見た時から、「これは完成したらスゴイことになりそうだぞ」とは感じてました。でも同時に、「これを完成させるのはかなり大変かも知れない」とも。
分かってはいたけれど、それでも改めて「スゴイ」と思いました。
ジャンプでこけない高橋大輔は、これ程までに見る人の心を掴むのかと(笑)。

個々の技術を見れば、細かいミスもあったかも知れません。本人が言うように、スピンとか今いちだったかも(あとレイバック無くなってたの寂しいですね)。
でも多分、会場で実際に見てる人たちに取って、それは問題じゃなかったんだろうなとも思いました。
彼の闘う意思が空間を支配している。終盤、バテバテになりながらも「闘ってやる、やり切ってやる」という気迫とファントムの狂気が一体となって、見る人を自分の世界に引きずり込んでいるように見えました。テレビで見てても、観客がもう傍観者じゃなくなってるように見えるんですよね。拍手で後押しする会場の人たちと、それに応える彼の意識とがシンクロして、それ自体が表現になっているというか。
もともと大輔くんの演技って、観客の方へ寄って行くのではなくて、観客を自分の世界に引っ張り込む表現だと思います。それがこの時には、殊更に強く発動してたように思えました。見に行った人が羨ましいです。

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それからショートプログラムのヴァイオリン協奏曲。
ゴージャス&ドラマティックな『オペラ座』の影で霞んでる感もありますが、私これ大好きです。
大ちゃんのもう一つの魅力である、表現の繊細さ・優美さをたっぷりと堪能できます。自在に緩急を付けた柔らかい肩・腕・指先の動き、すべてが完璧にコントロールされた美しさをご覧ください。
『あどけない』とさえ思えるピュアで明るい表情は、あのファントムくんと同一人物とはとても思えません。
随所にバレエっぽい動きを取り入れた華やかなサーキュラーステップと、加速して行く感覚が気持ち良いストレートラインステップ。個人的には、ステップ終わって最後のスピンに行くところの、「ギュン!」ってカーブする所がツボに来ます。
スピード感と躍動感も兼ね備えていて、優雅さと同時に爽快感も楽しめるという大変美味しいプログラムでございます。純粋な『美しさ』という点では、オペラ座よりこっちが上かなと思います。

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そんなこんな言ってるうちに、もうGPFが始まりますね。
私が前のエントリーでわざわざミカのことを書いたのは(一輪車に衝撃を受けたせいでもありますが)、私が以前、一人のアスリートをどういう風に応援して来たか知って頂くのも無意味ではないかなーと思ったからです。
トリノの時の大ちゃんを見て、まるで97年頃のミカを見ているようだと感じました。そして今回のNHK杯で、98年のオーストラリアGPを思い出しました。待っていた時がやっと来た。これから本当に始まるんだっていう感覚。

で。過去の経験から言うと、多分ここからがまた大変です(笑)。

これからもきっと、舞い上がったり沈んだり悩んだりする日々がやってくる。でもそうこうしながら、一歩ずつ上のステージへ上って行ってくれるんじゃないかと、そう期待しています。

爆走! ミカ・ハッキネン

2006-12-12 19:11:43 | F1
思い出話を聞いて下さい。
私がミカ・ハッキネンの存在を知ったのは、彼がデビューした91年。シーズンが始まる前の特番で、写真と名前と出身が紹介された時のことでした。薄い色素&すっきりした顔立ち(と髪型)&歯切れの良い名前に、北欧フィンランドのイメージが合わさった「清涼感」が妙に印象的でした。
そして同時に心配にもなりました。F1は海千山千の曲者が集まる修羅の巷。この線が細くて人の良さそうな二枚目のお兄ちゃん、大丈夫なのか?…と。

しかしそんな私の心配を他所に、デビュー3戦目にして5位入賞。ヨーロッパにはすごい人がいるもんだと驚きました(F3での戦績は知りませんでした)。
そして同時にこの人なら。……と思ったのです。「いつかはチャンピオンに」という夢を、私に見せてくれるかも知れないと。
当時のロータスには往時の面影は見る影もなく、潰れかけたチームに手を差し伸べたのが日本の企業だったということで、下位チームの割に、ミカを日本で見かける機会は多かったように思います。ジョニー・ハーバートが加入してからは成績も徐々に上向き始め、陽気なジョニーとミカは名コンビに。
ジョニー・ミカコンビが(当時のロータスにしては)活躍した92年、ミカは「AS+F」誌の人気投票で1位を取る隠れた人気ドライバーとなっていました(結局その後、10年連続人気ナンバー1でした。ある意味、快挙)。
「AS+F」は他のF1雑誌に比べると読者層がライトで、女性読者も多かった。当時のミカは私たちにとってちょっとしたアイドルだったのです。
あの頃は気楽で良かった。でも、そんな時代は長くは続きませんでした。

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ミカを応援していて、辛かったことが3回あります。
1回目が93年。この年、ミカは彼自身には全く関係のない契約上の問題でレースに出られない日々が続きました。当時、若くて才能あるドライバーがレースに出られないなんて一種の非常事態です。それに何より「ミカのいないレース」が私にはつまらない。
結局この年、アンドレッティの途中離脱により、残り3戦を残してミカはレースに復帰。久々のレースで、予選でセナ様より好タイムを出したミカに、私が惚れ直したのは言うまでもありません。

