副題:「スケート、ピュアラブ」ってどーゆーこと?
高橋大輔の今期のFSだということで、そう言えばまだ見てないしちょうど良いからこの機会にと思って借りて来ました『オペラ座の怪人』。
一回書き直したら前にも増して痛い文章になってしまったので、あきらめてもうそのまま乗せます。そういう訳で、例によって痛いです。
***
これの監督って、「バットマン&ロビン」と同じ人なんですね。あれ、えらく評判悪いけど。私的には、クリス・オドネルのロビンが色んな意味でツボなので許せます。ユマ・サーマンのポイズン・アイビーもキュートだし。それはともかく『オペラ座の怪人』。
ゴシックホラーな雰囲気がステキ(ホラーじゃないけど)。ケレン味のある、はったりの効いた画面作りも好みです。
ストーリーは……ミュージカルの映画化だからなのか、戯曲的。ファントム以外の登場人物がキャラ的に結構デフォルメされていて、ちょっと薄いようにも感じます。分かりやすくていいですけどね。
つまりこの映画を理解するには、基本的にはファントム1人を理解すればいい。
OK、ダークヒーローは大好物です。
以下、ガンガンネタバレが入ってますので、御注意下さい。
***
芸術って本来、反社会的なものなんですね。
社会の中で波風立てずに他人と上手くやっていくには、人間色々妥協しなければならないことも多い訳で。
芸術も、そのひとつ。道楽でやっている内は良いけど、本気で突き詰めようとすればするほど『社会』の規範から外れてゆく。
真の芸術家が愛するものは、美しい幻想ではなく恐ろしい真実。そして真の絶望のない所には、真の感動も訪れない。
ファントムという人物は、醜い姿故に人間の社会から隔絶され、その芸術性を純化させて行った人物。コンプレックスの裏返しとして光を求めてやまないからこそ、真の光を表現することができた。不遇の天才というよりも、不遇だからこそ天才として才能を開花させることが出来たという感じがします。
そのファントムは、自身の音楽を表現してくれる媒体としてクリスティーヌを求めている。クリスティーヌに、自分の「音楽」になれと言っているような。それに対してラウルは、あくまで1人の女性としてクリスティーヌを愛しているという感じ。
彼女が迫られた「ラウルを選ぶか、ファントムを選ぶか」という決断は、言い換えれば「玉の輿に乗って平凡な女の幸せを手に入れるか、それとも『歌姫』として芸術の道を極めるか」という決断だったと思います。
社会的には抹殺された存在、『芸術』の化身とも言うべきファントムと、爵位を持ち、経済的にも豊かな、社会的地位の高いラウルは正に対照的。
で、結局彼女は、音楽を捨てて社会での安定した身分を選んだ。それは墓碑名に「よき妻、よき母」と刻まれていることからも明らかです。
ファントムがクリスティーヌを失ったことにより、彼の芸術も永遠に失われたのかも知れません。でも私の気持ち的には「THE POINT OF NO RETURN」のシーンで具現化されたんだと思いたいですね。あの時、ほんの一瞬だけ、ファントムはクリスティーヌを、そして彼の「芸術」を手に入れた。
***
で、大ちゃんですが。
彼は私と違って、上記のような理屈っぽい分析はやらないでしょう。どう考えても。
でも直感的に思ったんじゃないかな。「自分にとってのクリスティーヌは、スケートだ!」って。自分の表現しようと思うものを、自分の代わりに表現してくれる存在。
間違ってたらごめんなさい。ちょっと、そんな気がしただけなんです。
それにしても、「オペラ座の怪人」か。盲点でしたね。
言われてみれば、確かに似合う。ていうか、ハマる。
多分彼には、感覚としてファントムを理解できるんじゃないかなと思います。だって、なんていうかこう……重なる部分があるんですよ。ほんの少しだけど、本質的な部分で。
ていうか大ちゃん、ダークヒーロー似合うよね。
忘れてたけど、最初に「ノクターン」を見た時にもそう言えばそう思ったんだった。この人は汚れ役を魅力的に演じられるんじゃないかと。
王子様じゃなくて、ダークヒーローを演じられる人って貴重だと思います。何故なら私は、ダークヒーローが大好きだから(笑)。
心に闇を持たない人間がどこにいますか?
