湿気がないとだいじょうぶ、とか書いたけど、
きょうはふつうに暑い。
暑さに慣れてないっていうのもあるのかも。
ちゃんと水分補給しないと。
「SONGS」もひさしぶりに見たけど、あんな感じだったかな。
もうちょっと演奏シーン多くなかったっけ。
「情熱大陸」かと。
はじめから「ジョジョ」のほうを録画しとけばよかった。
無駄無駄録画。
そのあとBSでやってたファーブル。
これしょっちゅう再放送してるような。
で、しょっちゅう見てる気がする。
「テンプル騎士団」を読む。
十字軍の本をたまたま手に取ったあと、もうちょっと知りたくなって見つけた本。
「応仁の乱」や「承久の乱」はしんどかったけど、
小説家の方が書かれているせいか、すごくおもしろかった。
最初はISとか、日本だと中世の寺社勢力とか一向一揆みたいなもんかと思ったけど、
物流や金融まで牛耳って、武力を持ったGAFAみたいなイメージなのかな。
十字軍遠征のためにいろいろ優遇されたおかげで、
いつのまにか国王以上の力を持つのだけど、それを理解せずに生かせないまま崩壊させられた感じ。
でも、あくまでも「修道士」「騎士」という高潔なイメージだからこそ、
ここまで大きな存在になったのだろうから、
はなっから私利私欲のために行動してたら、こういう存在にはならなかったのだろう。
ジェダイ騎士団というよりも、FSSの騎士団を思い出した。
ミラージュの血の十字架とか帯のイメージそのままだし。
「思いつきで世界は進む」というのも。
出だしから「モリカケ」がどうのでうんざり。
日本の反知性主義はこういうタイプの人に良くいる感じの、
「失われた東京を想って田舎者を見下す人」たちにも原因がある気がするし、
「小太りの中年男」への偏見とか、批評は非現実的でいいとか、
うーんっていうのも多かったけど、なるほどなあと思うところもあった。
「より良い自民党」だったり「もうひとつの自民党」というのは、
政権交代のときも今も、国民が野党に求めているものだし、
時間は均一に進んでない、世界はひとつじゃない、というのも、
グローバル化や民主化に対する、なんというか、万能感への警鐘みたいな?
たとえば、それこそテンプル騎士団はグローバル企業の基礎みたいなもんで、
そのあと大航海時代へつながっていく。
民主主義も、封建制からつながっているものな気がする。
中産階級の人が自分の土地や財産を保証してもらうためのリーダーが必要になり、
それが「国」であり「王」だったのだけど、その「王」が信頼できなくなったときに、
信頼できるリーダーを選ぶために民主主義が必要になったのでは。
中産階級がなく「王」と「奴隷」しかいなかったのであれば、
「国」は自分たちの財産を守るものではなく、奪うものでしかない。
どうせ自分たちのものでないなら大事にする必要もないし、大切にする必要もない。
木は焚き木にするためならぜんぶ切ってしまえばいいし、魚も取れるだけ獲ってしまえばいい。
焚き木にする木がなくなればあるところへ行けばいいし、
魚がいなくなればいるところに行けばいい。
どうせ自分の土地ではないのだから、どこへ行ったって同じこと。
そういうところに民主主義の形だけを押しつけても、
選挙で選ばれたはずのリーダーでさえ「公」の概念が持たなければ、
私利私欲にふけって都合が悪くなると国を捨てて逃げてしまうだけ。
そう考えると封建制を通っている文明とそうでない文明では、
そもそも「国」とか「公共」の概念がぜんぜん違うんではないかな。
たぶん「移民」になる気持ちの重みも気概もちがうのでは。
なら、むりやりに民主主義さえあれば世界はよくなる、とか、
特効薬的に過剰に持ち上げすぎるのもよくないし、
何百年、何千年も違う価値観で生きてきた人たちが、
急に一緒にせまい地域で暮らそうとするとうまくいかなくなるのも当然。
それはどっちが正しいとかまちがっているとかそういうことではない。
「多様性」を認めるというのは、違う部分を知る、ということ。
違いをきちんと認めたうえで、どうしてもあわないというのなら、
むりをして、もめてしまうまでいっしょにいる必要があるのかどうか。
同じ「正しい価値観」で塗りつぶしてしまうのではなくて、
なぜ、違う考えがあることを認めないのか、
なぜ、気に入らないからといって攻撃してしまうのか。
あと、中国、ロシア、朝鮮半島に正面から向き合わずに、
日本の政治を正確に語るのは難しいと思う。