ウロコのつぶやき

昭和生まれの深海魚が海の底からお送りします。

アスリートの究極の夢~高橋大輔現役復帰とメガロボクス~

2018-10-06 08:58:00 | 日記
大変ご無沙汰しております虹川です。
このブログに関しては、特にやめたり休んだりという意識は私にはなく、日頃単なる怠慢でほったらかしてるだけなので、たまに思い出したようにこういう記事を上げます。

今回のは、アスリートが本当に求めているのは、実は勝利じゃないんじゃないかという話です。

ひとつ前のクールですが、久しぶりに楽しんで見てたアニメがありました。

■メガロボクスー「あしたのジョー」連載開始50周年企画ー
https://megalobox.com

詳細はリンク先を参照ください。
全13話を見終わって、その内容を改めて反芻している時に飛び込んで来たのが、「高橋大輔現役復帰」の電撃的なニュースだったため、この2つが私の中でがっちりと結びついてしまったのですね。ということで、その辺りのことを書いておこうと思います。


■ギアレス・ジョーの手にしたもの

メガロボクスがどういう話だったのか、ちりばめられた伏線や演出や絡み合う登場人物たちの感情など、語り出したらキリがないのですが、キリがないのでここでは一旦置いておきます。
「あしたのジョー」とは全く関係ない話ですが、「ジョー」の影響は濃厚に見て取れます。

「メガロボクスとは、ギアという道具を使うことで、階級の差がなくなった近未来のボクシングである」という事くらいわかっておいて貰えれば、多分この記事は理解できます。

結論からいうと、これはアスリートが、何を求めて戦うのか、を表現した物語だと思いました。

アニメでも漫画でも映画でも、ストーリーの基本は「目的」です。
主人公には「目的」がある。どうにかしてそこへ辿り着こうとする、その過程がストーリーになる。
ワンピースの「海賊王におれはなる!」はその最たる例のひとつです。ゴールが分かりやすく提示されているので、読者もストーリーに入って行きやすいですね。

これがスポーツ物だと、大抵の場合「勝利」がゴールとして提示されます。野球だったら甲子園とか、サッカーだったらワールドカップとか、誰もが目指すわかりやすい目標がある。

でも、それが本当に、究極の目標なんでしょうか。

「メガロボクス」には、「メガロニア」という大きな大会が出て来ます。
そして、「メガロニアの頂点を目指す」という目標が掲げられます。でもこれ、主人公であるジョーの、本当の目的ではないんですね。

では彼は、何を求めていたのか。
メガロボクスとは、突き詰めればどういう話だったのか。

それはこういう事だと思います。

「アスリートの究極の夢は試合に勝つ事ではなく、試合で自分の最高のパフォーマンスを見せること」

しかしメガロボクスは対戦競技。自分一人でどんなに頑張っても「最高のパフォーマンス」にはなりません。全力を出し切った最高の試合をやるには、それ相応の相手が必要。

物語の冒頭。ジョーと、ライバルとなる勇利(力石ポジションの人)は対局の立ち位置にいます。
地下の賭け試合で生計を立てるジョーと、絶対王者として君臨する勇利。でも実は、2人は同じジレンマを抱えています。

「ここいらじゃお前は強すぎるんだ」と南部(丹下段平ポジションの人)に言われ、八百長を強いられるジョー。
「敗北という言葉を知らないようね」とゆき子(葉子ポジションの人)に言われ、格下の対戦相手しかいないっぽい勇利。

対戦相手に恵まれず、全力で戦うということができていない。

そんな二人が、偶然に出会う。
そこで何かを感じたのか、一度はジョーのいる地下の闘技場に現れる勇利。
「俺はもうお前のリングでは戦わない。戦いたければ、俺のリングへ上がって来い」
その言葉を受けてメガロニアを目指すジョー。つまり彼の目的は最初から「メガロニアで優勝したい」ではなく、「勇利と戦いたい」なのです。

何故か。その理由は第11話、決勝進出を決めた勇利へのジョーのセリフで語られます。

「俺はあんたと掛値なしの試合がしてぇんだ。あんたとだったらどこまでも行けそうな気がしてよ」

勇利と対戦することで、自分は最高のパフォーマンスを発揮できる。それを信じて、それを目指してジョーは走って来たのです。
それは勇利にとっても同じなのでしょう。
最終回での勇利の「俺たちは、出会えたんだ」というセリフから、勇利もまた、ジョーという対戦相手を得て、自分の持てる力を出し尽くすことができたことが伺えます。

