ご無沙汰しております。
滑走屋の感想もまだまだ書き足りないまま行って参りました。横浜アリーナ。
色々言いたいことがあり過ぎて何から語ればという感じですが、滑走屋と氷艶はある意味真逆のコンセプトでありながら、実はしっかり繋がっていたんだなと思いました。
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そもそも今回、幕が開く前に急遽予定変更のニュースが入って来て、裏で色々あったようなのですが、まずはその事で。
もちろん私はただの観客なので、報道などで表に出て来ている情報しか知り得ません。
でもこっそり今から言うと、当初トキオ役を演じる予定だった役者さんに関しては、実は一抹の不安を抱いていました。
配役が発表されて一発目のインタビューからあんまり熱量が感じられないというか、フィギュアやスケートに余り興味ない方なのかなという印象で。
その不安も稽古を重ねて行けば払拭されるのかなーと思っていたら、違う形で払拭されてしまったっていうね。
そして急遽代役に決まった大野拓朗さん。
イケメンでスタイル良い。だけでなく、何か言動がパワフルだしスケーターへのリスペクトもしっかり感じるしスケートへの取組も前向きだし上達早いし大ちゃんや他のメンバーとも速攻で打ち解けてるし。
X(旧Twitter)で反応しているファンの方たちも雰囲気が良くて、こんな人たちに応援されている大野さんもきっといい人に違いないと思ったものです。
歌子先生のお言葉「大輔はいつも必要な人を連れて来る」を思い出したのは私だけではないはず。
なので、今回の事で初めて知った方にも関わらず、「待ってました!」って思いました。
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今回のテーマは「自己犠牲」。
宮沢賢治作品では避けて通れないものとは言え、私は正直余り好きな言葉ではありません。
どこか、犠牲になって「あげた」という恩着せがましさを感じるというか。
(因みに宮沢賢治作品も良く読むと必ずしも自己犠牲を賞賛するものでは無い…はず)
私の好きな言葉は、別のエントリーにも書いた「利他」という言葉。
これは自分を犠牲にするというより、視野を広く持つという事と解釈しています。
自分のことだけ考えて他人を蔑ろにしていると、人から恨みを買って却って辛い事になります。それこそ富豪夫人のように。
視野を広げて、他人の事まで配慮した方が、自分にとっても良い流れを呼び寄せる。
これが本当の「情けは人の為ならず」
でもプログラムでの大ちゃんのコメントには、「やってあげた」じゃなくて「自分がやりたくてやった」と考えるようにしているとあって、ちょっと安心しました。ちゃんとわかってるというか、大ちゃん、それが「利他」なのよ。
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そんな訳で、私としては何の不安もなく迎えた本番なのですが。
最初、少年時代のトキオとカケルが出てきて、やけにスケート上手いなと思ったら友野一希くんと島田高志郎くんでした。上手い訳だよ。
滑走屋ではリンクの上で活躍するだけでなく、大ちゃんを積極的にサポートして舞台裏でも頑張っていたという友野くんと、直前の降板で悔しい思いをしたであろう島田くんが、この後の場面共々とても頼もしく見えました。
彼ら二人だけでなく、アンサンブルスケーターにも滑走屋メンバーがかなり入っていて、そのせいもあってか、今回は今まで以上にスケートのスピード感を活かした演出になっていました。
スケートと舞台を融合し、他ジャンルとのコラボでストーリーを主体に見せる氷艶。前回までは、プロジェクションマッピングや大掛かりな舞台装置での演出が目立っていました。
あれはあれで面白かったけど、今回は銀河鉄道のスピード感も、燃え盛る炎もスケートで表現されていて、「スケートとストーリーの融合」という意味では一歩先へ進んだ感がありました。
滑走屋のコンセプトは純粋に「スケート」そのものの魅力を見せるというもので、その中心にあるのは原始的な身体感覚とも言うべきスピードの快感でした。
そのスピード感を、今度はストーリーを見せるために使う。それが出来たのも、若いスケーター達が正に、滑る職人「滑走屋」として育っていった過程があってこそではないでしょうか。
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「滑走屋」は傍目に見てても大変そうだなとは思っていたのですが。
