車に乗ってると、
きょうはなんかあぶないな、っていう日が、
ときどきあるんだけど、
まさにきょうがその日。
いつも混まない道が渋滞してたり、
その渋滞してる道を、自転車が横切ろうと、
ななめ後ろから突然現れたり、
で、そこに救急車がきたり。
なんかもう、ガレージを出たときから、
きょうはこわいなあ、っていういやな予感があって、
いつもより安全運転なつもりだったんだけど、
それ以上に予想外なことがたくさん起きた感じ。
こういうことがあると、
初もうで行ってなかったなあ、とか、
お墓まいりも最近行ってないなあ、とか、
ネガティブなことばかり考えるようになりがちだから、
あしたは巻きずし食べて、
ちゃんと豆まきしよう。
栗本薫さんの未発表作配信、とか。
なんだろう、と思ったら、
「ぼくらシリーズ」
むかし通ってたところ、
別にふつうの町だったんだけど、
歩いていける範囲に古本屋さんが何軒もあった。
まだ大手のチェーンができるまえで、
ほんとにこじんまりとした小さな店ばっかり。
そのうちの一軒、
だがし屋さんの一角に古本がおいてあるようなお店で、
こどもむけらしく、平日の昼休みなんてだれもいない中、
お昼ごはんを急いで食べてはよく通ってた。
あるとき、「ぼくらの時代」「ぼくらの気持」
「ぼくらの世界」と、ちょうど3冊並んでた。
ブックガイドなんかで興味があっても、
そのころはAmazonとかもまだなかったし、本を探すのもたいへん。
このへんの本も、絶版だったのか品切れだったのか、
本屋さんではなかなか見つけられなかったころだったので、
ちょっとうれしくなって、
ろくに中も見ずに買ってあとで読もうとしたら、
カバーと中身がちがってた。
「ぼくらの時代」だったかが、2冊だぶったんだけど、
結局、どうしたんだっけかな。
まあ、読んだ記憶もあんまりないんだけど。
そこのお店は、あまり品ぞろえが変わることもなかったから、
たまーに行くくらいだったけど、
藤沢周平さんの「義民が駆ける」がずっとあって、
買おうか買わないかずっと悩んでたことは覚えてる。
これもどうしたんだっけ。
あと、ソフィアの「黒いブーツ」がかかってて、
えらい曲だなあと思ったのもすごく覚えてる。
『読書愛好家は読み終わった本を古本屋に売らない…その理由は?』
みたいな記事があった。
そのときのベストセラーしか読まないんなら、
それでいいんだろうけど、
読みたい本が全部本屋で買えるわけでもない。
それに「いま」はいくらでも本屋にあったとしても、
いちど手放してしまって、
何年後、何十年後かに読みたくなっても、
新品でその本が買えるとはかぎらない。
なら、絶対おいておかないといけないし、
古本で作者にお金が入らなかろうが、
捨ててしまわれたらもう誰にも読まれることはない。
作者にとっても本自体がなくなって、
読まれなくなってしまうよりはましなんじゃないのかな。
電子書籍はサービスが終わってしまえば読めなくなるし、
「少女終末旅行」みたいに、文明が滅んでも終わり。
まあ「読書愛好家」の人が、本そのものを好きだとはかぎらないし、
いろんな考え方があっていいと思うけど、
やっぱり本を「捨てる」っていうのはすごく抵抗があるなあ。