■真っ白な灰になった後

そしてこの「結論」は、このストーリーの根源とも言える「明日のジョー」の、あの有名なラストシーンへのひとつのアンサーなのではないかと思いました。

試合終了後、真っ白な灰になってしまった矢吹丈。その後、丈はどうなったのか?灰になったってどういうこと?
全ては読者に委ねられたまま、丈の物語は幕を下ろします。

「真っ白な灰になる」ってどういうことなのか。
その答えは、実はそれより前のシーンにあります。

「そこいらの連中みたいにブスブスとくすぶりながら不完全燃焼しているんじゃない。ほんの瞬間にせよ まぶしいほど真っ赤に燃え上がるんだ。そして、後には真っ白な灰だけが残る…。
燃えかすなんか残りやしない…真っ白な灰だけだ」


「真っ白な灰になる」は、世間的には「力尽きて倒れる」みたいなニュアンスに使われることが多いですが、このセリフを読むとそうではないことがわかります。

「不完全燃焼」と「まぶしいほど真っ赤に燃え上がる」・「燃えかす」と「真っ白な灰」が対比させられています。
「真っ白な灰」しか残らないのは、「まぶしいほど真っ赤に燃え上が」ったからなのですね。
自分の力を出し切ることができず、不完全燃焼のままに終わると、燃えかすという心残りが残る。
自分の全てを出し切って真っ赤に燃え上がることができれば、悔いも何も残らない。

そうして全てを燃やし尽くした後、どうなるのか?
それが最終回、決勝戦後のジョーと勇利の姿として描かれています。

ネタバレですが、物語のラストでは「メガロボクスのチャンピオンは空位」だと語られます。
つまり、ジョーも勇利もチャンピオンにはなっていない。チャンピオンになりたくて戦った訳ではないことが、ここで現れていると思います。
どちらが勝ったか、決着が描かれているのか否かは最後まで見てのお楽しみですが、勝敗それ自体は、二人にとってそれほど重要なことではないのではないでしょうか。

■高橋大輔現役復帰

「俺たちは、出会えたんだ」
出会えて、戦えて、最高の試合が出来て、全てを出し尽くすことができた。
その幸運をしみじみ噛みしめるジョーと勇利を見ながら、ふと思い出したのは、自分が最も応援していたアスリートのことです。

彼は燃え尽きることができたんだろうか。
大きな怪我を引きずって、本来の力を発揮することができず、不完全燃焼のまま、勝負のリング…じゃなくてリンクを去ることになってしまったのではないかと、ふと心が痛んだのでした。

そんな矢先に目に飛び込んだ「現役復帰」の文字。誰のこと?と調べて見れば高橋大輔。
余りのタイミングに、自分の願望が見せた幻覚なのかと思いましたよ。

ボクシングと違ってフィギュアスケート(のシングル競技)は一人で戦うスポーツです。
「自分の演技の時間は、会場すべてを独り占めできる」と大ちゃん自身が語っています。
だからジョーや勇利のように、理想の対戦相手を探さなくてもいいはずなのです。
自身の強い意志さえあれば。
そう、強い意志…本当に、この人は強烈だな。

アスリートの目的が「勝利」だと思っている人には、大ちゃんの復帰の意図は分からないでしょう。
でも実は、「勝利」よりももっと大切な、本当の目的がある。
実は「勝利」とは、その本当の、究極の目的のための「手段」のひとつに過ぎないのかもしれません。

大ちゃんがそのことに気づいたのが、去年の全日本ということなのでしょうね。

それにしても、彼がその真の目的を遂げた時、私たちは何を目にするのでしょうか。
「真っ白な灰」しか残らないほど、「まぶしいほど真っ赤に燃え上が」る炎は、きっと外野の目にも美しい。

「メガロボクス」の最終回、ジョーと勇利の戦いを前に盛り上がる周囲。
あの時、「これから最高の試合が観れる!」とワクワクしていたキャラクターたちの、あの感じ。
あの気持ちを、自分自身で味わうことになろうとは。

願ってもいないことでした。
ありがたや。

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