出演したスケーターからの後からの発信を見ると思ってたより数倍大変そうで。でもその大変だった思い出を、みんな目をキラッキラさせながら語ってるんですよ。次があるなら是非出たい、と言いながら。
みんなそれぞれ苦労しながら、それを乗り越えて得る物が本当に大きかったんだなと思いました。
体調を崩して出られなくなったスケーターは島田くんだけではなかったし、他にも色々予想や予定と違う事もあっただろうし。
でもみんなでフォローしあって最後まで走り切った。成長できた、その手応えを感じました。
そのメンバーが大勢参加しているので、きっと今度も大丈夫だろうと思えました。
「滑走屋」は決して、後輩に恩を売るためにやった訳ではないと思いますが、でも自分「だけ」の為でもなかったはず。結果的に今回の「氷艶」を成功させる上で大きな力になって帰ってきたと思います。
「利他」というなら、今回の一連の状況がまさにそれで、「滑走屋」を含めて大ちゃんが過去にやって来た事が繋がり、「十字星のキセキ」を起こしたと思います。
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スピードと言えば、今回もアンサンブルにはショートトラック出身の松橋さんが参加していましたが、今までは松橋さん一人が昔取った杵柄で爆走してたのに、今回はフィギュア組も負けずに爆走。正に「滑走屋」たち。
などと思っていたら、何と松橋さんは台詞付きの役で登場。まるで、「名バイプレイヤーとして長年舞台やドラマで活躍」してる人みたいに違和感なくさらっとハマっててびっくりしました。
とはいえ一番印象的だった爆走はやっぱり主役…蠍座での(元)富豪夫人とカケルの攻防、ペアやアイスダンスとは違う、男女シングルの頂点を極めた者同士という感じ。
真のスケート巧者はジャンプもスピンもなくてもただ滑るだけで魅せられるというか。
この2人だから出来るんだろうなと思うような爆速と滑らかなスケーティングでギュンギュン滑る追いかけっこが、場面の緊迫感と相待ってすごくスリリングでした。
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ストーリーについて言えば、「銀河鉄道の夜」を含めた宮沢賢治作品を踏襲しつつ、でも「銀河鉄道の夜」の構図を敢えて外しているんじゃないかと思いました。
ジョバンニとカムパネルラがそのままトキオとカケルなら、トキオが主役でカケルは脇役じゃないの? 大ちゃんが主演なのに? と不思議に思った人も多いはず。
でもトキオとカケルの関係性は、ジョバンニたちとは全然違うんですよね。
まず「夜」にない要素としてユキの存在、そして3人の夢がある。
トキオの夢はカケルとワンセットというか、カケルと一緒にいる事が彼の本当の望みと言えるようなものなのに対して、ユキの夢はトキオともカケルとも関係ない。
ユキは本来、自立心の強い女性なんだと思います。病気が無ければきっと、トキオにもカケルにも頼らず自分1人で羽ばたいて行けた。
夢を絶たれたことで一度は折られた翼を、カケルが寄り添うことで再び取り戻す。だからこそ、夢は叶わなかったにも関わらず、命を使い切った者として、白鳥座で羽ばたいて行ったのではないでしょうか。
実は今回、中々生で見る機会がなかったかなだいのアイスダンスを、カケルがユキに寄り添うシーンで初めて見ることが出来ました。今更ながらかなだい良い…すごく良い…と思いました。シングルの良さとまた違う。アイスダンスの美しさがそこにある。
そしてこの場面が良かったからこそ、白鳥座での再会が切ない。
トキオを挟んであんなに美しくシンクロしているのに、決して触れる事ができないなんて。
「かなだいのアイスダンス」を是非また生で観たいので、FOIに行くことにしました。
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「夜」と「十字星」のもう一つ大きな違い、それは切符です。
鉄道をモチーフとする以上、切符はとても重要なアイテム。
ジョバンニとカムパネルラは、それぞれに切符を持っています。
つまり二人は並列の存在。しかし二人の切符は違うものなので、行き先は違えます。
カムパネルラは他の乗客と同じ小さな灰色の切符なのに、ジョバンニは大きな緑色の唐草模様の切符を持っていて、それこそが何処へでも行ける切符だと言われます。
カムパネルラは他の乗客と同じ脇役で、特別な切符を持ったジョバンニが主役だとここで示されています。
一方トキオの切符は、カケルから引き継がれます。しかもそれは、カケルの夢の原点ともいうべき隕石の欠片。
カケルがそれをずっと持っていたという事は、彼が夢の原点をずっと大切にしていたという事です。
