TBA

(仮)

変節

2018-01-30 | 本と雑誌

きょうはわりとのんびり。

早めに寝られたし、ぎりぎりまで寝た。




寒くなったくらいから、

小説がまた読めるようになった。

ここ2、3年くらい全然読めなくなって、

ぎりぎり読めたのは、時代小説かファンタジー。


あとはノンフィクションや、エッセイとか、

なんかもう、いやってほど新書も読んだし。


もう小説は読めないのかと思ってたくらいだから、

とりあえずよかったよかった。


つまらないと思ったら、

途中でやめてもいいって開き直れたのがよかったかな。

あわないやつは全然あわないし、

新書とかはひどい内容のもたまにあるし。


「書楼弔堂」破暁もおもしろかったけど、

炎昼のほうもおもしろかった。

読んでるうちに、この人は…ってわかる人もいれば、

まったくわからない人も。

國男という名前にぴんとこなかったのはうかつ。

ちょうど「妖怪の理 妖怪の檻」も読んでるところなのに。

内容的に重なる部分もあったりしておもしろい。


高遠さんや塔子さんがなにかのシリーズに出てきたりしないかと思ったけど、

やっぱりそんなことはないのかな。

「本をいくら読んでも人間は成長しない」っていうのはつらい…




「100分de名著」も最終回。

これも明治の話だけど、

結局、落としどころがなくて、あんまりすっきりしなかった。


抵抗の精神

①明治新政府 ②ジャーナリズム ③知識人

西南戦争は「事実報道」の始まり

日本の情勢を客観的に眺めて批評する視点。


これはいまの日本でもできてないような。

知識人に対する批判もわかる。

ワイドショーに登場する「識者」であったり、

トランプ氏を批判するセレブ達。

なぜヒラリーさんが出てくるのか意味不明の、

すっかり下品になったグラミー賞とかも。

諧謔精神とあてこすりは、だいぶ違う。


地方自治はいまも難しいと思うし、

維新直後だともっと無理だろう。

榎本武揚でなければ北海道は分割されてたかもしれないし。



「天」と向き合う自立心。

自分自身を律して社会改革に向き合おうとした。

「国」を背負う感覚。


伊集院さんが言ってた、

多様性を都合よく利用する危険性。

自分を聖人と同格にし、自負心が暴走する。

宮武外骨のドキュメントやってたっけ…

「ユスリ記者」にならない自覚も必要かも。


司馬さん批判はよくわからなかった。

リアリズムでもないと思うし。

「政権を取る気もないのに政府を批判するな」

いまと重ねて「野党の体たらく」っていうのは、

西郷さんに失礼。

いまの野党は「政権を取ることしか考えてない」し、

いまのメディアは「安易に政府の見解だからと言って」批判しかしない。


「近代と反近代が同居しているすごくふしぎな人」というのも…

当時の人はみんなそうだったのでは?

「書楼弔堂」でもわりとそういう人が描かれてると思うし、

山田風太郎さんの「明治もの」もそんな印象。


なんか神格化しすぎて妙なことになってしまったのかな。
コメント
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