***
映画も舞台も有名なせいか、色々興味深いグッズも出てますね。
ちょっと調べてる内に遊びたくなって来ました。その内なにか又やるかも知れません。
***
以下、拍手コメントへのお返事。
こんにちは。「音符が見える」ってステキな表現ですね。
仰る通り、技術が高ければ「感心」はするけれども、心に何かひっかかるもの、感覚的に「来る」ものがなければ「感動」はできないと思います。
あとすみません、右上にメールフォームをリンクしました。
拍手コメントだと1行しか送れないので、もし良かったら使い分けてみてください(汗)。
高橋大輔の今期のFSだということで、そう言えばまだ見てないしちょうど良いからこの機会にと思って借りて来ました『オペラ座の怪人』。
一回書き直したら前にも増して痛い文章になってしまったので、あきらめてもうそのまま乗せます。そういう訳で、例によって痛いです。
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これの監督って、「バットマン&ロビン」と同じ人なんですね。あれ、えらく評判悪いけど。私的には、クリス・オドネルのロビンが色んな意味でツボなので許せます。ユマ・サーマンのポイズン・アイビーもキュートだし。それはともかく『オペラ座の怪人』。
ゴシックホラーな雰囲気がステキ(ホラーじゃないけど)。ケレン味のある、はったりの効いた画面作りも好みです。
ストーリーは……ミュージカルの映画化だからなのか、戯曲的。ファントム以外の登場人物がキャラ的に結構デフォルメされていて、ちょっと薄いようにも感じます。分かりやすくていいですけどね。
つまりこの映画を理解するには、基本的にはファントム1人を理解すればいい。
OK、ダークヒーローは大好物です。
以下、ガンガンネタバレが入ってますので、御注意下さい。
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芸術って本来、反社会的なものなんですね。
社会の中で波風立てずに他人と上手くやっていくには、人間色々妥協しなければならないことも多い訳で。
芸術も、そのひとつ。道楽でやっている内は良いけど、本気で突き詰めようとすればするほど『社会』の規範から外れてゆく。
真の芸術家が愛するものは、美しい幻想ではなく恐ろしい真実。そして真の絶望のない所には、真の感動も訪れない。
ファントムという人物は、醜い姿故に人間の社会から隔絶され、その芸術性を純化させて行った人物。コンプレックスの裏返しとして光を求めてやまないからこそ、真の光を表現することができた。不遇の天才というよりも、不遇だからこそ天才として才能を開花させることが出来たという感じがします。
そのファントムは、自身の音楽を表現してくれる媒体としてクリスティーヌを求めている。クリスティーヌに、自分の「音楽」になれと言っているような。それに対してラウルは、あくまで1人の女性としてクリスティーヌを愛しているという感じ。
彼女が迫られた「ラウルを選ぶか、ファントムを選ぶか」という決断は、言い換えれば「玉の輿に乗って平凡な女の幸せを手に入れるか、それとも『歌姫』として芸術の道を極めるか」という決断だったと思います。
社会的には抹殺された存在、『芸術』の化身とも言うべきファントムと、爵位を持ち、経済的にも豊かな、社会的地位の高いラウルは正に対照的。
で、結局彼女は、音楽を捨てて社会での安定した身分を選んだ。それは墓碑名に「よき妻、よき母」と刻まれていることからも明らかです。
ファントムがクリスティーヌを失ったことにより、彼の芸術も永遠に失われたのかも知れません。でも私の気持ち的には「THE POINT OF NO RETURN」のシーンで具現化されたんだと思いたいですね。あの時、ほんの一瞬だけ、ファントムはクリスティーヌを、そして彼の「芸術」を手に入れた。
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で、大ちゃんですが。
彼は私と違って、上記のような理屈っぽい分析はやらないでしょう。どう考えても。
でも直感的に思ったんじゃないかな。「自分にとってのクリスティーヌは、スケートだ!」って。自分の表現しようと思うものを、自分の代わりに表現してくれる存在。
間違ってたらごめんなさい。ちょっと、そんな気がしただけなんです。
それにしても、「オペラ座の怪人」か。盲点でしたね。
言われてみれば、確かに似合う。ていうか、ハマる。
多分彼には、感覚としてファントムを理解できるんじゃないかなと思います。だって、なんていうかこう……重なる部分があるんですよ。ほんの少しだけど、本質的な部分で。
ていうか大ちゃん、ダークヒーロー似合うよね。
忘れてたけど、最初に「ノクターン」を見た時にもそう言えばそう思ったんだった。この人は汚れ役を魅力的に演じられるんじゃないかと。
王子様じゃなくて、ダークヒーローを演じられる人って貴重だと思います。何故なら私は、ダークヒーローが大好きだから(笑)。
心に闇を持たない人間がどこにいますか?
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映画も舞台も有名なせいか、色々興味深いグッズも出てますね。
ちょっと調べてる内に遊びたくなって来ました。その内なにか又やるかも知れません。
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以下、拍手コメントへのお返事。
こんにちは。「音符が見える」ってステキな表現ですね。
仰る通り、技術が高ければ「感心」はするけれども、心に何かひっかかるもの、感覚的に「来る」ものがなければ「感動」はできないと思います。
あとすみません、右上にメールフォームをリンクしました。
拍手コメントだと1行しか送れないので、もし良かったら使い分けてみてください(汗)。
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