カケルは空から見なければわからないナスカの地上絵に興味を示さず、地面に転がる石ばかりを見つめている。
でもその石は隕石で、宇宙からやって来たもの。下ばかり見ているようで彼の視点は広く、地に足を付けながらも自分以外の人を思いやり、人を幸せにする事がカケルの真の望みだったのかも知れません。
その隕石をトキオに渡したという事は、即ち夢を託したという事になります。
トキオの研究がいずれ宇宙へ届き、人を幸せにし、そしてトキオ自身が幸せになる事。その望みをトキオに託し、その望みがトキオを導くという事です。トキオが隕石の欠片を、その夢を手放さない限り、カケルはいつでも一緒にそこにいる。
これまでの氷艶では、大ちゃんは主役として挫折し、悩み、成長する役を演じて来ました。でも今回はその役割をトキオにスライドする事で、物語をリードし、トキオを助け、導き、想いを継ないで行く新しいポジションをカケルとして見せてくれました。
「氷艶」ではこれまでも大ちゃんの発声の良さやセリフまわしの上手さに驚かされて来たけど、カケルの軽やかで気負わない感じはまた一歩進んだ自然な演技。銀河鉄道に乗ってからは特に、この世のしがらみから解放された存在としての軽やかさを演技とスケートで見せてくれたと思います。
「自己犠牲」といいつつ、最終的には「生命」そのものが大きなテーマになっていましたね。
銀河鉄道はあの世とこの世の間(はざま)を走る。
古来、彼岸と此岸の間に流れるのは「三途の川」ですが、夜空を流れる天の川をこれに見立ててロマン溢れる世界観を構築したのは、宮沢賢治の天才たる所以だなと改めて思いました。
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今回、劇中の歌曲はすべてゆずの曲という形でした。ゆずの曲って爽やか系の曲ばっかりっていう印象だけど大丈夫?とちょっと思っていましたが、今回初めて聞いた曲は意外と短調主体だったり強い調子の曲もあったりして、アレンジの違いもあるのか上手く場面に合っていました。
最後に御本人が出て来て3曲披露してくれるのが、そこだけ見るとちょっとしたライブみたいで、それはそれで得した気分だったのですが。
全体で見ると、1曲めは今回のための書き下ろしテーマソングなのでエンドロールとして聞こえるし(アーティストご本人たちによる生歌エンドロールって超贅沢ですね)、2曲目はフィギュアスケートにも縁の深い冬季五輪のテーマ曲。そして3曲目でスケーター、キャスト陣総出で歌って踊るのでこれがグランドフィナーレ(アーティストご本人以下略)と、上手くショーの中に馴染んでいました。
劇中で歌う役者の皆さんがまた上手くて、しかも声質がゆずのお二人に似てるんですよ。だから余計、最後に急に違う人が出て来たという感じがなく、スムーズにラストの盛り上がりに繋がって行ってました。
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因みに私、初演しか(生では)見ていなんですよ。
だから「初演ではちょっと硬かったけど、2回目以降は良くなった」みたいなご意見には声を大にして言いたい。
初演から良かったですよ?
前情報が余りない状態で始まったけれど、ストーリーには最初から引き込まれたし、「あの人があの役を?あんなことを?」みたいな驚きも色々あったし。
いきものがかりとコラボしてた「イロトリドリ」をここでこういう解釈で使うのか、とか、大ちゃんが高志郎くんと組んで滑るまでは予想できたけど、リフトまでやると思わなくてびっくりしたし、人を皆で高く持ち上げて運ぶリフトは氷爆や滑走屋でも見たけど、まさかその方法でゆずの岩沢さんが運ばれて行くとは思わなかったし。
ゆずのファンの人たちは多分、私たち以上に何を見せられるのかよくわからずに現地に来ていたと思いますが、最後は楽しそうに盛り上がっていたし。
今回席が結構後ろの方だったのですが、会場全体が見渡せて、客席の盛り上がりも良く見えて楽しかったです。
横浜アリーナは後ろの方でも見やすいけど、その分傾斜が急で、足の弱いお年寄りは大変そうでしたが。
私の隣の席にはお洒落なステッキを持った老紳士が座っていて、席に着くのに苦労されている様子でした。でも、始まってからは食い入るように熱心に見ている様子が伝わって来て、最後は音楽に乗ってとても楽しそうでした。
他にも色々思うことがありすぎで全ては書ききれないのですが、長くなったのでここで終わります。
ありがとうございました。
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