2回目は95年。最終戦オーストラリアGPの予選中にクラッシュし、瀕死の重傷を負った時のことです。あの時のことを考えると、今でもあのなんとも言えない重苦しい空気を思い出します。
頭部に重大なダメージを負ったことから、このまま引退するのではないかという声もありました。思い出すのは93年の悪夢。ミカのいないF1なんて…。
でもこの時、心のどこかで、「ミカは絶対帰って来る」という奇妙な確信もありました。F3時代のライバルであるシューマッハはすでに2度のチャンピオンに輝き、確固たる地位を築いている。なのにミカは未だ一度の勝利さえない。『未来のチャンピオン候補』と呼ばれながら、結局そこそこの成績で終わってしまうドライバーは沢山います。ミカにはそうなって欲しくない。「このまま終わってたまるか!」と、ミカだってきっと思ってるはず。じりじりするような気持ちで、私はオフシーズンを過ごしました。
そして96年開幕。ミカ・ハッキネン復活。

しかし、3回目。96~97年がまた辛かった。デビューから6年目。マクラーレンというトップチームに所属して4年目。ミカはもう新人ではありません。トップドライバーとしての『結果』が求められています。なのに、勝てない。1勝も出来ない。
ウィリアムズが相変わらず速いとは言え、マクラーレンも徐々にかつての力を取り戻しつつあります。PPを獲得したり、トップを走る姿も見られるようになりました。
なのに、肝心な所でエンジンが止まる!!…夜中にレース中継を見てて、私は何度ふて寝したかわからない。
「結局勝てないドライバー」「速さはあるが強さはない」そんな声も囁かれます。何で?と首をかしげるしかない。一体、何が足りないの?
この頃には既に、読み漁ったインタビュー記事や何かのお陰でミカのキャラクターや人間性にもすっかり惚れ込んでいたから、ファンをやめようとは思いませんでした。でも、「いつかはチャンピオンに」というかつての夢は、正直あきらめかけてました。
だけど97年最終戦、その時は突然やって来る。ファイナルラップでペースダウンしたヴィルヌーヴを追い抜き、ミカ・ハッキネン96戦目にして初勝利。嘘みたい。

…そして98年。見違えるように速くなったマクラーレン。すぐさま追い上げて来るフェラーリ。98~2000年までの3年間は、夢のような時間でした。あの頃のミカは、間違いなくグランプリシーンの主役の一人でした。
手放しで喜んだことも、悔しさに拳を握ったことも、見てるこっちがプレッシャーで死にそうになったことも何度もありました。楽しかった。
98年の鈴鹿を包んでいた、あの何とも言えないピリピリした空気をよく覚えています。
一度はあきらめかけていた夢が現実のものになった日でした。
シューマッハがリタイアした後もなんだか何もかもが信じられなくて、ファイナルラップで隣のお姉さんが「おめでとー!」と叫ぶのを聞いて初めて、「ミカがチャンピオンになったんだ」と実感。あの時の気持ちは、多分一生忘れないと思います。

***

そして2001年。ハッキネン引退の声が囁かれます。そしてそれは「休養」という形で現実のものに。多分このまま辞めちゃうんだろうな、と、その時なんとなく思いました。
95年の事故の時には、ミカは何も持ってなかった。だからこそ、歯を食いしばって戻って来てくれた。でも今の彼にはワールドチャンピオンというタイトルがある。それも、2つ。
気持ちで走ってきた人だから、気持ちが途切れればお終いなんだと、何故か納得してました。
何よりあの事故で、ミカはF1からいなくなっていたかも知れない、と思うと、あの事故の後で復帰して走り続けてくれたこと、それだけでありがたいという気持ちが私にはあるのです。その上ワールドチャンピオンというタイトルまでプレゼントしてくれた。
ありがとう、さよなら、忘れないよ。そんな気持ちで私はミカを見送りました。

それから5年。
何やってんのミカ。
ドイツで放映されたシュー兄引退記念特番にスペシャルゲストとしてミカ登場!ということらしいです。それも一輪車に乗って(一輪車はミカの特技)。かっこいいんだか悪いんだかよくわからん。流石ミカ。

でもうれしいです。F1辞めた直後は、きっと色々あって精神的に疲れてて、F1からもレースからも遠ざかっていた。少しずつ元気になって、レースへの気持ちを取り戻して、DTMでレース復帰。そしてライバルの最後のレースを見届けようと駆けつけたブラジルGPで火が付いて、もう一度F1に係わりたい、できることなら走ってみたい、という気持ちを取り戻したってことなんでしょう。
で、ミカこれからどうするの?
ウィットマーシュ(マクラーレン)談「ミカの行き先については知らない。現時点では彼自身も知らないと思う」
そんな行き当たりばったりでいいんですか?
でも多分彼がどこへ行って何しても、私は一生ファンやってると思います。

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Web拍手コメントへの返信。
こんにちは。はじめまして。お返事が遅くなってすみません。
こちらこそ、似た考えだと仰って頂けて嬉しいです。
F1で最もプレッシャーのかかる場面のひとつがスタートですが、ミカのスタートは鮮やかでしたね。
特に98年のニュルブルリンクと99年の鈴鹿は、気迫の籠った最高にエキサイティングなスタートダッシュだったと思います。