湿気多くていやだなあ。
くもってるからまだましなのかなあ。
今週の予報では32度まで気温が上がるってなってたけど、
こどものころって6月あたまに30度を超えたりしてたかな。
梅雨にもなってないのに…
ゆうべは特に見たいTVもなかったので、録画してた番組を見て寝た。
2014年の「なんしようと?」
初回から5年たってすっかり今の大吉先生。
その間になにがあったんだろう。
あと、2013年のタカアンドトシにも。
「ダーウィンが来た!」も見た。
ヤンバルクイナが減ってるのはずっとマングースのせいかと思ってた。
ペットの捨て犬捨て猫を減らすのは条例でできないのかな。
思い切って免許制にしてしまうこともできそうな。
もう手遅れのジュゴンよりも現実的にできることがたくさんありそうだけど…
『アマビエブームで見逃されたこと 民俗学者がつづる「物言う魚」の本質
ネット時代の「予言獣」の役割』
あんまりわからなかったのだけど、
またいつか来るだろう「災難を忘れないため」ってことなのかな。
自分がアホなせいなのか、「護符」とするためとか、
「予言」とか「公」がどうとか、いろんなことを絡めすぎてわかりにくいのか。
コメント欄の「物言う魚」が「遭難&難破した外国船の異人」ではないかっていう、
考察がおもしろかった。
東京アラート。
感染を広めるのはやっぱりパーティをするような社交的な人たちなのに、
『「感染疑わしい人とは働けない」 陰性証明の要求相次ぐ』 朝日新聞社
なんでこんなことが起きるのか。陰性証明なんて出せるわけがないのに。
検査検査とワイドショーが不安をあおったからとしか。
そしてこれ。
『「朝日新聞の誤報」は、やめられない、止まらない』
『朝日の報道が目立っているだけで、新聞社による誤報なんて日常的です』
『警察や自治体が何かしらの広報文を出したとして、それをもとに記事にしたとします。
しかしその後、発表した当局が広報文の訂正をするような事案は頻繁に起こります。』
これ自体はしかたない部分もあるのだろうし、わからないでもないけど、
こういうことが許されてしまうと、この間の河野大臣の「フェイクニュース」みたいに、
新聞が「こうであってほしい」とか「こうに違いない」って先走って書くことによって、
現実の政策や世論に対して影響力を行使しようとすることに、
罪悪感がなくなってしまってきているように見えてしまう。
じぶんで火のないところに煙を立てておいて「火事だ」と大騒ぎする。
そして、火事が起きそうな状況をおぜん立てしておいて火事が起きるのを待つ。
結果として火事になりさえすれば「火事だ」といったことはウソにはならない。
でも、それは「報道」なんだろうかな。
そういうことも含めて
『ある程度話題になった記事を訂正するとなると、新聞社の信頼も落ちますし、
担当記者やデスクの出世に響きます』
っていうのは記者になったときの志はどっかにおいてきたのかなあとしか。
それで『記者が人間である以上、誤報はなくならない』と言われても、
そうであるなら新聞社への信頼は下がる一方だ、としか…